第7話 拾ったもの
JR下灘駅を出発し、小さな神社で旅の安全を祈願した翔太は……――
――燃え尽きていた。
―― ep.7 翔太が拾ったもの
道の駅の目と鼻の先にある伯方ビーチに倒れ込んでいた翔太は、打ち上げられた遭難者に見えたかもしれない。
散歩中らしき犬に顔を覗き込まれても、動けない。
生きてます……。と飼い主の人に向けてちらりと目を動かすと、逆に驚嘆の顔をされた。
驚かせてすみません。
『将来、どうしたいのか』
そんな漠然とした不安を胸に、とりあえず前へ前へと自転車を漕ぎ進めていた翔太の体力は、0。
今は、身体を1ミリたりとも動かしたくない。
砂で固めたように重い足は、ぴくりともしないんだけど。
目を伏せ、しばらくビーチで波の音に癒される。
風が心地いい。
どれくらい、そうしていただろうか。
ようやく指が動いた。
なんとか起き上がると、翔太は道の駅で調達したジュースを手に取った。
冷たく、ほどよい酸味と甘味が染み渡る。
はぁ――……! と、無意識に深いため息が漏れた。
「……死ぬかと思った……ていうか飛ばしすぎた…………みかんジュースうま」
ジュースで乾きを潤すと、目の前に広がる穏やかな海に、ようやく目が向いた。
この旅のゴールを道後温泉と決めていた翔太は、その前に行きたい場所があった。
「しまなみ海道……どこまで行こっかな」
愛媛と広島の間の点々とした島を繋ぐ、自転車で渡れる道路。
サイクリングの聖地として有名なこの場所を、自転車で来たからには走ってみたかった。
道の駅に置いてあった、観光案内らしき紙を眺める。
「宿は色々あるみたい……? 今日はどっかの島で泊まろうかな」
翔太はジュースを口に含むと、ごろん、と再び横になった。
ざざ……ざざ……、と、さざ波の音はずいぶん小さい。
内海だからだろうか。随分と波が穏やかだった。
人も少なく、広く開けたビーチからの景色は、最初に立ち寄った下灘駅の何もなさを彷彿とさせた。
(猫はいないけど)
翔太はスマホを構えると、しまなみ海道が写るようなアングルで、写真を撮った。
「いい景色やろ?」
突然、声がかかった。
しわがれた声で、それがおばあさんであるとすぐにわかる。
――こういう、予期せぬ交流に弱いのが、一人旅とかしちゃう人見知り現代っ子だから。
翔太はやや身構えると、慌てて振り向いた。
「ああ、はい」
するとそこに、マスコットのような小柄なお年寄りが、にこにこしながら立っていた。
「自転車の人? ようけおるけんねえ。あんたも観光?」
「観光というか……はい、そうです」
ええねえ、ええねえ、となぜだか嬉しそうに話すその女性は、翔太のスマホをじっと見ていた。
「写真の、仕事でもしよるん?」
「いえ! まさか」
「上手に撮るねえ」
目いいな、と驚く。
人生模索中です、とは言えない。
「うちの孫がねえ。そういうの、しよるんよ」
ぽつりと、そう言った。
「あんたくらいのねえ、子なんやけど」
「そういうの……写真家、とか?」
「そんなだったかね。カメラマン? とか」
「カメラマン」
「ちっとも上手くいかんで、いじけとったんよ。仕事が。ほしたら、どっかに拾ってもろた、言うて、嬉しそうにしよったわ。なんか結婚式しよるようなとこよ」
「はあ」
いまいち話が入ってこないが、要は、仕事がうまく行ってなかったんだけど、どこかの式場に拾ってもらって、カメラマンしてる、ってこと?
と翔太は脳内で要約する。
「それは…………羨ましいですね」
心の底からそう言うと、女性は大きく笑った。
随分穏やかに笑うなあ、と無意識に口端が上がった。
ここに住んでると、笑い方も穏やかになるのかもしれない。
「あの子も、なんやそんなことよう言って、ようけここで、写真撮っとったわ」
ああ、それで、と翔太は合点がいった。
最初、嬉しそうに話していたのは、自分にその孫を重ねていたのかもしれない。
「なんや、あんたもカメラマン? とかになりたいん? ほんならここ撮りよったら、なんや拾われるけん」
冗談っぽくそういう女性に、翔太は笑った。
「じゃあ、撮ってもいいですか?」
「好きに撮ったらええよ」
「SNS、載せても大丈夫ですか?」
そう言って、女性を入れて、カメラを構えた。
ええ? と女性は驚く。
「こんな老人撮ってもねえ……」
「お孫さんに、あやかって」
「別にええけど」
恥じらうようなその言い方に、翔太は笑った。
「ありがとうございます」
翔太はビーチを後にし、大三島を目指していた。
(なんか……不思議な出会いだったな)
じゃあねえ、と手を振っていた女性の穏やかな顔を思い浮かべる。
こういう表現が失礼なのかはわからないけど、何だか可愛らしいおばあさんだった。
(孫が、好きなんだろうなぁ)
あの、にこにことした表情が、妙に頭に残る。
猫にしても絵馬にしてもおばあさんにしても、何か吉兆の印みたいな? と一人で笑った。
(拾われた、か……いいな)
そう思って、いやいや! と首を振る。
その人は、ぽやっと自転車だけ漕いでいたら仕事にありつけたとか、そうじゃないだろ、と内心突っ込んだ。
ちゃんとカメラマンになりたいって思って努力して、それでもダメで、路頭に迷いながらもカメラを構えて。
そうやって努力と気持ちが前を向いていたからこそ、拾われたんだろうな、と思う。
(そういう風に、僕もなりたい)
一生懸命さ、みたいなのを、何だか思い出した気がした。
(その次元に、僕もいきたい……!)
ばっ! と前を向いた。
とりあえず、一生懸命漕ぐ! 動け足ぃぃぃい!! と叫んだのだった。
大三島へ入ったすぐの、橋のすぐ足元。
多々羅しまなみ公園の入り口で、キキッ! と急ブレーキ。
(何か今、猫いなかった!?)
決して猫マニアとかじゃない。
……多分。
(吉兆の印……)
なでなで。
公園内で野良猫を撫でながら息を整える。
また猫入れた写真アップしたら「いいね」もらえるかな、とか打算的なことを考えていたからだろうか。
するっと猫が手から抜けた。
「あっ」
颯爽と駆けていく猫。
そうそう撮らせてくれないか……とややがっかりしつつ、その背を目で追うと、ふとそれが視界に留まった。
公園の柵の前に、不自然に青いものが落ちていたのだ。
(落とし物?)
立ち上がると、近づく。
「……タオル」
手に取り、掲げてみた。
バスケットボールが描かれたそれは、部活のタオルらしかった。
「広島海陵高校 男子バスケットボール部」と印字されている。
(広島海陵高校……広島?)
広島からここまで来たのだとすると、なかなかの距離のような気がする。
さすがバスケ部、と妙に感心する。
砂を落とすように、広げてぱっぱっと振った。
ふと、タオルにペンで手書きの文字が書かれていることに気がついた。
一つは、女子っぽい丸文字で「ファイト!」。
もう一つは、男子っぽい雑めの文字で「目指せインハイ!」。
(……彼女かな?)
青春してるなあ、と笑う。
青春をすっ飛ばした自分には無縁の気恥ずかしさと、一生懸命さ。
……ちょっと、羨ましい。
それにしても、と苦笑い。
彼女の応援落とすなよ。
柵にタオルをくくる。
もうすぐ夕焼け。すでに空はオレンジ色に染まりつつあった。
柵に手をつき、景色を一望した。
夕方の海風が、汗をさらりと撫でていく。
はあ――……! と、感嘆にも似た息を吐くと、スマホを手に、数歩下がった。
柵にくくったタオルが風になびく。
うっすらオレンジ色の空と海。
そこに真っ直ぐ伸びるしまなみ海道を入れて、スマホを構えた。
SNSに、たたっと文字を打つ。
「応援、落ちてましたよ」
「#届け」「#というか取りに来て」「#頑張れ」「#広島海陵バスケ部」
届くかな。届かないかもな、と小さく笑う。
それでもいい。
でも届いて欲しい。
そう思いながら、アップした。
ははっ! と声を上げると、空を仰ぐ。
(みんな焦ってんだな。……行けるといいな、インハイ)
どこかにいる、タオルを落として焦っているであろう誰かに、想いを馳せた。
――届け!




