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第十三話 五つの道

「坊主」


その日の訓練は、いつもと違っていた。


木剣を渡されない。


走れとも言われない。


構えろとも言われない。


グラムは訓練場の中央に立ち、砂地へ木剣を突き立てていた。


夕陽が傾き始めている。


昼間の熱気は薄れ、乾いた風が訓練場を吹き抜けていた。


カイゼルは警戒した。


こういう時ほど、だいたいろくなことにならない。


「今日は座学だ」


「……師範が?」


「何だ、その顔は」


「いえ。殴られない日もあるのだなと」


「殴ってほしいなら殴るぞ」


「座学でお願いします」


カイゼルは素直に地面へ座った。


珍しく、本当に素直だった。


闘気について学べるなら、多少の座学は我慢できる。


グラムはそんな弟子を見て、少しだけ笑った。


「闘気には五つの道がある」


そう言って、砂の上へ五本の線を引く。


カイゼルは身を乗り出した。


「五つ」


「そうだ」


グラムは一本目の線を木剣の先で叩いた。


「まず強化」


「強化」


「最も基本で、最も重要な技術だ」


グラムは自分の腕を軽く叩く。


「身体能力そのものを高める。筋力、速度、持久力、反応速度。剣士が剣士であるための土台だ」


カイゼルは頷いた。


これは何となく分かる。


グラムが速いのも。


父アルトゥスが強いのも。


まずこれがあるからだ。


「ただ力を込めるのとは違うのですか?」


「違う」


グラムは即答した。


「力任せはすぐ壊れる。筋も骨も、呼吸も、剣筋もな」


「闘気なら壊れない?」


「扱いを誤れば壊れる」


「怖いですね」


「だから鍛える」


結局そこに戻るらしい。


カイゼルは少し嫌な顔をした。


グラムは気にせず、二本目の線を叩く。


「次に付与」


「武器に流すやつですね」


「そうだ。武器や防具へ闘気を流す。剣を鋭くし、鎧を硬くし、矢を速くする。騎士の主戦力だ」


グラムは突き立てていた木剣を引き抜いた。


そして軽く闘気を流す。


すると、ただの木剣が淡く光った。


派手な光ではない。


だが空気が変わった。


木でできたはずの剣が、まるで鋼のような重みを持つ。


カイゼルは思わず身を乗り出した。


「かっこいいですね」


「そうだろう」


グラムは少し嬉しそうだった。


珍しい。


本当に珍しい。


「だが、付与は見た目ほど簡単ではない」


「流すだけではないのですか?」


「流しすぎれば武器が壊れる。弱すぎれば意味がない。偏れば折れる。斬る瞬間だけ強める者もいれば、常に薄く纏わせる者もいる」


「制御が大事なのですね」


「そうだ」


カイゼルは水晶の中に灯った五つの弱い光を思い出した。


魔法も同じだ。


強さだけではない。


流し方。


使い方。


組み合わせ方。


それが大事になる。


そんな気がした。


グラムは三本目の線を叩く。


「三つ目は感知」


「感知」


「敵を見るのではない。感じるのだ」


グラムは目を閉じる。


「殺気。気配。闘気の流れ。呼吸。足運び。視線。剣を振る前のわずかな揺らぎ」


「それは目で見るのでは?」


「目だけでは遅い」


グラムは静かに言った。


「強い相手ほど、見えてからでは間に合わん」


カイゼルは黙った。


何度も吹き飛ばされた理由が、少し分かった気がした。


自分は見てから動いている。


グラムはそれより前に動いている。


だから速い。


いや。


速く見える。


「難しそうですね」


「難しい」


グラムは即答した。


「俺も完璧ではない」


「師範でも?」


「俺でもだ」


その言葉は重かった。


グラムが簡単に自分の不足を認めるとは思わなかったからだ。


「感知を極めた者は、背後からの矢も避ける。暗闇でも戦える。気配だけで敵の数を読む」


「反則では?」


「戦いは大抵反則の押し付け合いだ」


カイゼルは妙に納得した。


前世の商売も似たようなものだった。


四本目。


グラムの声が少し低くなる。


「放出」


その言葉だけで、カイゼルの目が輝いた。


「達人の領域だ。闘気を身体の外へ放つ」


「剣気ですか」


「そうだ。剣気、衝撃波、遠距離攻撃。剣士が城壁を斬る伝説は、大抵これだ」


「やりたいです」


「まず十年鍛えろ」


「長いですね」


「短い方だ」


グラムは笑った。


「放出は誤魔化しが効かん。闘気の量、密度、方向、形。その全てを制御する必要がある。力任せに放てば散るだけだ」


「散る?」


「風に投げた砂のようにな」


カイゼルは砂地を見る。


確かに、ただ撒くだけでは意味がない。


一点へ集める。


形を与える。


狙った場所へ届かせる。


つまり、出力だけでなく制御。


またそこだった。


そして。


最後の一本。


グラムはしばらく黙った。


木剣の先が、五本目の線の上で止まる。


夕陽が長い影を作っている。


訓練場から音が消えたような気がした。


「最後は神授だ」


カイゼルは首を傾げる。


「神様から貰うのですか?」


「そう呼ばれているだけだ」


グラムは少し遠くを見た。


まるで昔の戦場を思い出しているようだった。


「神授は闘気の技術ではない」


「技術ではない?」


「才能でもない。血統とも少し違う。生まれながらに宿る特異な力だ」


カイゼルは真剣に聞いていた。


グラムがここまで慎重に話すのは珍しい。


「王国建国王アレクシウス」


グラムは静かに言う。


「神授によって味方全軍の闘気を高めたと言われている」


カイゼルは目を丸くした。


「全軍ですか?」


「伝説ではな」


「反則ですね」


「反則だ」


グラムは続ける。


「剣聖ヴァルガン。闘気そのものを雷へ変えた男だ」


カイゼルの目がさらに輝く。


「それは格好いい」


「格好いいだけで済めばよかったがな」


「どういう意味ですか?」


「一人で騎兵隊を壊滅させた」


「やはり反則ですね」


「だから剣聖だ」


グラムは五本目の線を見つめる。


「聖女レオナ。触れるだけで傷を癒した」


「闘気で治すのですか?」


「神授だ。理屈は分からん」


「便利ですね」


「便利などという言葉で済む力ではない」


グラムの声が少しだけ硬くなった。


「神授を持つ者は、英雄になることもある。化け物と呼ばれることもある。国に利用されることもある。戦争の火種になることもある」


カイゼルは黙った。


初めて、神授という言葉の重さが分かった気がした。


強い。


格好いい。


便利。


それだけではない。


持っているだけで、人生が変わる力なのだ。


しばらく沈黙が続く。


やがてカイゼルが聞いた。


「師範は?」


グラムは少しだけ眉を上げた。


「俺か」


「神授があるのですか?」


「少しだけな」


グラムは木剣を持つ。


ゆっくりと構える。


闘気が流れる。


強化でもない。


付与でもない。


放出でもない。


何かが違った。


その瞬間だった。


カイゼルの背筋が凍る。


空気が変わる。


呼吸が浅くなる。


身体が動かない。


目の前の老人が、


突然、


巨大な山のように見えた。


勝てない。


絶対に。


絶対に勝てない。


本能がそう叫んでいる。


額から汗が流れる。


木剣を握る手が震える。


逃げたい。


今すぐ逃げたい。


だが足が動かない。


たった数秒。


それだけだった。


グラムが力を解く。


世界が元に戻る。


風が戻る。


夕陽が戻る。


呼吸が戻る。


カイゼルは大きく息を吐いた。


自分が息を止めていたことに、その時ようやく気付いた。


「今のは」


声が震えていた。


「威圧」


グラムは静かに答える。


「俺の神授だ」


「相手の闘志を削る」


「ただそれだけだ」


カイゼルは信じられなかった。


ただそれだけ。


そう言った。


だが今の数秒で、自分は完全に戦意を失っていた。


身体ではなく。


心を斬られたような感覚だった。


「強いじゃないですか」


「弱い方だ」


グラムは肩をすくめる。


「建国王ほどでもない。剣聖ほどでもない。聖女ほどでもない。だから俺は辺境の老騎士で終わった」


カイゼルは黙っていた。


違う。


十分凄い。


めちゃくちゃ格好いい。


強化。


付与。


感知。


放出。


神授。


その全てが。


自分の知らない世界だった。


前世では、機械を作った。


動かないものを動かした。


足りない性能を組み合わせた。


限界を超えるために、何度も試した。


そして今。


目の前には、まったく別の力がある。


身体を強くする力。


武器を変える力。


気配を読む力。


遠くを斬る力。


そして、理屈では説明できない力。


カイゼルの胸が熱くなる。


怖かった。


さっきの威圧は本当に怖かった。


だが。


それ以上に。


知りたかった。


使ってみたかった。


届いてみたかった。


その日。


十歳のカイゼルは初めて本気で思った。


強くなりたい。


と。


グラムはその目を見て、静かに木剣を肩へ担いだ。


「その顔を忘れるな」


「顔、ですか?」


「そうだ」


グラムは背を向ける。


「強くなりたいと思った時の顔だ」


カイゼルは何も言えなかった。


ただ、拳を握る。


小さな手だった。


まだ弱い。


まだ届かない。


だが。


いつか。


そう思った瞬間。


グラムが振り返らずに言った。


「明日から、もっと厳しくなるぞ」


カイゼルは少しだけ笑った。


「望むところです」


強がりだった。


だが。


半分は本気だった。

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