第二十七話 魔物の異変
異変が最初に報告された時、辺境伯領の誰もそれを深刻には受け止めなかった。
農村の近くでゴブリンが目撃された。
ただそれだけだったからだ。
辺境では珍しい話ではない。
魔界との境界線を抱える土地である以上、低級魔物が現れることなど年に何度もある。騎士団が出動し、討伐し、村人たちが安心し、また日常へ戻る。
いつもの流れだった。
ところが今回は違った。
一週間後には別の村から報告が上がった。
さらにその数日後には南側の集落でも目撃情報が出た。
問題は数ではない。
場所だった。
辺境で長く生きる者ほど、その異常さに気付く。
魔物たちは本来現れない場所に現れていた。
まるで何かから逃げるように。
あるいは何かに追われるように。
森の奥から押し出されているようだった。
執務室へ集まった騎士たちの表情も重い。
地図の上には赤い印が増え続けている。
アルトゥスは腕を組んだまま報告を聞いていた。
「牙狼が三体」
「コボルトが七体」
「ゴブリンの群れも確認されています」
報告する騎士の声は落ち着いていたが、その目には僅かな緊張があった。
牙狼もコボルトも低級魔物である。
単体なら騎士一人で十分討伐可能だ。
しかし問題は出現地点だった。
「国境から離れ過ぎているな」
アルトゥスが静かに言った。
誰も反論しない。
それが全員の考えだった。
魔界との境界線から百キロ近く離れている。
普通ならあり得ない。
何かがおかしい。
だが何がおかしいのかまでは分からない。
それが不気味だった。
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討伐隊が編成されたのは翌日だった。
騎士団第三中隊を中心とした小規模部隊。
大規模討伐ではない。
あくまで状況確認を兼ねた警戒行動。
本来ならカイゼルに出番はなかった。
本来なら。
「グラム師匠」
朝の訓練場。
木剣を振り終えたカイゼルは水を飲んでいる老人へ声を掛けた。
グラムは振り向きもしない。
「駄目だ」
カイゼルはまだ何も言っていなかった。
「まだ何も言っていません」
「討伐へ行きたいんだろう」
「はい」
「駄目だ」
老人は即答した。
カイゼルは少し考える。
そして言葉を選んだ。
「師匠は十五歳の頃、実戦経験はありましたか」
グラムが黙る。
嫌な沈黙だった。
どうやらあったらしい。
「ありましたね」
「……あった」
「私は駄目ですか」
グラムは盛大にため息を吐いた。
実に面倒な弟子だった。
理屈を覚えてから余計に面倒になった気がする。
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結局、同行は許可された。
もちろん条件付きで。
騎士団の後方支援。
勝手な行動禁止。
戦闘は最低限。
そしてグラム自身が同行すること。
その条件でようやく許可が下りた。
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出発当日。
騎士団の集合場所へ向かったカイゼルは思わず足を止めた。
そこにいたからだ。
ルセリが。
しかも普通に装備まで整えて。
「なぜいる」
カイゼルが聞く。
「なぜ来たの?」
ルセリが聞き返す。
「私は許可をもらった」
「私ももらった」
「本当に?」
「本当に」
どうやら騎士団長である父を説得したらしい。
その事実にカイゼルは少しだけ感心した。
自分なら面倒で諦めている。
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昼頃。
討伐隊は森へ入った。
そこで初めて、カイゼルは違和感を覚える。
静かだった。
異常なほどに。
風は吹いている。
木々も揺れている。
だが鳥の鳴き声が聞こえない。
虫の羽音も少ない。
森そのものが息を潜めているようだった。
前を歩く騎士たちも会話をしない。
誰もが周囲を警戒している。
その空気が伝わってくる。
訓練とは違う。
演習とも違う。
誰も手加減してくれない場所。
失敗すれば死ぬ場所。
カイゼルは無意識に剣の柄へ手を置いた。
その時だった。
前方から鋭い声が響く。
「止まれ!」
隊列が止まる。
空気が張り詰める。
そして。
森の奥。
薄暗い木々の隙間。
そこに赤い光が見えた。
一つではない。
二つでもない。
十。
二十。
もっとだ。
無数の赤い瞳がこちらを見ていた。
初めての実戦が始まろうとしていた。




