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Chapter1 狭間の痕跡

挿絵(By みてみん)


 町を出てから、半日ほどが過ぎた。


 北へ続く街道は、やがて細い山道へと変わっていた。


 左右には背の高い木々が並び、枝葉の隙間から差し込む光が、まだらに地面を照らしている。


「ほんとにこっち?」


 後ろを歩いていたミナが尋ねた。


「たぶん」


「たぶん?」


「地図にはそう書いてある」


 ルティスは手にしていた古い地図を見下ろした。


「その地図、大丈夫なのか?」


 先を歩くカイルが振り返る。


「大丈夫じゃないかも」


「おい」


「だって古いんだもん」


「どのくらい?」


 ミナがルティスの肩越しに地図を覗き込む。


「百年以上前」


「……道、残ってる?」


「だから探してる」


「なるほど」


「納得するな」


 カイルがため息をついた。


 三人はそのまま森の奥へ進んでいく。


 目的地は、北の山中に残されているという古い神殿だった。


 昨日、カイルが持ち帰った情報。


 そこにはかつて、転移魔法や世界の境界について研究していた者たちが残した記録があるという。


 本当かどうかは分からない。


 この三か月、似たような話を何度も聞いた。


 そして、そのたびに何も見つからなかった。


 それでも。


 確かめないという選択肢はなかった。


 どんな小さな噂でも。


 どんな古い記録でも。


 ASTRA(アストラ)へ続く可能性があるのなら――


「あっ!」


 突然、ミナが声を上げた。


 ルティスとカイルが同時に振り返る。


「どうした?」


「猫!」


「…………」


「…………」


 道の脇。


 苔の生えた岩の上に、一匹の黒猫が座っていた。


 艶のある黒い毛。


 すっと伸びた尻尾。


 少し変わっているのは、その瞳だった。


 森の薄暗がりの中で、不思議なほどはっきりと光っている。


「黒猫……!」


 ミナの顔が一気に明るくなる。


「かわいい!」


 荷物を放り出す勢いで駆け寄った。


「おい」


 カイルの声など聞こえていない。


 黒猫の前にしゃがみ込む。


「おいでー」


 黒猫は動かなかった。


「怖くないよー」


「たぶん向こうがお前を怖がってるぞ」


「そんなことないもん」


 ミナが手を差し出す。


「ほら。おいで」


 黒猫の耳が、ぴくりと動いた。


「ほら!」


 ミナが嬉しそうに振り返る。


「今、反応した!」


「耳が動いただけだろ」


「カイルには猫の気持ちが分からないんだよ」


「お前には分かるのか?」


「分かる」


「本当?」


 ルティスが聞く。


「…………たぶん」


「分かってないじゃん」


「ルティスまで!」


 その間も黒猫は逃げなかった。


 じっと三人を見ている。


 いや――


 違う。


「…………」


 ルティスは黒猫を見た。


 黒猫も、ルティスを見ている。


「……?」


 妙な猫だった。


 ただ見ているだけなのに、観察されているような気がする。


「ねえねえ」


 ミナが少しだけ横へ動く。


 黒猫の視界へ入り込む。


「こっちだよ」


 黒猫はミナを見る。


「……!」


 ミナの顔が輝いた。


 だが次の瞬間。


 黒猫は顔を動かし、再びルティスを見た。


「…………」


「なんで!?」


 ミナの声が森に響いた。


「私が呼んでるのに!」


「ルティスの方が好きなんじゃないか?」


「まだ何もしてないよ!?」


「だからじゃない?」


「どういう意味!?」


 ルティスは少しだけ笑った。


 そして黒猫へ視線を戻す。


 まだ見ている。


「……行こう」


 ルティスは地図を畳んだ。


「えー」


「神殿を探しに来たんでしょ」


「そうだけど……」


 ミナは名残惜しそうに立ち上がった。


「じゃあね、猫ちゃん」


 黒猫へ手を振る。


「帰りもいたら、一緒に帰ろうね」


「勝手に決めるな」


「カイルには聞いてない」


「多分、飼い猫だろ。猫なのに服着てるぜ」


 黒猫はカイルの言う通り、大きな鈴を首に下げ


 赤いローブを着させられていた。


「そっかぁ、じゃ仕方ないか。元気でね!」


挿絵(By みてみん)


 ミナがそう言い、三人は再び歩き始めた。


 しばらくしてルティスは振り返った。


「…………」


 黒猫は、まだ岩の上に座っていた。



「……これ?」


 ミナが首を傾げた。


 森を抜けた先。


 三人の前に、半ば崩れた石造りの建物があった。


 神殿――だったもの。


 そう言った方が正しい。


 屋根の大半は崩れ落ち、石柱には蔦が絡みついている。


 入口らしき場所には、文字の刻まれた石板が倒れていた。


 カイルが周囲を見回す。


「人が入った形跡はないな」


「少なくとも最近はね」


 ルティスがしゃがみ込み、石板についた苔を払う。


 文字はかなり薄れていた。


「読める?」


「少しだけ」


 指先で文字を追う。


「……転移……空間……」


 さらに苔を落とす。


「境界」


 カイルとミナの表情が変わった。


「当たりか?」


「まだ分からない」


 ルティスは立ち上がった。


「入ってみよう」


 三人は神殿の中へ足を踏み入れた。


 内部は薄暗かった。


 割れた天井から細い光が差し込み、その中を埃が漂っている。


 壁には古い魔法陣。


 床には砕けた石板。


 奥へ進むにつれ、空気が冷たくなっていく。


「何かありそう?」


 ミナが尋ねる。


「魔法の痕跡はある」


 ルティスは壁へ手を触れた。


「でも古すぎる。ほとんど残ってない」


「転移魔法か?」


「たぶん」


 カイルが周囲を確認する。


「境界は?」


「分からない」


 しばらく探索した。


 だが見つかるのは、崩れた魔法陣と読めなくなった石板ばかり。


 やがて三人は神殿の最奥へ辿り着いた。


 そこには小さな祭壇が残されていた。


「……何もないね」


 ミナが呟く。


 ルティスは答えなかった。


 祭壇を調べる。


 壁を見る。


 床を見る。


 何もない。


 また外れ。


 そう思った時だった。


「……ニャ」


「え?」


 ミナが振り返った。


 入口近く。


 暗がりの中に、一匹の黒猫が座っていた。


「いた!!」


 ミナの声が神殿中に響いた。


「猫ちゃん!」


「……またあいつか」


 カイルが眉を寄せる。


「ついてきたのかな?」


「結構歩いたぞ」


「私に会いたかったんだよ!」


 ミナが駆け出す。


「さっき完全にルティス見てただろ」


「今度こそ私だから!」


 黒猫はミナを見る。


「ほら!」


 一歩。


 ミナが近づく。


 黒猫が上半身をあげ、様子を伺う。


「おいで!?」


 黒猫はくるりと背を向けた。


「え?」


 そのまま、壁際へ歩いていく。


「待って!」


 ミナが追う。


 黒猫は崩れた石柱の裏へ消えた。


 ミナもその後を覗き込む。


「……あれ?」


「どうした?」


「道がある」


 ルティスとカイルが近づく。


 崩れた石柱の向こう。


 人ひとりが通れるほどの細い隙間があった。


 奥へ続いている。


「地図には?」


 カイルが尋ねる。


「載ってない」


 ルティスは答えた。


 三人は顔を見合わせた。


「行く?」


 ルティスが尋ねる。


「行く」


 ミナは即答した。


「猫ちゃんも行ったし」


「それは理由にならない」


「なるよ」


「ならない」


 カイルが先頭に立った。


「俺が行く。二人は後ろだ」


 三人は細い通路へ入っていった。



 その先には、小さな地下室があった。


 中央に一枚の石碑が立っている。


「……これ」


 ルティスが近づく。


 先ほどまでの石板とは違う。


 地下にあったためか、文字がはっきり残っている。


「読める?」


 ミナが隣へ来る。


「待って」


 ルティスは表面の埃を払った。


 古い文字。


 その中に、見覚えのある言葉があった。


 ――境界。


「……やっぱり」


 ルティスの表情が変わる。


 カイルも近づいた。


「何て書いてある?」


「古い言葉だから、全部は分からない。でも……」


 ルティスは、一行ずつ読み解いていく。


「世界と世界の間には――」


 一度、言葉を止める。


「どちらにも属さない場所がある」


「どちらにも?」


 ミナが聞き返す。


「うん」


 ルティスは続きを追った。


「一方の空にも属さず」


「もう一方の大地にも属さず」


「二つの世界の――」


 文字が欠けている。


「ここ、読めない」


 指を滑らせる。


 その先。


 最後の一文だけが残っていた。


「……狭間に在る」


 静寂。


 カイルが石碑を見る。


「狭間……」


 ミナが呟いた。


「それって、ASTRA(アストラ)とこっちの世界の間ってこと?」


「分からない」


 ルティスは石碑から目を離さなかった。


「でも……」


 三か月。


 いくつもの場所を調べた。


 転移魔法。


 古代魔法。


 境界に関する伝承。


 どれもASTRA(アストラ)へ続かなかった。


 けれど、これは初めてだった。


 世界と世界の間。


 どちらにも属さない場所。


 ――狭間。


「調べよう」


 ルティスが言った。


「この『狭間』が何なのか」


 カイルが頷く。


「手掛かりになるかもしれないな」


「うん」


 ミナも頷いた。


 そして、ふと辺りを見回す。


「あれ?」


「どうしたの?」


「猫ちゃんは?」


「…………」


 三人が地下室を見る。


 黒猫の姿はない。


「いないね」


「どこ行ったんだろ」


 ミナは残念そうに肩を落とした。


「せっかく仲良くなれると思ったのに……」


「一度も触らせてもらってないだろ」


「次は触らせてくれるかもしれないじゃん」


「次がある前提なんだな」


「あるよ」


 ミナは当然のように答えた。


「絶対また会える気がする」


 ルティスは、黒猫が消えた暗い通路を見た。


「…………」


 なぜだろう。


 自分も、そんな気がしていた。



 夕方。


 三人は町へ戻った。


 家のテーブルには、また地図が広げられている。


 ただし、昨日までとは違う。


 地図の余白に、新しい言葉が一つ加わっていた。


 ――狭間。


「明日、図書館行ってみる」


 ルティスが言った。


「俺も仕事が終わったら、今日の神殿について聞いてみる」


 カイルが答える。


「じゃあ私は?」


 ミナが尋ねる。


 ルティスとカイルが同時に見る。


「…………」


「なんで黙るの!?」


「何する?」


「何かするよ!」


「例えば?」


「……聞き込み」


「誰に?」


「いろんな人!」


「雑だな」


「ちゃんとやるもん!」


 また、いつもの声が家の中に響く。


 誰も気づかなかった。


 向かいの家の屋根。


 夕暮れの中。


 一匹の黒猫が、開いた窓を見つめていた。


 その視線の先には、ルティスがいる。


 黒猫の耳が、小さく動いた。


 ――やはり、間違いない。


 あの黒髪の女。


 あいつからする。


 自分たちの村でしか感じたことのない――


 狭間の匂いが。


 黒猫はしばらく、ルティスを見つめていた。


 そして静かに立ち上がる(・・・・・)。


 もう少しだけ、見てみることにした。


 ―― Chapter 1 END ――


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