↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/22

Chapter2 二つの世界のあいだ

挿絵(By みてみん)


 早朝、ルティスは町の図書館にいた。


 窓から差し込む朝の光が、古びた机の上を照らしている。


 その上には、すでに十冊近い本が積み上げられていた。


「…………」


 一冊を閉じる。


 何もない。


 次の本を開く。


 目次を見る。


 境界。


 異界。


 転移。


 世界。


 それらしい言葉を探して頁をめくる。


 けれど――


「……ない」


 ルティスは小さく息を吐いた。


 昨日、神殿で見つけた言葉。


 ――狭間。


 世界と世界の間に存在する、どちらにも属さない場所。


 あの石碑がASTRA(アストラ)について記したものだという確証はない。


 それでも三か月探し続けて、初めて見つけた手掛かりだった。


 簡単に諦めるつもりはない。


 ルティスは次の本へ手を伸ばした。


「それ、朝からずっとやってるの?」


 聞き慣れた声。


 顔を上げる。


 ミナが立っていた。


「……どうしてここに?」


「聞き込み終わったから」


「もう?」


「もうって何」


 ミナが向かいの椅子へ座る。


「ちゃんと聞いてきたよ」


「誰に?」


「いろんな人」


「昨日と同じじゃん」


「今日はちゃんと名前もあるから!」


 ミナは鞄から紙を取り出した。


「宿屋のおばちゃん。パン屋のおじさん。道具屋のお姉さん。それから広場にいたおじいちゃん」


「……意外とちゃんとしてる」


「意外とは余計!」


 紙を机へ置く。


 ルティスが目を通した。


「それで?」


「『狭間』って言葉を知ってる人はいなかった」


「そっか」


「でもね」


 ミナが紙の一番下を指差す。


「おじいちゃんが、ちょっと変な話をしてた」


「変な話?」


「昔、この辺りには――」


 ミナが思い出すように視線を上げる。


「地図にない集落があるって話があったんだって」


 ルティスの手が止まった。


「地図にない?」


「うん。でも場所は誰も知らない」


「それ、いつ頃の話?」


「おじいちゃんのおじいちゃんが子供だった頃」


「古いね」


「でしょ?」


 ミナは少し得意そうに胸を張る。


「どう?」


「何が?」


「私の聞き込み」


「ちゃんとしてた」


「もっと褒めて」


「すごい」


「雑!」


 図書館の奥から咳払いが聞こえた。


 二人が同時に口を閉じる。


「…………」


「…………」


 ミナが声を潜めた。


「怒られた」


「ミナが大きな声出すから」


「ルティスも喋ってたじゃん」


「ミナより小さかった」


「ずるい」


 その時だった。


 ルティスの視線が、窓の外で止まった。


「…………」


 向かいの建物。


 その塀の上に一匹の黒猫が座っている。


「……ミナ」


「なに?」


「あれ」


 ルティスが窓を指差した。


「…………」


 ミナの目が大きくなる。


「猫ちゃん!!」


「しーっ!」


 今度はルティスが慌てて止めた。


 また奥から咳払い。


「ご、ごめんなさい……」


 ミナは小さく頭を下げる。


 そして窓へ張り付くように近づいた。


「昨日の子だよね?」


「たぶん」


「絶対そう!」


 赤い布。


 首元の大きな鈴。


 間違いない。


 昨日、山の中で出会った黒猫だった。


「なんで町にいるんだろ」


「飼い猫なら、この町の猫だったんじゃない?」


「でも昨日あんな山奥にいたよ?」


「猫だし」


「猫ってあんなに遠くまで行く?」


「知らない」


 黒猫はこちらを見ている。


 正確にはルティスを。


「…………」


 まただ。


 昨日と同じ。


 ただ目が合っているだけなのに、妙な感じがする。


「よし」


 ミナが立ち上がった。


「なに?」


「行ってくる」


「どこに?」


「猫ちゃんのところ」


「調べ物は?」


「休憩!」


「今来たばっかりでしょ」


「ルティスは続けてて!」


 ミナは足早に図書館を出ていった。


「…………」


 ルティスはもう一度、窓を見る。


 黒猫がいない。


「あれ?」



「いない……」


 図書館の外。


 ミナは塀の周りを探していた。


「猫ちゃーん」


 返事はない。


「どこ行ったのー?」


 路地を覗く。


 樽の裏を見る。


 木箱の隙間まで覗く。


「…………」


 いない。


「逃げられた」


 後ろから声がした。


 ルティスだった。


「調べ物は?」


「一段落した」


「何かあった?」


「まだ」


「そっかぁ」


 ミナは肩を落とした。


「猫ちゃんもいないし」


「そっちの方が残念そうだね」


「だって、あとちょっとだったのに」


「何が?」


「仲良くなるまで」


「昨日から一回も触れてないよ」


「今日は触れたかもしれない」


「どうかな」


「絶対触れた」


「自信すごいね」


 二人が路地を抜けようとした時。


 ――チリン。


「…………!」


 ミナが振り返った。


「今!」


「聞こえた」


「鈴!」


 角を曲がる。


 その先。


 黒猫が座っていた。


「いた……!」


 今度はミナも叫ばなかった。


 逃げられないように、ゆっくり近づく。


「猫ちゃん」


 黒猫がミナを見る。


「よしよし」


 一歩。


「怖くないよー」


 もう一歩。


 黒猫は逃げない。


 ミナがしゃがみ込んだ。


「昨日会ったでしょ?」


「…………」


「覚えてる?」


「…………」


「覚えてるよね?」


 ルティスが少し離れたところから見ている。


 ミナが、そっと手を伸ばした。


 あと少し。


 指先が黒い毛へ触れそうになる。


 黒猫の鼻が、わずかに動いた。


「…………」


 そして。


 ミナの手をすり抜けるように立ち上がると、


 ルティスの方へ歩いた。


「えっ」


 黒猫がルティスの足元で止まった。


「…………」


「…………」


 ルティスと黒猫が見つめ合う。


「…………なんで?」


 背後から、ものすごく悲しそうなミナの声。


「私、こんなに頑張ってるのに……」


「私に言われても」


 ルティスは困ったように黒猫を見る。


「……なに?」


 黒猫は答えない。


 ただ、ルティスの周りをゆっくり一周した。


「……?」


 足元。


 腰。


 そしてもう一度、顔を見る。


 何かを確かめているように。


「やっぱり変じゃない?」


 ミナが言った。


「何が?」


「この子、ルティスのこと好きすぎない?」


「昨日会ったばかりだけど」


「一目惚れ?」


「猫に?」


「あるかもしれない」


「ないと思う」


 黒猫は突然、ルティスから離れた。


「あ」


 路地の奥へ歩いていく。


「待って!」


 ミナが追いかける。


「また!?」


 ルティスも後を追った。



 黒猫は、何度も立ち止まった。


 振り返る。


 三人が来ていることを確認する。


 また歩く。


「……これ」


 夕方、仕事から戻ったカイルまで加わっていた。


「どう考えても俺たちをどこかへ連れて行こうとしてないか?」


「やっぱりそう思う?」


 ルティスが尋ねる。


「ああ」


「私は最初から思ってたよ」


 ミナが言う。


「お前は猫を追いかけてただけだろ」


「違うもん」


「昨日『触りたい』しか言ってなかっただろ」


「そんなことない」


「言ってた」


「ルティスまで!」


 黒猫が振り返る。


 三人が止まる。


「…………」


 黒猫も止まる。


「ほら」


 カイルが言った。


「待ってる」


 ルティスは黒猫を見る。


 昨日の神殿。


 隠された通路。


 狭間という言葉。


 そして今日。


 地図にない集落の話を聞いた直後に、またこの猫が現れた。


 偶然。


 そう考えるには、少し出来すぎている。


「……行ってみよう」


 ルティスが言った。


「猫について?」


「うん」


 ミナの顔が輝く。


「賛成!」


「お前はそうだろうな」


 カイルが苦笑する。


 三人が歩き出す。


 黒猫も再び進み始めた。


 町を抜ける。


 街道を外れる。


 森へ入る。


「…………」


 ルティスは、少しずつ違和感を覚えていた。


「昨日の神殿とは違う方向だね」


「ああ」


 カイルが答える。


「道もない」


 それでも黒猫は迷わない。


 木々の間を抜け、岩場を越え、さらに森の奥へ進んでいく。


 やがて。


 ――チリン。


 黒猫が立ち止まった。


 三人も足を止める。


「……ここ?」


 ミナが辺りを見る。


 何もない。


 ただ、木々が並んでいるだけ。


「行き止まりじゃないか?」


 カイルが前へ出る。


 黒猫は、一本の大きな樹の前に座った。


「…………」


 ルティスは周囲を見る。


 妙だった。


 音がない。


 さっきまで聞こえていた鳥の声。


 葉の擦れる音。


 遠くの虫の声。


 すべてが、ここだけ薄くなっている。


「ルティス?」


 ミナが呼ぶ。


「……静かすぎる」


 カイルも気づいた。


「ああ」


 ルティスは、一歩前へ出た。


 その瞬間。


「…………!」


 胸の奥で、何かが微かに揺れた。


 痛みではない。


 魔力とも、少し違う。


 ずっと身体の奥にあるものが、ほんの一瞬だけ目を覚ましたような――


「ルティス?」


「……大丈夫」


 ルティスは胸元へ触れた。


 黒猫が、その仕草を見ている。


「…………」


 ルティスが黒猫を見る。


 黒猫は立ち上がった。


 そして。


 大樹の横。


 何もない空間へ、一歩踏み出した。


「え?」


 ミナが目を見開く。


 黒猫の姿が、消えた。


「…………」


「…………」


「…………」


 三人とも、言葉が出なかった。


「……消えた?」


 ミナが呟く。


 カイルがすぐに剣の柄へ手をかけた。


「転移魔法か?」


「違う」


 ルティスは答えた。


「魔法が発動した感じがしなかった」


「じゃあ……」


 ルティスは、黒猫が消えた場所へ近づく。


 手を伸ばす。


「待て」


 カイルが止める。


「分かってる」


 指先が、何もない空間へ触れる。


 その瞬間。


 ――揺れた。


 景色が。


「……!」


 水面へ指を入れたように、目の前の空間に波紋が広がった。


挿絵(By みてみん)


「ルティス!」


 ミナが駆け寄る。


 波紋の向こう。


 一瞬だけ。


 何かが見えた。


 森ではない。


 町でもない。


 薄い霧。


 暖かな灯り。


 遠くに並ぶ、


 いくつもの小さな家。


「…………」


 そして。


 その向こう側。


 一匹の黒猫が、三人を見ていた。


「猫ちゃん……」


 ミナが呟く。


 黒猫は、ゆっくり尻尾を揺らした。


 まるで。


 ここまで来られるかと、問いかけるように。


 しかし次の瞬間。


 波紋が消えた。


 景色は元の森へ戻る。


「…………」


 沈黙。


 カイルが、ゆっくり剣から手を離した。


「今の……見えたよな?」


「うん」


 ミナが答える。


 ルティスは、目の前の何もない空間を見つめていた。


 地図にない集落。


 世界と世界の間。


 どちらにも属さない場所。


 昨日見つけた言葉が、頭の中でつながっていく。


「……狭間」


 ルティスが呟いた。


 ミナとカイルが彼女を見る。


「今の場所が?」


「分からない」


 ルティスは、もう一度手を伸ばした。


 けれど今度は何も起こらない。


 ただ冷たい空気が、指の間を抜けていった。


「でも……」


 ルティスは目を細める。


「たぶん、あの猫は知ってる」



 霧の向こう。


 黒猫は、三人のいる場所を見つめていた。


 やはり。


 あの女だけは、入口に触れることができた。


 普通の人間なら、そこに何かがあることすら気づかない。


 黒猫は自分の前足を見る。


 そして、先ほどルティスが胸元へ触れた姿を思い出す。


 あの匂い。


 間違いない。


 だが――


 少しだけ、妙だった。


 自分たちのものと、まったく同じではない。


 もっと深い。


 もっと暗い。


 まるで。


 境界のさらに奥に、何かを隠しているような。


「…………」


 黒猫は、霧の向こうへ歩き始めた。


 まだ、中へ入れるわけにはいかない。


 少なくとも。


 あの女が何者なのか、もう少し確かめるまでは。


 首元の鈴が、小さく鳴った。


 ――チリン。


 ―― Chapter 2 END ――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。