Chapter17 星のない世界
空が、裂けていた。
夕暮れの赤と、深い紫の夜。
本来なら決して交わることのない二つの空が、飛行船の前方で重なり合っている。
裂け目の向こうには、見知らぬ光が瞬いていた。
その下には、巨大な建造物の影。
城にも、神殿にも見える。
幾重にも重なった石の環が、何もない空間に浮かび、ゆっくりと回転していた。
「……あれが、ASTRA?」
ルティスは甲板の手すりを握った。
「まだ境界だ」
隣から声がした。
振り返ると、黒い猫獣人が立っていた。
尖った耳。
金色の瞳。
長い尻尾。
首元には、見慣れた金色の鈴。
ポップだった。
「この先を越えれば、ASTRAに入る」
「……通れるの?」
「通れるはずだ。ただ、船ごと渡るのは初めてだからな」
「……ちょっと不安なんだけど」
「俺だって不安だよ」
ポップは尻尾を揺らした。
そのとき。
「……ちょっと待ちな」
背後から声がした。
リゼットだった。
船長服の裾を翻し、甲板を歩いてくる。
その隣にはシエナもいた。
「……あんた、誰?」
リゼットがポップを指差した。
「……は?」
「いや、だから。誰だって聞いてるんだよ」
ポップは少し呆れたように答えた。
「ポップだよ」
「…………は?」
リゼットの表情が固まった。
シエナも目を丸くする。
「……ポップ?」
「ああ」
「……あの黒猫の?」
「そうだって」
二人は顔を見合わせた。
そして、もう一度ポップを見る。
「……嘘でしょ?」
シエナが呟いた。
「嘘ついてどうするんだよ」
リゼットは腕を組み、ポップを頭から足先までじっくり眺めた。
「……へえ」
「なんだよ」
「耳があって、尻尾があって……」
「見りゃ分かるだろ」
「それに、ちゃんと手もあるじゃない」
「……まあな」
リゼットの目が細くなった。
「……ちょっと待ちな」
「今度はなんだよ」
「あんた、なんで今まで黙ってたの?」
「……は?」
「その姿になれるなら、船の仕事だってできるじゃない!」
「いや、そういう問題じゃ――」
「今まで散々、食っちゃ寝してたくせに!」
「俺だって色々やってただろ!」
「やってた? 何を?」
「……それは」
ポップが言葉に詰まる。
カイルが横で吹き出した。
「確かに、酒はよく飲んでたな」
「お前も一緒に飲んでただろ!」
シエナが楽しそうに笑った。
「じゃあ、これからは船員なんだ?」
「違う! 俺は船員じゃない!」
リゼットは満足そうに頷いた。
「よし、決めた!」
「……何を?」
「帰りは働いてもらうからね!」
「勝手に決めるなよ!」
「食事も酒も、ただじゃないんだよ!」
「……くそっ。こんなことなら黙ってりゃよかった」
「今さら遅い!」
甲板に笑い声が広がった。
ミナも笑っている。
ルティスは、そんな仲間たちを見つめながら小さく微笑んだ。
つい先ほどまで、ノアに奪われた宝玉のことが頭から離れなかった。
自分たちの選択が、本当に正しかったのか。
これから先、何が待っているのか。
分からないことばかりだった。
けれど。
こうして笑っていられる時間が、まだ残っている。
それが少しだけ嬉しかった。
「……帰り、か」
ルティスが小さく呟く。
リゼットが振り返った。
「何?」
「……ううん。何でもない」
リゼットは少しだけ首を傾げた。
そして、空の裂け目へ視線を戻す。
「さあ、お喋りはそこまで!」
彼女は声を張り上げた。
「全員、配置につきな! これから世界の境界を越えるんだ!」
シエナが空を見上げる。
「……いよいよ、ASTRAか」
ルティスも前方を見つめた。
そこに、エレナがいる。
「……行こう」
飛行船が、ゆっくりと境界へ向かって進み始めた。
裂け目が近づくにつれ、空気が変わり始めた。
風が、二つの方向から吹いている。
船首から吹きつける冷たい風。
そして、背後から押し寄せる温かな風。
互いにぶつかっているはずなのに、不思議なことに混ざり合わない。
「……変です」
ミナが呟いた。
「何が?」
ルティスが尋ねる。
「風が……二つあります」
「二つ?」
「こっちの世界の風と、向こうの世界の風。ぶつかっているのに、混ざってないんです」
ミナは手を伸ばした。
指先を、見えない何かが撫でていく。
「……まるで、別々の空があるみたい」
ポップが頷いた。
「実際、そうなんだろうな」
飛行船が、さらに裂け目へ近づいていく。
船体の金具が、低く軋んだ。
ルティスは胸元に手を当てた。
そこにはもう、ペンダントはない。
ノアに奪われた、七つの宝玉を示す羅針盤。
それでも、胸の奥には確かな感覚が残っていた。
Umbra。
影の力。
それは今も、彼女の中にある。
「……大丈夫か?」
カイルが尋ねた。
「……うん」
ルティスは頷いた。
「少し、緊張してるだけ」
「俺もだ」
「……カイルでも?」
「当たり前だろ。船ごと境界を越えるなんて、初めてなんだからな」
ルティスは少しだけ笑った。
「……そうだね」
そのとき。
「全員、何かに掴まって!」
リゼットの声が響いた。
「この先、風の流れが読めない! 振り落とされても助けに行けないからね!」
「……相変わらず容赦ないな」
カイルが呟く。
次の瞬間。
飛行船の船首が、裂け目に触れた。
音が消えた。
風の音も。
帆布の揺れる音も。
船員たちの叫び声さえも。
ルティスは、自分の身体が宙に浮いたような感覚に襲われた。
目の前が暗くなる。
足元の甲板が、遠ざかる。
「……っ!」
咄嗟に手すりを掴む。
だが、その手すりさえ、どこか現実味がなかった。
黒い影が、彼女の足元から伸びる。
船体へ。
帆柱へ。
仲間たちの足元へ。
ルティスは無意識にUmbraの力を広げていた。
そのとき。
暗闇の奥で、何かが動いた。
巨大な翼。
青白く輝く瞳。
金属の羽根を思わせる、黒い輪郭。
「……ヴァルグ?」
声に出した瞬間、影は消えた。
代わりに、低い声だけが響いた。
『境界を越える者よ』
ルティスは息を呑んだ。
『影は、どの世界にも存在する』
それが誰の声なのか、確かめる間もなかった。
突然、光が溢れた。
「ルティス!」
カイルの声。
ルティスは目を開いた。
甲板。
手すり。
仲間たち。
すべてが戻っていた。
だが、空の色だけが違っていた。
そこには、夜が広がっていた。
紫色の空。
遠くに浮かぶ、幾つもの淡い光。
巨大な岩塊。
崩れた建造物。
そして、何かの生き物。
そのすべてが、重力を忘れたように空中を漂っていた。
「……嘘だろ」
カイルが呟いた。
眼下には、広大な大地が広がっていた。
黒い森。
青白く光る川。
巨大な水晶のような山々。
そして、遠くに見える古い都市。
その建物の一部は崩れ、空中へ浮かび上がっていた。
「……綺麗」
ミナが小さく呟いた。
ルティスも、言葉を失っていた。
美しい。
けれど、どこか壊れている。
大地には深い亀裂が走り、その奥から紫色の光が漏れていた。
空の一部には、青い昼空が四角く切り取られたように浮かんでいる。
その向こうには、見覚えのある白い雲。
TERRAの空だった。
「……世界が、重なってる」
ルティスが呟いた。
ポップは黙って頷いた。
「ここが、ASTRAだ」
その声には、いつもの軽さがなかった。
リゼットが操舵室から叫ぶ。
「景色に見惚れるのは後! 船が落ちるよ!」
飛行船が大きく傾いた。
「何!?」
ミナが手すりにしがみつく。
船体の下を、青白い光が走った。
空気が急激に冷たくなる。
巨大な気流が、船を横から押し流していた。
「舵が利かない!」
リゼットの声が響く。
ルティスは空を見上げた。
船の周囲に、細かな光の粒が集まっている。
その一つが、甲板へ降りてきた。
「……?」
小さな生き物だった。
手のひらほどの大きさ。
透き通るような身体。
細長い首と、小さな翼。
風そのものを形にしたような、小さな竜。
「……竜?」
ミナが目を見開く。
生き物は彼女の周囲を一度だけ旋回した。
そして、再び空へ飛び立つ。
その瞬間、周囲の風が大きく変わった。
「……来る!」
ミナが叫んだ。
次の瞬間。
飛行船が、激しく揺れた。
着陸というより、墜落に近かった。
船体は広い草原へ滑り込み、何本もの木をなぎ倒して停止した。
巨大な気嚢は無事だったものの、船体の側面には深い傷が走っていた。
金属の軋む音。
折れた木材。
船員たちの怒鳴り声。
「……全員、生きてる!?」
リゼットが甲板を駆け回る。
「返事しな!」
あちこちから声が返ってきた。
幸い、重傷者はいないようだった。
ルティスは倒れた木箱を押しのけ、立ち上がった。
「……みんな、大丈夫?」
「俺は平気だ」
カイルも立ち上がる。
「私も……何とか」
ミナは額を押さえていた。
ポップは、転がった樽の上に座っていた。
「……ひどい運転だな」
「聞こえてるよ、ポップ!」
リゼットが怒鳴る。
「次はあんたが操縦しな!」
「俺にできるわけないだろ!」
いつものやり取りだった。
それだけで、ルティスは少し安心した。
リゼットは船体を見上げた。
「……しばらく飛べそうにないね」
「修理できる?」
ルティスが尋ねる。
「できるかどうかじゃない。やるしかないんだよ」
リゼットは腰に手を当てた。
「ただし、部品が足りない。こっちの世界で手に入るかも分からない」
ルティスは頷いた。
「……私たちは、先へ進む」
「分かってる」
リゼットは少しだけ表情を和らげた。
「エレナを迎えに来たんだろ?」
「……うん」
「だったら、行ってきな」
そして、すぐに厳しい顔へ戻った。
「ただし、帰ってくる場所はここだからね。忘れるんじゃないよ」
ルティスは小さく笑った。
「……ありがとう」
リゼットは頷き、船員たちへ向き直った。
「さあ、修理を始めるよ! ぼさっとしてる暇はないからね!」
シエナも甲板へ上がっていった。
「私も手伝う!」
「助かるよ、シエナ!」
ルティスは二人の背中を見つめた。
そして、カイルたちとともに森へ向かった。
飛行船から離れ、一行は森へ向かった。
先頭を歩くのはポップだった。
「……それにしても、静かだな」
カイルが周囲を見渡す。
「そうか?」
ポップは耳を動かした。
「俺には色々聞こえるぞ」
「猫だからか?」
「ネフィルだって何度言わせるんだよ」
「酒を飲んでるときは、ただのおっさんみたいだったけどな」
「お前だって大して変わらなかっただろ!」
ミナが小さく笑った。
ルティスも、少しだけ頬を緩める。
「……ねぇ、ポップ」
ミナがポップの横に来て話す。
「ん?」
「前から不思議だったんだけど、猫のときと今って服装が違うじゃない?」
「ああ、それか」
「今の装備って、普段どうしてるの?」
ポップは足を止めた。
黒い毛並みに覆われた身体には、使い込まれた革鎧。
肩や腕には、細かな装飾が施された黒鉄の防具。
腰にはいくつものベルトと小物入れ。
背中には、赤いローブが揺れている。
そして、両手には鋭い鉤爪を備えた籠手が装着されていた。
「……確かに」
ルティスも首を傾げた。
「猫の姿のときは、そんな鎧なんて着てなかったよね」
「当たり前だろ。猫の姿でこんなの着てたら歩けないぞ」
「じゃあ、どこにしまってるんだ?」
カイルが尋ねた。
ポップは得意げに笑った。
「こいつだよ」
そう言って、首元を指差した。
赤いローブの中央。
そこには、小さな金色の鈴が下がっていた。
「……鈴?」
ミナが顔を近づける。
「ああ。ラッキーベルっていうんだ」
「ラッキーベル?」
「俺のお気に入りさ」
ポップは指先で鈴を軽く弾いた。
――チリン。
澄んだ音が、森の中に響いた。
次の瞬間。
ポップの右腕を覆っていた籠手が、黒い影のようにほどけた。
「……えっ!?」
ミナが目を丸くする。
金属の装甲も、鋭い鉤爪も、細かな光となって鈴へ吸い込まれていく。
あとには、黒い毛に覆われた手だけが残った。
「……消えた!」
「収納したんだよ」
ポップはもう一度、鈴を鳴らした。
――チリン。
今度は紫色の光が腕を包み込む。
光が消えると、先ほどの籠手が元どおり装着されていた。
三本の鋭い鉤爪が、鈍い光を放つ。
「おお……!」
カイルが感心したように声を上げた。
「便利だな、それ!」
「だろ?」
ポップは満足そうに胸を張った。
「鎧も、大きめのローブも、鉤爪も。猫の姿になるときは全部こいつにしまってるんだ」
「じゃあ、その鈴の中に全部入ってるの?」
ルティスが尋ねる。
「そういうこと。もっとも、何でも入るわけじゃないけどな」
ミナは興味津々で鈴を見つめた。
「……それで、どうしてラッキーベルっていうの?」
「いい質問だ!」
ポップは得意げに胸を張った。
「こいつはな、幸運を呼ぶ鈴なんだよ」
「幸運?」
「ああ。危ない目に遭ったとき、ほんの少しだけ運が味方してくれる。まあ、必ず助かるってわけじゃないけどな」
「……それ、本当に鈴のおかげなのか?」
カイルが眉を上げた。
「おい、疑うなよ!」
「だってお前、さっき船から落ちかけてただろ」
「落ちなかっただろ?」
「俺が尻尾を掴んだからな」
「……だから、それも幸運のうちなんだよ!」
ミナが吹き出した。
「でも、素敵な鈴ですね。どこで手に入れたんですか?」
「ああ、これはな。俺の故郷でもらったんだ」
「故郷?」
「狭間にある村さ」
ポップは首元の鈴を軽く持ち上げた。
「俺たちの村では、初めて外の世界へ出るときに、このラッキーベルを授かるんだ」
「……みんな、もらえるの?」
ルティスが尋ねた。
「ああ。一人前になった証だな」
ポップは少し懐かしそうに笑った。
「外の世界は何が起こるか分からないだろ? だから村の連中が、無事に帰ってこられるようにって、こいつを持たせてくれるんだよ」
「……お守りみたいなものなんですね」
ミナが言った。
「そういうことだ。まあ、ちゃんと魔法の力もあるけどな」
カイルが鈴を覗き込んだ。
「じゃあ、お前の村の連中はみんな、そんな便利なものを持ってるのか?」
「それぞれ違うさ。持ち主に合わせて使い方も変わるんだ。俺の場合は装備の収納と、ちょっとした幸運ってところだな」
「へえ……」
ルティスは金色の鈴を見つめた。
「じゃあ、ポップにとっては大切なものなんだね」
「ああ」
ポップは笑った。
そして、いつもの調子で付け加える。
「もっとも、こいつがあっても酒代までは出てこないんだけどな!」
「そこは自分で稼げよ」
カイルが呆れたように言った。
「……帰りはリゼットに働かされるんだったな」
「思い出させるなよ!」
再び笑い声が広がった。
ポップが歩き出す。
首元で、金色の鈴が小さく鳴った。
――チリン。
それは、遠く離れた故郷から持ってきた、旅立ちの音だった。
森は、不思議な光に満ちていた。
木々の幹は黒に近い紫色。
葉は薄い銀色で、風に揺れるたび、細かな光を散らしていた。
地面には、青白く光る苔が広がっている。
ルティスは足元を見つめた。
「……綺麗」
そのとき。
苔の中で、小さな何かが動いた。
「……?」
丸い石。
いや、石に見えただけだった。
四本の短い脚。
小さな角。
背中には苔が生え、そこから小さな草が伸びている。
「……生きてる?」
ルティスがしゃがみ込む。
小さな岩獣は、ゆっくりと顔を上げた。
黒い瞳が、彼女を見つめる。
「……可愛い」
ルティスが手を伸ばすと、岩獣は小さく鼻を鳴らし、苔の中へ潜っていった。
「Gaiaの系統だな」
ポップが言った。
「……Gaia?」
「ああ。大地の力を持つ生き物だ」
少し進むと、木の枝に小さな獅子が座っていた。
身体は赤く、たてがみが炎のように揺れている。
その下では、透明な水蛇が細い川を泳いでいた。
遠くの岩場には、白銀の小さな鹿。
角の先から、淡い光が零れている。
さらに、崩れた石柱の上では、小さなガーゴイルが翼を広げていた。
その身体を、細い雷が走る。
「……すごい」
ミナが呟いた。
「みんな、宝玉の守護者に似てますね」
「同じ属性の力を持ってるからな」
ポップが答えた。
「でも、守護者そのものじゃない。ここで普通に暮らしている生き物たちだ」
ルティスは周囲を見渡した。
炎。
水。
大地。
風。
雷。
光。
そして、影。
七つの属性。
それぞれの力が、この世界の命を形作っている。
だが、その美しい森にも、異変は起きていた。
木々の一部が、途中から透けている。
地面には細い亀裂が走り、その奥に別の空が見える。
小さな岩獣が、亀裂の前で立ち止まっていた。
向こう側へ渡ろうとして、足を引っ込める。
その身体が、一瞬だけ揺らいだ。
「……あの子」
ルティスが呟く。
岩獣は、怯えたように鳴いた。
ポップの表情が曇った。
「……境界が、ここまで崩れてるのか」
「このままだと、どうなるの?」
ルティスが尋ねた。
「分からない」
ポップは亀裂を見つめた。
「でも、少なくとも……この森は今のままじゃいられない」
ルティスは、胸の奥が重くなるのを感じた。
ヴァルグの言葉が蘇る。
七つのNexus。
三つの世界を支える柱。
そして、人間としての姿を失う運命。
世界を守るために、誰かが犠牲になる。
それしか方法がないのだろうか。
「……別の方法を、見つけなきゃ」
ルティスは小さく呟いた。
カイルが隣に立つ。
「ああ」
ミナも頷いた。
「きっと、あります」
ポップは何も言わなかった。
ただ、静かに森の奥を見つめていた。
森を抜けると、古い都市の跡が広がっていた。
白い石造りの建物。
高い塔。
幾重にも重なる回廊。
かつては美しい街だったのだろう。
だが今は、多くの建物が崩れ、道には亀裂が走っていた。
その中央に、大きな水盤があった。
水は澄み切っている。
風もないのに、表面には小さな波紋が広がっていた。
「……誰かいる」
ミナが弓に手を伸ばした。
水盤の向こう。
崩れた柱の陰に、一人の少女が立っていた。
銀青色の髪。
透き通るような瞳。
淡い青を基調とした衣装。
その足元には、小さな水蛇が身体を丸めていた。
少女は、ルティスたちを警戒するように見つめていた。
「……あなたたち、誰?」
静かな声だった。
ルティスが一歩前へ出る。
「私たちは、TERRAから来たの」
少女の瞳が僅かに揺れた。
「……TERRA?」
「うん。人を探しているの」
「……誰を?」
ルティスは答えた。
「エレナ」
その名前を聞いた瞬間。
少女の表情が変わった。
「……もしかして」
彼女は、ルティスをじっと見つめた。
黒い髪。
紫色の瞳。
腰に下げた短剣。
「……あなた、ルティス?」
ルティスは驚いた。
「……え?」
「ルティス、でしょ?」
「そうだけど……どうして私の名前を?」
少女は、少しだけ安心したように息を吐いた。
「……やっぱり」
そして、静かに微笑んだ。
「エレナから、あなたの話を聞いていたの」
「エレナから……?」
「うん。何度も」
ルティスは言葉を失った。
エレナが、自分のことを話していた。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
「……エレナは、元気?」
少女はすぐには答えなかった。
その沈黙に、ルティスの表情が曇る。
「……何かあったの?」
「……会えば分かると思う」
少女は神殿の方角へ目を向けた。
「案内するね」
歩き出そうとして、ふと足を止める。
「あ、そうだ」
少女は振り返った。
「私、ルナ」
ルティスはその名前を繰り返した。
「……ルナ」
「よろしく、ルティス」
ルナは微笑んだ。
けれど、その笑顔にはどこか寂しさがあった。
神殿へ続く道は、静かだった。
ルナはほとんど喋らなかった。
時折、水盤や小さな川の近くで立ち止まり、何かを確かめるように目を閉じる。
そのたび、足元の水が淡く光った。
ルティスは、その様子を見つめていた。
「……あなたも、魔法を使うの?」
ルナは振り返った。
「……少しだけ」
「水の魔法?」
「……そう」
それ以上は答えなかった。
ポップが小さく呟く。
「……Aquaの力か」
ルナは聞こえなかったのか、反応しなかった。
やがて、一行は神殿の入口へ辿り着いた。
巨大な扉は半ば崩れ、内部には淡い光が満ちていた。
ルティスは息を呑んだ。
光。
それは、どこか懐かしいものだった。
かつて見た、Lumiaの光。
温かく。
静かで。
すべてを包み込むような輝き。
「……エレナ」
ルティスは、無意識に名前を呼んだ。
ルナが足を止めた。
「……ここから先は、気をつけて」
「どうして?」
「……光が、不安定なの」
ルナは神殿の奥を見つめた。
「エレナが、ずっと抑えてる」
ルティスは拳を握った。
「……行こう」
カイルが頷く。
ミナも、弓を背負い直した。
ポップは静かに尻尾を揺らした。
一行は、神殿の奥へ進んだ。
そこには、巨大な光の柱があった。
神殿の中央。
天井を突き抜けるほどの、白い光。
その周囲には、幾重もの魔法陣が浮かんでいた。
光は時折揺らぎ、細かな亀裂のようなものが走る。
そのたび、神殿全体が震えた。
そして。
光の柱の前に、一人の女性が立っていた。
銀色がかった、淡い紫色の髪。
白を基調とした衣装。
細い指先から、柔らかな光が溢れている。
彼女は、光の柱へ手をかざしていた。
ルティスは、その背中を見つめた。
何度も思い出した姿。
何度も、もう一度会いたいと願った人。
「……エレナ」
声が震えた。
女性の肩が、僅かに動いた。
ゆっくりと振り返る。
その瞳が、ルティスを捉えた。
「……ルティス?」
エレナは、信じられないという顔をした。
「……どうして、ここに?」
ルティスは、ゆっくりと歩み寄った。
「迎えに来たの」
エレナの瞳が揺れた。
「……私を?」
「うん」
ルティスは、手を差し出した。
「帰ろう、エレナ」
長い沈黙。
エレナは、差し出された手を見つめていた。
その瞳に、涙が浮かんだ。
「……ルティス」
小さく名前を呼ぶ。
そして。
エレナは、ゆっくりと首を横に振った。
「……ごめんなさい」
ルティスの表情が凍った。
「……どうして?」
エレナは、背後の光の柱を見上げた。
白い光が、静かに揺れている。
「……私がASTRAを離れたら」
その声は、震えていた。
「この場所が……崩れてしまう」
ルティスは、何も言えなかった。
差し出した手が、宙に残る。
エレナは、悲しそうに微笑んだ。
「……来てくれて、ありがとう」
そして。
「でも……私は、まだ帰れない」
神殿の奥で、光が大きく揺れた。
まるで、世界そのものが軋むように。
Chapter 17 ― 星のない世界 END




