第5話 夫婦のカタチ
「みてみて、はる! すごくない!? めっちゃ白くない!?」
「そう? 白いかな? 思ってたより普通の城に見えるけど」
「うそ!? これ、めっちゃ白いよ!? はるちゃんお城見たことある!?」
「あるけど。何かもっとゆきうさぎくらい白いんだと思ってた」
「それじゃあ見えないよ、逆に!」
ほんとはる、面白いなあ! と子供のような旦那のテンションが上がれば上がるほど、みるみるはるのテンションは下がっていく。
「……いっそ、見えない方が面白かった」
「いやそれ見に来る意味ないじゃーん!」
はっ!? でも敵を欺くには、これ以上ない外観では……!? はる天才……!? 天下取れるよ……! と旦那である夏目がふるふる震えた。
震える程かね? 多分全武将が一度は考えた事だと思うけど。
(……私は、一生子育てしないといけないのかな)
目の前の、子供みたいな旦那の、子育て。
―― ep.5 はるの場合
白すぎて「白鷺城」と呼ばれる名城を前に、夏目のテンションは衰えない。
「はるほど斬新なアイデアじゃないけど、姫路城は難攻不落の城って言われてるからね。色々面白いよ!」
「へえ」
「見た目五階建てだけど、実は七階って知ってた!?」
「何それ。ロフトとかあるの?」
「ロフトつき賃貸物件とかじゃないんだから」
登ればわかるから! とにかく早く行こう! と夏目は息巻いた。
さして城に興味のないはるはのんびり歩きながら、夏目の手へちら、と視線を向ける。
昔はぐいぐいと、肩外れるんじゃないかってくらい引っ張られたなあ、と懐かしむ。
もちろんもう、夏目は手を引く素振りすらない。
散り際の葉桜が、何ともエモい。
早く早く! とせかす夏目の声を右から左へ流しながら、ゆったりと後を追った。
「……かっこいい……ここからのアングル、壮観すぎ……!」
「……そう?」
「かっこよすぎるよ……? 石垣とか……! 来てよかった……!」
「そう」
夏目はスマホを構える。
「はる、そこ立って」
「いいよ。そんなにかっこいいんなら、この荘厳なお城だけ撮りなよ」
しょん、とわずかに夏目の表情が曇る。
「じゃあ、二枚撮るから」
昔から、夏目はこういうのは譲らない。
はるは、すました顔にピースをした指をちょんとつけた。
カシャ。
『はるちゃん、絵になるなー!』
そんな、無邪気な子供のような男に出会ったのは、高卒で働き始めて、すぐだった。
実家の花屋で働いていたら、「一目惚れしたので、付き合ってください!」と声をかけてきた。
三つも年上とは思えない見た目や内面とは裏腹に、かなり積極的なタイプで。
恋愛に不慣れで押しに弱いはるは、流されるまま、すっかり流された。
(こう振り返ると、出会いは案外ロマンチックだったな)
裏がなくて、底抜けに明るくて、真っ直ぐで、単純で。
内向的なはるを、ぐいぐいと(物理的にも)引っ張ってくれる。
一緒にいると、自然と笑えてくる。
そんなところに惹かれた。
子供ができたとわかったのは、19歳の春だった。
もちろん、夏目は号泣して喜んだ。
こんな子供みたいな旦那の子供って、どんな子供かな!? とか、どきどきと期待に胸を膨らませたのが、20年前。
――そして今。いやその歳でその子供みたいなのどうなの、と若干引いている私がいる。
「……なんか、諸行無常の響きあり……?」
「はる、なんか悟ってる? 平清盛が建てたのは厳島神社だよ?」
「そうなの?」
「姫路城は…………あれ!? 誰だっけ!?」
「誰でもいいんだけど」
夏目の変わらなさは、平家物語の作者もびっくりだと思う。
「……あっ、秋人から返信きた」
「えっ? 返信?」
「『母さんやる気なw』だって」
「はっ?」
「あ、冬真からも。『しらんがな』ってスタンプだけ送られてきた。誰も答えてくれない!」
夏目は可笑しそうに笑う。
「子供たちになに送ってんの?」
「姫路城建てたの誰だっけ? って。さっきのはるの写真も添付して」
「写真いる!?」
「いいじゃん。さみしいからー! 二人とも早くに独り立ちしちゃってさあ……!」
僕はさみしい……! と夏目はめそめそと口を尖らせた。
今春。
去年家を出た長男に引き続き、次男も大学に行くからとあっさり親元を離れていった。
がらんと広くなった家。
ぽっかりと、胸に穴が開いた。
20年、当たり前にいた子たちが、もういない。
……寂しい。
寂しすぎて、ふと冷静になって。
目の前の旦那を見た。
あれ? これから夏目とずっと二人?
と立ち返った。
ずっと? 二人だけ? 何するにも? 何十年も?
それって……――
――……何したらいいの?
「――はーる?」
「えっ?」
「どうしたの? 疲れちゃった?」
「…………ちょっと」
「大丈夫?」
「まあ、うん」
――決して嫌いとかではない。
只、夏目の愛しくて大好きで仕方なかった単純さとかが。
育児で疲れ果ててる時に、底なしのテンションで来られて、今違うんだけど、とか。
子供たちを本気で負かして、どや! ってガッツポーズとかしてたりすると、手加減してよ泣き止ますのこっちなんだから、とか。
ちょっとずつちょっとずつ、ずれていって。
ずれたまま二人きりになってしまって、戸惑ってるんだと思う。多分。
「よーし、いざ! 出陣!」
「攻め込んでどうするの」
やんわり突っ込むと、嬉しそうに振り返った夏目が、カシャ、と振り向きざまに写真を撮った。
そうしてすぐ前を向く。
やっぱり手は引いてくれない。
……当たり前だけど。
「……あー! 生き返るー!」
「はる、後でクルーズ船に乗りたいから、ほどほどにね。船でも飲めるから」
「えっ、飲めるの?」
姫路から神戸へ移動したはるたちは、神戸ハーバーランドにある居酒屋で腰を据えていた。
子育て中、初めて飲んだ「アルコール」にはまって以来、すっかり酒好きになったはるのテンションが、一気に回復する。
代わりに、夏目のテンションは心なしかしゅんと下がったように見える。
「どうしたの? 夏目。食べないの?」
「食べるよ。食べるけど……」
「何?」
「もっと、ぶらぶらしたかったのに。食べ歩きとか……お土産とか」
「姫路でもいっぱい買ったじゃん。猫みたいな顔のスイートポテトとか」
「あれ多分レッサーパンダ」
相変わらず、なんか合わない。
すると、夏目が突然ははっと笑った。
「お土産といえば、中洲の屋台は面白かったなあ」
「ああ、そうだね」
二人家に残され、どうしていいかわからなかった夏目とはるは、先が見えないまま、とりあえずがっと休みを取り、瀬戸内旅行へ来ていた。
その旅の最初が、福岡の中洲。
その屋台で同席した会社員二人の手土産を巡る会話が、なんともいえずコミカルで。
先輩の男性が、新人の子に歩み寄ろうと頑張っていて、くすっと微笑ましい気持ちになった。
「なんかいいよね、ああいうの」
「それは、思った」
あんな風に、ずれた距離が縮まる日が来るのかな。
今、同じことを考えてるんじゃないかな、と顔を上げる。
ああ! 枝豆が! と枝豆を遠くへ飛ばしている夏目を細い目で見つめながら思った。
……多分。
それでも、子育て中には味わえなかった、旅行でゆったりお酒を飲んで過ごす非日常感は、それなりに心地よかった。
窓から見える空は、だいぶ陽が落ちてきていた。
ほろ酔いで、まったりと景色を眺めていて、ふと気づく。
「……あれ? そういえば夏目、クルーズ船に乗るって言ってなかった?」
「…………」
みるみる夏目の顔が青ざめる。
「……今、何時?」
「7時過ぎ」
「……――!!」
夏目の口から、声にならない声が漏れた。
がた!!! と勢いよく立ち上がる。
「……出航、何時――」
「7時15分……! どどどどうしよ……!」
「えっ!? 無理じゃん。明日の昼にしたら――」
「絶対やだ! はる早く!!」
「いや、間に合わない――」
「走ろ!!!」
ぱし!
と夏目ははるの手を取った。
はるは、目を大きく見開いた。
店内の人たちの視線が、わずかに集まる。
はるは恥ずかしくなって、俯いた。
「ちょっと、夏目――」
「早く早く、はる!!」
人目もはばからずに大声を上げる夏目は、急いで会計を済ませると、ぐいぐいとはるの手を引く。
走る気なんてなかったのに。
夏目の真剣な後ろ姿を見つめながら、はるは気づけば駆け出していた。
建物から外へ出ると、暗くなり始めた景色を、神戸の夜景がきらきらと彩っていた。
わあ……! と思わず感嘆の息が漏れる。
見惚れてないではるちゃん! 走って! と夏目のあまりの必死さに、無性に笑いが込み上げる。
笑いながら、景色綺麗だよ、と言うと、それは後!!! と怒られた。
可笑しい。
視線の先に、大きなクルーズ船が見えた。
もう少し――
――その瞬間。
しゃっ! と猫が横切り、驚いて手を離してしまった。
息も苦しい。
運動はそもそも苦手なんだから。
あまりにも苦しくて、足が止まった。
えっ!? と夏目が振り返る。
「はる! もうすぐそこだから!」
「……ごめん……無理…………しんど……!」
「はる!!」
何とか上げた視界に、灯かりに照らされた泣きそうな夏目の顔が映り、驚く。
「…………何で、そんな泣きそうなの」
「僕は……――」
その表情を見てなぜか、頬を真っ赤に染めて「付き合ってください!」 と告げた夏目の顔が、ふっとよぎった。
「――はるちゃんとクルーズ船に乗りたいの!」
はるは息を止めた。
(……もしかして)
今にも泣きそうな顔をじっと見つめる。
――夏目も、戸惑ってたのかな。
子供が独り立ちして二人きりになって、どうしよう何しようって考えて、一生懸命考えた結果が、クルーズだったのかな。
お城じゃなくて、居酒屋でもなくて。
飲んで景色を楽しめる。どっちも好きそうな。
いつでも家族みんなで行動したがる、夏目らしい。
こういう時の夏目は譲らない。
……ほんと、ちっとも変わらない。
はるはきゅっと口を結んだ。
おずおずと、小さく手を伸ばす。
「……じゃあ、引っ張ってって」
「わかった!」
夏目はまた迷わず手を取ると、それこそ肩が外れそうなほど強引に、はるを引っ張って行く。
なんか懐かし、と自然に笑えた。
なんでこんなに、一生懸命なんだろう。子供みたい。
目の前に、大きな船が近づく。
「……――間に合っ――」
その瞬間――また猫が横切り、驚いた夏目は段差に躓いて転んだのだった。
「わあ――! すっごい綺麗! みてみて、はる!」
「見えてるよ」
「こっち来てよ! 絶景だよ!」
「気持ち悪いの。走りすぎて」
ぱちぱち、と目を瞬くと、夏目はデッキの椅子に腰を落とすはるの隣に座った。
「大丈夫?」
「夏目こそ。派手に転んで」
「手擦りむいたくらい」
呆れたように眉を下げると、バッグから小さなポーチを取り出す。
くすくす笑いながら、さっと絆創膏を取り出した。
「……おっかしかったなー。係の人の顔」
「えっ?」
「そこで転ぶ? みたいな顔してた」
「結局出航時間が少しずれちゃって……ほんと申し訳なかったなあ。でも乗れてよかった!」
「予約してたんなら、ちゃんと時間に余裕をもって」
「すみません……」
しょぼん、と気落ちする夏目の手の平に、ぺたっと絆創膏を貼った。
きょとん、とその絆創膏へ視線を落とす夏目。
「…………これ、子供のやつ」
「恐竜のね。懐かしくない? 気づいたらこういうの嫌がるようになって、余ってるの」
「僕、こういうの好きだけど」
思わず笑った。そんなおじさん、いる?
そんなはるの顔を、夏目はじっと見つめる。
「……何?」
「はるちゃん、そこ立って」
「景色だけ撮りなよ。こんな綺麗なんだから」
「いいの。二枚撮るから」
はるは、お酒の入ったグラスを持って、デッキの手すりにもたれた。
すました顔で、ちょんとグラスに口をつける。
カシャ。
振り返ると、夜風に当たりながら神戸の夜景を眺めた。
なんか心地いいな、と目を細める。
息も整ってきて、お酒が美味しい。
「……乗れてよかったな」
カシャ。
と背後からまたシャッター音が聞こえる。
嬉しそうに撮ってるんだろうなあと思いつつ、振り返らない。
すると、あっ! と夏目が声を上げた。
「みてみてはる! 秋人から返信きた!」
「また送ったの?」
「『夜景撮るの下手』あー秋人ひどい!」
秋人っぽいなあと笑う。
「あ、冬真からも……――」
はたと固まった夏目のスマホを覗き込んだ。
「…………」
「……なにこの、全身光ってる鳥のスタンプ……こんなのあるの?」
いつ使うの……? あっ、今? と不思議そうな夏目に、声を上げて笑った。
――まだ子供を介してだけど、こんな過ごし方もまあ、悪くないかも?




