第三十話 絶体絶命
森は完全に戦場と化していた。
剣戟。
咆哮。
怒号。
悲鳴。
血の臭いが風に乗って広がっていく。
辺境騎士団は善戦していた。
いや。
十分すぎるほど戦っていた。
それでも。
押されていた。
「第二列! 前へ!」
隊長の怒号が響く。
前衛が下がる。
後衛が前へ出る。
負傷者は後方へ。
教本通りの動きだった。
だが。
魔物の数が減らない。
ゴブリンを倒す。
その後ろからまた一匹。
牙狼を斬る。
その横からさらに二匹。
終わりが見えない。
「くっ……!」
ルセリがゴブリンを斬り伏せる。
その肩には既に浅い裂傷が二つ。
額からも血が流れていた。
「ルセリ!」
「大丈夫!」
そう答える声にも余裕はない。
カイゼルも同じだった。
肩の傷は少しずつ痛みを増している。
剣を握る腕が重い。
息も荒い。
訓練では味わったことのない疲労だった。
「右だ!」
騎士の叫び。
黒い牙狼。
希少個体。
三頭同時。
「散開!」
隊長が命じる。
だが。
黒い牙狼は途中で進路を変えた。
一頭が囮。
残る二頭が側面へ回り込む。
「なっ……!」
騎士たちの陣形へ食い込む。
連携。
完全な連携だった。
「魔物が……考えている……?」
誰かが震える声で呟いた。
その瞬間。
ゴブリンたちも一斉に動きを変える。
前衛へ突撃していた群れが左右へ散開し始めた。
コボルトが木の上へ飛び乗る。
牙狼が足止めをする。
後方では石が飛ぶ。
まるで。
軍隊だった。
「あり得ん……!」
アルトゥスが歯を食いしばる。
「こんな統率は魔物にはない!」
辺境伯自ら剣を振るう。
一撃。
二撃。
ゴブリンが吹き飛ぶ。
牙狼を斬り伏せる。
さすが辺境最強の騎士。
だが。
それでも押し返せない。
「グラム!」
アルトゥスが叫ぶ。
「分かっている!」
老人が前へ出る。
巨大な剣を大きく振り上げた。
「退けぇぇぇぇぇ!!」
轟音。
剣圧だけで前方の魔物が吹き飛ぶ。
木々が倒れ。
地面が抉れた。
闘気を纏った一撃。
圧倒的だった。
だが。
希少個体だけは耐えた。
黒い牙狼は着地すると、再び低く構える。
グラムの表情から笑みが消える。
「しぶといな……」
一方。
エルネストは静かに杖を掲げていた。
老人の周囲へ膨大な魔力が集まる。
空気が震える。
「全員下がりなさい」
静かな声だった。
しかし。
誰も逆らわない。
王国最高峰の魔導士。
その一言だけで騎士たちは一斉に距離を取る。
老人はゆっくりと詠唱を始めた。
「光よ」
「天より裁きの槍となり」
「愚かなる者を貫け」
魔法陣が展開する。
淡い黄金色。
複雑な術式が幾重にも重なり合い、森全体を優しく照らしていく。
カイゼルは目を見開いた。
これほど精密で、美しい魔法陣を見るのは初めてだった。
「ルミナスランサー」
中級魔術。
次の瞬間。
空中へ十数本の巨大な光の槍が出現した。
一本一本が大樹ほどもある。
静かに。
ゆっくりと。
切っ先が魔物たちへ向く。
そして。
一斉に降り注いだ。
轟音。
光が森を包む。
槍が地面へ突き刺さるたび、大地が揺れ、爆発が巻き起こる。
ゴブリンが吹き飛ぶ。
牙狼が消し飛ぶ。
コボルトが悲鳴を上げる。
正確無比。
一切の無駄がない。
まるで天から神の槍が降ってきたかのようだった。
あまりの光景に。
カイゼルもルセリも言葉を失う。
「これが……」
「中級魔術……」
土煙が森を覆う。
静寂。
誰も動かなかった。
やがて。
隊長が小さく呟く。
「終わった……か?」
その時だった。
煙の奥。
コツ。
コツ。
コツ。
誰かが歩いてくる。
煙がゆっくり晴れる。
そこに立っていたのは。
一人の男だった。
人によく似た姿。
黒い髪。
浅黒い肌。
額から一本だけ伸びた黒い角。
黄金色の瞳。
その姿を見た瞬間。
誰もが理解する。
人ではない。
男は肩へ積もった砂埃を軽く払った。
傷一つない。
エルネストの中級魔術を。
真正面から受けたにもかかわらず。
「……ほう」
男は静かに笑う。
「人間にも、この程度の魔術師はいるのですね」
エルネストの表情が変わる。
「……魔人族」
男は軽く一礼した。
「初めまして」
「私はベルゼイン」
「魔王軍所属の下級魔人です」
騎士たちがざわめく。
魔人族。
それだけでも伝説の存在だった。
それが目の前で言葉を話している。
ベルゼインは騎士たちを一瞥すると、ゆっくり右手を掲げた。
「礼を受けたままでは失礼ですね」
その瞬間。
空気が変わる。
魔力。
圧倒的な魔力。
周囲の木々が軋み始める。
地面が震える。
カイゼルの全身に鳥肌が立った。
今まで感じたことのない質の魔力だった。
エルネストが目を見開く。
「馬鹿な……」
老人の声が震える。
「その魔力量は……!」
ベルゼインは静かに詠唱を始める。
「古き終焉の炎よ」
「万象を灰へ還せ」
空が赤く染まる。
雲が渦を巻き始める。
巨大な魔法陣が、ゆっくりと空いっぱいに広がっていく。
エルネストの顔色が完全に変わった。
「そんな……」
「あり得ません……」
老人の手がわずかに震える。
「まさか……」
「下級魔人が……」
「上級魔術を……?」
その一言に。
騎士たちの顔から血の気が引いた。
グラムも思わず空を見上げる。
アルトゥスは剣を握る手に力を込めた。
誰一人として。
そんな話は聞いたことがなかった。
ベルゼインは静かに微笑む。
「──プロメテウスノヴァ」
詠唱が完成する。
その瞬間。
天が。
ゆっくりと燃え始めた。
そして。
雲の向こうから。
灼熱の終焉が姿を現そうとしていた。




