第十一話 五つの灯
十歳になる頃には、カイゼルの生活は完全に教育中心になっていた。
辺境伯家嫡男。
将来の領主。
生まれた時点で、逃げ場はなかった。
歴史。
法律。
外交。
軍学。
経済。
帝王学。
朝から晩まで学ぶことだらけだった。
「楽な人生とは?」
カイゼルは何度もそう思った。
女神を殴れるなら殴りたい。
だが。
その中でも、心を奪われたものが二つあった。
剣術。
そして魔法である。
剣は分かる。
前世にもあった。
映画にも出てきた。
ゲームにも出てきた。
だが、この世界の剣士は違った。
闘気。
剣士たちはそれを纏う。
肉体を強化し、
速度を高め、
時には鋼鉄すら断ち切る。
初めて見た時、カイゼルは思った。
反則だろ。
そして魔法。
こちらはもっと反則だった。
火。
風。
雷。
水。
土。
この世界には【マナ】と呼ばれるエネルギーが満ちている。
魔法とは、そのマナへ自身の魔力で干渉し、現象として引き起こす技術だった。
つまり魔力量が多いほど、
より多くのマナを操れる。
より強く干渉できる。
より大きな現象を起こせる。
火球を生み出し。
風を呼び。
雷を落とし。
水を操り。
大地を動かす。
だからカイゼルは夢中になった。
帝王学より。
歴史より。
領地経営より。
遥かに。
剣術を教えるのは、グラム師範。
東方辺境軍最強と謳われた男。
厳しく。
怖く。
容赦がない。
初日から木剣で殴られた。
「構えが甘い」
「痛い」
「痛くしている」
「性格が悪い」
「よく言われる」
グラムは笑わない。
本当に笑わない。
それが余計に怖かった。
一方、魔法を教えるのはエルネスト師。
王都魔導院を首席で卒業した老魔導士だった。
白い髭。
細い身体。
穏やかな声。
いかにも優しそうな老人。
最初はそう思った。
だが、甘かった。
「魔法とは才能です」
エルネストは静かに言った。
「努力で伸びる部分もあります。しかし、まず器がなければ始まりません」
剣術とは違う。
魔法には適性がある。
火に向く者。
水に向く者。
風に向く者。
雷に向く者。
土に向く者。
普通は一つ。
多くても二つ。
三つあれば天才。
そう言われていた。
そしてその日。
カイゼルの魔法適性が測られることになった。
場所は屋敷の奥にある小さな儀式室。
厚い石壁。
古い魔法陣。
中央の台座には、透明な水晶が置かれていた。
魔力水晶。
手を置けば、その者の属性に応じて光を灯す。
「緊張していますか」
エルネストが聞いた。
「少し」
カイゼルは答えた。
嘘だった。
かなり緊張していた。
前世でいえば、合格発表のようなものだ。
しかも結果次第で人生が変わる。
火なら火の魔法使い。
風なら風の魔法使い。
雷なら格好いい。
水なら便利そう。
土なら地味だが堅実。
そんなことを考えていた。
父アルトゥスもいた。
母もいた。
グラムもいた。
使用人たちも数人、遠くで見守っている。
皆が黙っていた。
カイゼルは台座の前に立つ。
小さく息を吸う。
そして、水晶に手を置いた。
最初に灯ったのは火だった。
赤い光。
小さな炎のように揺れる。
「火」
エルネストが呟く。
続いて風。
淡い緑の光が水晶の中を巡る。
「風」
さらに雷。
細い紫電が水晶の内側を走った。
「雷」
水。
青い光が波紋のように広がる。
「水」
最後に土。
琥珀色の光が、静かに底から立ち上がった。
「土」
部屋が静まり返った。
誰も何も言わない。
カイゼルも何も言わなかった。
水晶の中には五つの光が灯っていた。
赤。
緑。
紫。
青。
琥珀。
まるで小さな世界のようだった。
エルネストが幾度も瞬きをする。
「……五属性」
その声は、ほとんど吐息だった。
父アルトゥスが立ち上がる。
「本当か」
「本当です」
「天才か?」
エルネストは黙った。
長い沈黙だった。
本当に長かった。
カイゼルは少し不安になる。
褒めるなら早く褒めてほしい。
怒るなら理由を言ってほしい。
こういう間が一番嫌いだった。
やがてエルネストは口を開いた。
「分かりません」
「は?」
アルトゥスの眉が動く。
「五属性全てに反応しています」
「それは凄いのではないのか」
「普通ならば」
「普通なら?」
エルネストは困った顔をした。
そして、水晶を覗き込む。
「全部、弱い」
沈黙。
今度は別の意味で静まり返った。
「全部?」
アルトゥスが聞く。
「はい」
エルネストは頷く。
「火も弱い。風も弱い。雷も弱い。水も弱い。土も弱い」
カイゼルは思わず笑った。
「全部使えるけど、全部弱いってこと?」
「簡単に言えば、そうです」
「器用貧乏じゃん」
「言葉は悪いですが、近いです」
ひどい。
五属性に反応した時は、少しだけ期待した。
もしかして俺、天才なのでは。
そう思った。
だが現実は違った。
全部使える。
だが全部弱い。
前例がなかった。
天才なのか。
凡才なのか。
それとも、ただの変わり種なのか。
誰にも分からなかった。
ただ一人。
当の本人だけは、妙に楽しそうだった。
カイゼルは水晶を見つめる。
五つの小さな光。
どれも弱い。
だが確かに灯っている。
火だけではない。
風だけでもない。
雷だけでも。
水だけでも。
土だけでもない。
全部ある。
弱いなら強くすればいい。
足りないなら組み合わせればいい。
一つで足りないなら、五つ使えばいい。
前世で散々やってきたことだった。
性能が足りない。
予算が足りない。
時間が足りない。
人も足りない。
それでも、何とかする。
足りないものを組み合わせて、使える形にする。
それがものづくりだった。
カイゼルは笑った。
「面白いじゃないか」
その言葉を聞いた瞬間。
エルネストは少しだけ嫌な予感を覚えた。
この少年は。
たぶん。
普通の魔法使いにはならない。
そして。
面倒なことを始める。
そんな予感だった。
嫌な予感ほどよく当たる。
エルネストは長い人生で、それをよく知っていた。




