Chapter12 雷を拒む者
雲が晴れた頃、二隻の飛行船は山間にある小さな空中港へ降り立った。
岩壁から張り出した木製の桟橋には、何隻もの飛行船が係留されている。巨大な滑車が回り、荷物を積んだ昇降機が上下していた。
王家の飛行船は、右舷の手すりと船首の金具を損傷していた。
飛行船も、帆を支える索具の一部が切れている。
どちらも、すぐには出航できそうになかった。
「さて、と」
リゼットは桟橋へ降りると、腰に手を当てて二隻の船を見比べた。
「見事にやってくれたねえ」
シエナはその隣で腕を組んでいた。
「……悪かったわよ」
「別に怒っちゃいないさ。あんたがわざとやったんじゃないことくらい、分かってる」
「じゃあ何?」
「修理代をどうするか考えてる」
「結局それじゃない!」
リゼットは声を上げて笑った。
少し離れたところで、ミナがルティスに囁く。
「なんか、すごい船長さんだね」
「うん」
「でも、悪い人じゃなさそう」
ルティスもそう思っていた。
リゼットは港へ到着するなり、王家の飛行船の修理まで手配していた。費用については散々文句を言っていたが、作業員には十分な報酬を約束している。
その姿を見ていたカイルが、リゼットへ歩み寄った。
「修理費はこちらでも負担する」
「おや、話が分かるじゃないか」
「こちらが追いかけたのも原因だからな」
「そう言ってもらえると助かるよ。王家の船を壊したなんて噂が広まったら、また面倒なことになる」
「また?」
ミナが首を傾げた。
リゼットはにやりと笑った。
「世の中、自由に空を飛んでるだけで気に入らない連中もいるのさ」
それ以上は説明しなかった。
夕方。
ルティスたちは飛行船へ招かれた。
甲板には積み荷を固定するための金具が並び、船縁には何度も補修した跡が残っていた。
決して新しい船ではない。
だが、隅々まで手入れが行き届いている。
「ようこそ、あたしの城へ!」
リゼットが両手を広げた。
「飛行船だ。見た目は少々古いけど、そこらの新造船には負けないよ」
「立派な船ね!」
ミナが嬉しそうに辺りを見回す。
「でしょ? 分かる子は好きだよ!」
リゼットは満足げに頷いた。
「ただし、食事と寝床は有料だ」
「ええっ!?」
「商売だからね!」
カイルが苦笑する。
「本当に抜け目がないな」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
そのとき、ミナの肩からポップが顔を上げた。
「酒はあるのか?」
リゼットの動きが止まった。
「……今、喋った?」
「酒はあるのかと聞いた」
リゼットは数秒間ポップを見つめたあと、豪快に笑った。
「あっはっは! 面白い客だねえ!」
「面白がるな!」
「あるよ。麦酒なら樽で積んでる」
「よし。気に入った」
「おいおい、まだ飲ませるとは言ってないよ」
ポップが不満そうに尻尾を振る。
そんな様子を、シエナは甲板の端から眺めていた。
先ほどまでの戦闘が嘘のように、船は賑やかだった。
だが、シエナの表情は晴れない。
右腕に巻かれた黒い包帯。
その下では、今も微かな痛みが続いていた。
「シエナ」
声をかけたのはルティスだった。
「少し、話せる?」
シエナは振り返る。
「……宝玉のこと?」
「うん」
「だったら、ここでいいわ」
ルティスは頷いた。
そして、腰の小袋から紫色の宝玉を取り出した。
球体の表面に、淡い光が揺れている。
シエナの右腕が、僅かに反応した。
「……それがVolt」
「そう」
「どうして、あんたが持ってるの?」
「以前の旅で手に入れたものなの」
シエナは宝玉を見つめた。
「で、それが私を追いかけてきたってわけ?」
「正確には、この宝玉を導くペンダントがあなたのいる方角を示していたの」
「……迷惑な話ね」
ルティスは否定しなかった。
シエナは右腕を押さえる。
「これのせいで、さっきみたいなことが起きるなら、近づけないでほしいんだけど」
「分かった」
ルティスは宝玉を小袋へ戻した。
あまりにもあっさり引き下がったので、シエナは少し驚いたようだった。
「……それだけ?」
「嫌がってるのに、無理に見せる理由はないから」
シエナは何も言わなかった。
しばらくして、視線を空へ戻す。
「……変わってるわね、あんた」
夜。
飛行船の食堂には、温かな料理の匂いが漂っていた。
長い木製のテーブルを囲み、船員たちが賑やかに食事をしている。
リゼットはその中心で、大きな杯を掲げていた。
「今日は無事に港へ着いた! それだけで十分めでたいじゃないか!」
「船長、次は何処へ?」
「明日のあたしに任せる!」
船員たちから笑い声が上がる。
ミナもすっかり打ち解けていた。
ポップはリゼットの隣に陣取り、小さな器に注がれた麦酒を満足そうに眺めている。
「……いい船だな」
カイルが呟いた。
ルティスも頷く。
船員たちはリゼットを恐れていない。
むしろ、彼女を中心に一つの家族のような空気ができていた。
ただ一人。
シエナの姿がなかった。
「シエナなら外だよ」
リゼットが言った。
ルティスが顔を上げる。
「あの子、騒がしい場所が嫌いってわけじゃないんだけどね。考え事があると、すぐ甲板に出ちまう」
「……そうなんだ」
「まあ、今夜はそっとしといてやっておくれ」
リゼットは杯を置いた。
「代わりに、あたしが少し話そうか」
食事のあと、ルティスとリゼットは甲板へ出た。
夜の空中港には、幾つもの灯りが浮かんでいた。
遠くでは修理用の昇降機が動き、金属を打つ音が響いている。
リゼットは船縁にもたれ、夜空を見上げた。
「シエナと出会ったのは、三年ほど前だったかな」
ルティスは黙って耳を傾けた。
「ヴァルディアの近くで荷物を運んでたときさ。街道沿いの宿で、あの子を見つけた」
「一人だったの?」
「ああ。荷物もほとんど持たずにね。ずいぶん疲れた顔をしてたよ」
リゼットは小さく笑った。
「護衛を探してるって話をしたら、あの子が名乗り出たんだ。腕には自信があるって」
「それで雇ったの?」
「最初は断ったさ。あんな顔をした子を危険な仕事に連れていく気にはなれなくてね」
「でも、結局連れてきた?」
「あの子、翌朝まで船の前で待ってたんだよ」
リゼットは肩をすくめた。
「仕方なく、一つだけ仕事を任せた。そしたら、驚くほど槍が上手くてね」
風が二人の間を抜けた。
「ただ、雷の力だけは絶対に使おうとしなかった」
ルティスが顔を上げる。
「……どうして?」
「本人から聞いた話じゃない部分もあるけどね」
リゼットの声が少し静かになった。
「昔、ヴァルディアで大きな事故があったらしい。あの子、力が制御できなくなって、周囲を巻き込んだらしいんだ」
「……」
「そこで、大切な人を亡くしたそうだよ」
ルティスはシエナの右腕を思い出した。
黒い包帯。
その下に残る、紫色の雷痕。
「自分のせいだって、今でも思ってるんだろうね」
リゼットは船縁を軽く叩いた。
「でもさ。あの子、誰かが危ない目に遭うと真っ先に飛び出すんだ」
「……うん」
「一度、荷崩れで船員が落ちかけたことがあってね。あの子、迷わず力を使ったんだよ。雷光が落ちる荷物を砕いて、その船員を助けた」
「怖くなかったのかな」
「怖かったと思うよ。助けたあと、しばらく右手が震えてたからね」
リゼットはルティスを見る。
「シエナは自分の力が嫌いなんだ。でも、あたしはその力に何度も助けられてる」
そして、少し笑った。
「少なくとも、あたしはあの子の力を嫌いになれないね」
ルティスは夜空を見上げた。
宝玉を受け入れたアッシュ。
宝玉を恐れるシエナ。
二人とも、誰かを守ろうとしている。
けれど、その力との向き合い方はまるで違っていた。
「……ありがとう、リゼット」
「礼を言われるほどの話じゃないさ」
リゼットは肩をすくめた。
「ただ、あの子を宝玉のためだけに見ないでやってほしいんだ」
「うん」
ルティスは静かに頷いた。
「そのつもりだよ」
翌朝。
シエナは甲板の端で、右腕の包帯を巻き直していた。
古い包帯を外すと、肩から手首にかけて紫色の傷痕が現れる。
細い枝が幾つも分かれたような、不規則な模様。
雷に焼かれた痕のようだった。
その一部が、淡く光っている。
「……まだ、反応してる」
シエナは眉をひそめた。
昨夜、ルティスが宝玉をしまってからも、右腕の疼きは消えなかった。
足音が聞こえた。
「シエナ」
ルティスだった。
「……また、あんた?」
「少しだけ、いい?」
シエナは包帯を巻き終えると、立ち上がった。
「何?」
ルティスは小袋を手にしていた。
シエナの表情が曇る。
「昨日も言ったけど、私は――」
「無理に渡すつもりはないよ」
ルティスは言った。
「ただ、一つだけ話しておきたくて」
シエナは腕を組んだ。
ルティスは、アッシュのことを話した。
数年前の火災で命を落としたこと。
Ignisの力によって、今も動き続けていると考えられること。
そして、自分の意思で宝玉を受け入れたこと。
シエナは最後まで黙って聞いていた。
「……それで?」
「その人は、宝玉を受け入れることを選んだ」
「力が欲しかったの?」
「違うと思う」
ルティスは答えた。
「大切な人を守りたかったんだと思う」
シエナは目を伏せた。
「……だったら、なおさら嫌ね」
「どうして?」
「守りたいって思っても、守れるとは限らないから」
その声には、怒りよりも苦い後悔が滲んでいた。
「強い力があれば何でもできるって、昔は思ってた」
シエナは右腕に触れた。
「でも、違った。力が強すぎれば、守りたいものまで壊してしまう」
ルティスは何も言わなかった。
「私は、もう二度とあんな思いをしたくない」
シエナが顔を上げる。
「だから、その宝玉はいらない」
はっきりとした声だった。
ルティスは小袋を開き、Voltを取り出した。
紫色の球体が、朝の光を受けて輝く。
シエナの右腕に、細い雷が走った。
だが、彼女は動かなかった。
「この宝玉が、あなたに反応してるのは確かだと思う」
ルティスは言った。
「でも、受け取るかどうかはあなたが決めて」
「……」
「私は、無理に受け入れてほしいとは思わない」
シエナは宝玉を見つめた。
その内部で、小さな雷が幾度も瞬いている。
まるで、手を伸ばすのを待っているようだった。
だが。
「……いらない」
シエナはもう一度言った。
「私は、今のままでいい」
ルティスは宝玉をしまった。
「分かった」
それだけだった。
シエナは少し拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「……本当に、それでいいの?」
「うん」
「あなたの目的が果たせないんじゃないの?」
「そうだね」
「だったら……」
シエナは言葉を止めた。
ルティスは小さく笑った。
「だからって、あなたの人生を決めていいわけじゃないから」
シエナはしばらくルティスを見つめていた。
やがて、ふっと息を吐く。
「……変な人」
「昨日も言われた」
「そうだった?」
「うん」
シエナは少しだけ笑った。
初めて見せる、警戒のない表情だった。
昼前、飛行船の修理が終わった。
王家の船長が船体を確認し、ルティスたちへ報告する。
「航行に問題はありません。いつでも出航できます」
「ありがとう」
ルティスが礼を言う。
そのとき、背後からリゼットの声が響いた。
「ちょっと待ちな!」
振り返ると、リゼットが大股で歩いてきた。
後ろにはシエナもいる。
「聞いたよ。あんたたち、まだ旅を続けるんだって?」
「うん」
「次はどこへ行くつもりだい?」
ルティスは少し考えた。
「まだ、はっきり決まってない」
Voltはシエナを示していた。
だが、彼女は宝玉を受け入れなかった。
ペンダントも、今は次の行き先を示していない。
「だったら、しばらくうちの船に乗らないかい?」
リゼットが言った。
「え?」
ミナが目を輝かせる。
「いいの!?」
「もちろん。ただし、客としてじゃないよ」
リゼットはにやりと笑った。
「船の仕事を手伝ってもらう。荷運び、見張り、掃除。やることはいくらでもあるからね」
「……なるほど」
カイルが苦笑した。
「働き手が欲しいわけか」
「お互い得する話だろ?」
リゼットは悪びれない。
「こっちは人手が増える。あんたたちは空を移動できる。悪くない取引じゃないか」
ルティスはシエナを見た。
「あなたは、それでいいの?」
シエナは肩をすくめた。
「船長が決めたなら、私は別に」
そして、少し間を置く。
「……まあ、あんたたちが何を探してるのか、少し気にはなるけど」
ミナが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、よろしくね! シエナ!」
「……まだ仲良くなったつもりはないんだけど」
「えー、いいじゃない!」
ミナがシエナの腕に触れようとする。
シエナはさっと身を引いた。
「ちょっと、近い!」
「照れてる?」
「違う!」
リゼットが豪快に笑った。
「あっはっは! 賑やかになりそうだねえ!」
その足元で、ポップが尻尾を立てた。
「俺は賛成だ。ここの酒は悪くない」
「ポップちゃん、飲みすぎないでね」
「だから、ちゃんを付けるな!」
笑い声が甲板に広がった。
ルティスは飛行船を見上げた。
傷だらけの船体。
風に揺れる帆。
そして、そこに集まった人々。
まさか飛行船で旅をするとは思ってなかった。
けれど、悪くないと思った。
その夜、飛行船は、空中港に停泊したままだった。
翌朝には出航予定だ。
船内の灯りが一つ、また一つと消えていく。
シエナは自分の寝台に腰を下ろしていた。
右腕の包帯を外す。
紫色の雷痕が、暗い部屋の中で淡く浮かび上がった。
「……どうして」
指先で傷痕に触れる。
これまでも、雷が暴れることはあった。
だが、今日の感覚は違っていた。
力が溢れたのではない。
何かに、引き寄せられた。
あの宝玉を見たとき。
胸の奥に、奇妙な懐かしさがあった。
まるで、ずっと昔から知っていたものに出会ったような。
「……知らないわよ、あんなもの」
シエナは呟いた。
その瞬間、右腕の傷痕に、紫色の光が走った。
「っ……!」
反射的に腕を押さえる。
光はすぐに消えた。
だが、痛みは残っていなかった。
シエナはゆっくりと手を離した。
包帯の下に隠してきた傷。
忌まわしい過去の証。
それが今夜は、いつもと違って見えた。
「……私には必要ない」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
同じ頃、ルティスは船室の窓辺に座っていた。
手のひらには、Voltの宝玉。
紫色の球体は、静かな光を宿している。
アッシュはIgnisを受け入れた。
シエナはVoltを拒んだ。
そのどちらも、自分で決めたことだった。
ルティスは宝玉を小袋に戻した。
そして、ペンダントへ視線を落とす。
IgnisとUmbraの場所は、色を失っている。
だが、Voltの光はまだ消えていなかった。
ペンダントを少し動かす。
紫色の光が、船内のある方向へ向く。
シエナのいる方角だった。
「……行き先は変わることないか」
ルティスは小さく呟いた。
宝玉は答えない。
ただ、淡く輝き続けていた。
窓の向こうでは、夜の雲がゆっくりと流れている。
明日、飛行船は再び空へ出る。
その先に何が待っているのか。
まだ、誰にも分からなかった。
けれど一つだけ、ルティスは心に決めていた。
宝玉が誰を求めようとも。
その人の意思を、奪うことだけはしない。
遠くで、船の鐘が鳴った。
静かな夜空に、その音が溶けていった。
Chapter 12 ― 雷を拒む者 END




