第15話 もう一度
ギリギリまで見ないように、少し視線を下げていた。
この辺かな? というところで、ぱっと顔を上げる。
その瞬間——
はっと息が止まる。
次いで、口から漏れる感嘆の息。
あまりの好きすぎる景色に、小さく身震いする。
湊は無意識にカメラを構えると、山口県角島大橋最寄りの公園で、柵へと歩み寄った。
絵に描いたようなコバルトブルーの海。
その透明度は、ここから見てもはっきりとわかる。
遠くに見える島へと吸い込まれていくように伸びる橋が美しい。
ははっと無意識に声が出た。
「瀬戸大橋もしまなみ海道の橋もいいけど……——」
画角を決め、ピントを合わせる。
シャッターに指を添え——指が止まる。
『惰性で撮られても、困るの』
胸を掴まれたみたいに、急に苦しくなる。
苦笑いを浮かべると、すっとカメラを下げた。
―― ep.15 湊の場合
カメラを首から下げたまま、湊は柵にもたれかかった。
(この絶景なら、撮れると思ったんだけどな)
あー……、と深いため息とともに、宙を仰いだ。
湊は先日。
仕事を首になった。
もちろん、自分に非がある。それは間違いない。
でも、どうすればよかったのか。
未だによくわかっていない。
岡山県南部、瀬戸大橋も望める景観の海沿い。
そこに立つ、海に浮かべたような結婚式場。
湊は、そこの専属カメラマンだった。
因みに、式場カメラマンになりたかったわけではない。
元々、写真が好きで、海が好き。
実家がしまなみ海道にあった湊は、瀬戸内の景観や橋の写真を撮っては、小さな個展を開いたりしていた。
でも、仕事には繋がらない。
そんなある日。
『湊さんは、場面を切り取るの、上手い気がします』
フリーカメラマンで、それなりに仕事を持っていた友人が、そう告げた。
『何度かお世話になった式場が、専属カメラマン探してましたよ。めちゃ景色綺麗な式場なんで、湊さん好きだと思いますが、どうですか?』
(……場面を切り取る?)
意味は、ぼんやりとしかわからなかった。
はっきりとそう、意識して撮っていたわけではなかったから。
ただ、好きだと思う景色、いいなと思った瞬間にシャッターを押す。
その瞬間をカメラの中に閉じ込めたみたいに、カメラのモニターが彩られる。
それが、好きだった。
式場カメラマンは、思ってた以上に面白かった。
(……最初は)
式場はどこを切り取っても絵になった。
それは間違いない。
被写体は毎日変わる。
天候も、ドレスも、式の内容も。
でも——
同じような場所。決まったアングル。
だんだんだんだん、「またここか」と流れ作業のようになっていって。
『惰性で撮られても、困るの』
首になる直前、オーナーから告げられた台詞に、湊は答えられなかった。
(……惰性、か)
湊はカメラではなく、スマホを構えた。
仕事をやめてから、湊はカメラで撮れなくなった。
理由はよくわからない。
でも、スマホなら撮れる。
今では、スマホでも設定をいじれば、それなりの写真になる。
設定をいじっていると、ふと立ち寄った香川の父母ヶ浜でのことを思い出した。
湊は小さく笑みを漏らす。
(あの三人組は……ほんと面白かった)
結婚式場を首になった湊は、ずっとやりたかったこと——自分の好きな瀬戸内の写真を撮って回ろうと、ハンドルを握った。
まずは岡山から瀬戸大橋を通り、香川へ。
愛媛へ向かう道中に立ち寄ったのが、父母ヶ浜。
そこで、女子三人組の写真を撮った。
そのうちの一人のカメラを借り、構えている間、三人はずっとコントのようにわちゃわちゃとしていて。
途中なぜか、必死に水面に目を凝らし、何かを探していた。
落とし物なのか、生き物なのか、わからない。
それでも、撮った写真からは、その仲の良さみたいなものが滲んでいた。
いい写真だった。
思い出しただけで、笑いが込み上げる。
(あんな面白い撮影は、久々だった。式場は、和やかな空気の中に、ちょっと緊張感があって。それはそれでいい写真が撮れるときもあったんだけど)
——最近は、本当になかった気がする。
(また見たいな、あの写真。SNSにアップしてないかな?)
ふと景色に向けていたスマホを下ろし、SNSを「父母ヶ浜」で検索してみる。
新しい投稿から、遡る。
あったらいいな、くらいの軽い気持ちで。
「あ」
あった。
『今日のベストショット』
そのコメントと共にアップされていた写真を見て、湊は思わず目を見開いた。
「そっち!?」
あははは……! と大声を上げながら、しゃがみ込む。
「いや、撮っただろ、完璧なジャンプ写真……!」
アップされていたのは、父母ヶ浜といえば、という風の、揃ってジャンプポーズを決めた写真ではなく。
湊が何気なくシャッターを押した、三人が必死に水面を覗き込んでいる写真だった。
湊は笑いが止まらない。
「何でそっちなんだよ……! 面白すぎるだろ……!」
何度も見ては、笑う。
父母ヶ浜で一番面白い写真じゃないか? と思ってしまう。
(いや、でも確かにジャンプ写真より……すごい出てるな。あの三人の空気感というかノリいうか、コミカルな感じが)
その時。
ふと、「#瀬戸内」のタグが目に入る。
何気なく、押してみた。
一覧に出てきたのは——瀬戸内の、何気ない日常の写真たち。
上手いわけじゃない。
特別な感じもない。
ただの日常や、旅の一瞬を切り取ったような、何気ない写真ばかり。
でもそれが、不思議と目に留まった。
(……何だこれ)
目のついた饅頭が庭園を散策しているかのような写真に、思わず吹き出す。
(なんで饅頭?)
でもどことなく漂う、のんびりとした空気。
なんかかわいいし、しかも美味しそう。
(こっちもかわいい……レモンの服着た赤ちゃんがレモン持ってる)
にしても、なんで真顔?
瀬戸内レモンのタグ。レモン農家かな? と想いを馳せる。
もう少し遡ると、何重にも重なる朱色の鳥居をバックに自撮りする女性。
(いい顔してる。誰かに向けて撮った写真かも)
ただの自撮り写真。
誰かも知らない。
それなのに、何でこんなに込み上げるものがあるんだろう。
その少し下に、なぜか似たようなタオルの写真。
(『返って来た! 奇跡!』と『応援、落ちてましたよ』? すごい、落とした人と拾った人の写真だ)
繋がってる。不思議だ。
『場面を切り取る』
(ああ、そうだよな。写真って。その時の一瞬の、景色だけじゃなくて、その時の空気とか気分とか、全部を切り取る。そういうのが、好きだったはずだ)
すると——
タオル写真の少し下。
見覚えのある顔が飛び込んできた。
「——ばあちゃん!?」
はぁ!? と盛大に叫ぶ。
そして、思わず二度見。いや、三度見。
なんでSNSに、ばあちゃん?
よく見ると、拾ったタオル写真をアップしていた人の投稿だった。
(知り合い? ……ではなさそう……。なんで俺のばあちゃんの写真……? なんでばあちゃん…………元気そう)
そういえば、結婚式場で働くようになって岡山に住むようになってから、あまり顔を出せていない。
(……嬉しそう……よくこの顔してたな)
次いでコメントとタグを見て、吹き出した。
『素敵な出会いがありました』
『#吉兆の印っぽい』『#伯方ビーチ』
「おーい、いつ吉兆の印になったよー」
また大声で笑う。
(……伯方ビーチ……俺がよく、写真撮ってたとこ。ばあちゃんも『散歩』とか言って、よく見に来てたな)
湊の一番のファンだと言って、個展も必ず来てくれていた。
写真一つ一つ、「これは楽しそうやね」「これちょっと、元気ないわね」とコメントしながら、嬉しそうに見ていたことを思い出す。
絶対適当に言ってるでしょ、とか笑いながらも、湊はその時間が好きだった。
(式場カメラマンが決まったとき、一番喜んでくれたのも、ばあちゃんだったな。楽しんでくるんよ、って笑ってた。……今俺の撮った写真見たら、何て言うかな)
じんわり。目が熱くなる。
そのままゆっくりスクロールしていく。
遠目に和菓子屋が見える白壁の風景。夜景をバックにすました女性。厳島神社の大鳥居の下を歩く男性の後ろ姿。庭園でのんびりするゆるいうさぎと猫の絵。
ありふれた日常の一コマ。
その一コマに。
滲むもの。
ぽたり。
モニターに雫が落ちた。
理由はわからない。
でも、無性に——
(こんな、写真が撮りたい)
スマホをポケットへ雑に突っ込むと、カメラを構える。
絞って、感度はやや低め。
(最初に目を開けて、息を呑んだ、あのはっとした瞬間をおさめたい)
シャッターに指を添えると、小さく震える。
指先に、力を込めた。
カシャッ。
一眼レフの、歯切れの良い音が耳に心地いい。
慌ててモニターを確認。
ははっ! と笑い声を上げた。
「すっげー下手。やばい、腕落ちた?」
笑うしかない。
アングル、F値。色々調整しては、シャッターを押す。
思い描いた写真は、それでも撮れない。
それが、働く前の、あの伯方ビーチで写真ばっかり撮っていた時代に重なった。
『ようけやるねぇ』
『やらないと、上手くなんないの』
『おばあちゃんは、好きやけど』
『ばあちゃんだけじゃなくて、みんなに好きって言われたいんよ、俺は』
『すぐよ、すぐ』
あまりに無責任な発言に笑いながら、振り返り様に何気なく、ばあちゃんの写真を撮った。
『あのおばあさんの写真が、一番素敵だった』
式場カメラマンに決まったとき。
オーナーが、そう言った。
(……期待に、答えたかった。本当は)
でも、そう思えば思うほど、自分の撮りたい写真が撮れない。
あの、女子三人が全力でジャンプした写真みたいな。
(……いや、あの、ベストショット写真か?)
なんであれが、ベストショットなんだ。
なんで何気なく撮ったばあちゃんの写真が、一番素敵なんだ。
『湊さんは、場面を切り取るの、上手い気がします』
(場面を、切り取る——)
公園のベンチに腰を落として、湊は撮った写真を見返していた。
ピッ。ピッ。
その最後。
——陽の差し加減、雲、鳥、凪。
完璧だろ、というその瞬間。
柵の上に、なぜか猫が飛び乗った。
(……今——!?)
いやでも、撮るしかない!?
と、シャッターを押した。
(——欠伸するか? そのタイミングで……!)
モニターには、ふあ、と暢気に欠伸をする猫がメインの、角島大橋。
(いい写真? いい写真か? これ……)
じっ、とモニターと睨み合う。
なんか、笑えた。
でも、
(……俺は、好きかも)
(この写真と。帰りに実家寄って、ばあちゃんの写真また撮って。今度は母さんと父さんと)
湊は、あの瀬戸内海沿いの結婚式場が、好きだった。
あの、淡々とした、オーナーも。
(もう一回。「素敵だった」って、言わせたい)
撮影の仕方が、自分に合っていないのかもしれない。
事前に打ち合わせの時間を設けて、新郎新婦の雰囲気を掴んで。
もっと、型にはめずに撮影した方が、心を動かす、二人らしい、その日その一瞬がおさめられる気がする。
もちろん、式場らしい写真も撮りながら。
そういう提案を、カメラマン側からしてもいいものなのか、わからないけど。
何気なく、ばあちゃんの写真をあげていた人の投稿を見てみた。
目に留まったのは、下灘駅の、猫の写真。
(この人、場面を切り取るの、上手いな)
負けてられないような気がした。
「いいね」を押して、スマホをしまう。
もう一度、カメラを構えた。
——もう一度、オーナーに会ったら、まずどの写真を見せようか。




