エピローグ 繋がる場所
「……生き返る……」
翔太は、程よく熱い、足元の心地よい湯に思わず声を漏らす。
一生分の体力使い果たした……! と呟くと、後ろ手をつき、宙を仰いだ。
大三島で一泊した翔太は、しまなみ海道を引き返し、旅の目的地にしていた道後温泉へと漕ぎ進めた。
松山市に入ると、あと少しだ! と気が急く。
オモチャのような、レトロ汽車と並走していると、視界の先に温泉街らしき景観が見えた。
とうとう着いた! と思った、次の瞬間——
——迷わず、駅前にある足湯に浸かっていた。
(足パンパン……やばい。名古屋戻ったらバイト、使い物になるかな……? いやむしろ、めちゃめちゃ脚力ついてて、何時間立ちっぱなしでも疲れない身体になってるかも)
旅館のチェックインまでは、少し時間がある。
散策でも……いや、歩けるか? と思いながら、辺りを見渡した。
さすが有名な観光名所なだけあり、平日昼だというのに、温泉街はそれなりに観光客で賑わっていた。
少しだけ身構えていた温泉街特有の硫黄のような匂いもなく、まだ駅前なのにすでに居心地がいい。
建物の雰囲気も歴史ロマン溢れる、と言ったらいいのか。別世界へ来たような。
旅してきた! という満足感がある。
(すでに来てよかった……)
この足湯にも、代わる代わる、色んな人が訪れていた。
小さい子供を連れた家族、中年女性二人、老夫婦。
翔太と同じように、一人で来ている人もいる。
隣には女性が一人、膝にスケッチブックを広げていた。
その女性は、たまに目の前のカラクリ時計を見上げては、すぐに視線を落とす。
(カラクリ時計を描いてるのかな?)
ちらっと横目で窺う。
「…………?」
そこには、時計の上で戯れる、猫とうさぎ。
(…………何をどうしたらそうなるんだ?)
翔太は目の前のカラクリ時計をまじまじと見上げた。
湯が流れ込む音の中、彼女の持つ鉛筆の、シャッシャッという小気味よい音が混じる。
本来の目的——将来の展望が見えない自分探し、という目的をしばし頭から追い出し、情緒溢れる空気に浸っていた。
足で湯をぱちゃぱちゃと揺らしながら、無意識にスマホを手に取る。
スマホへ視線を落としながら、ぐるぐると足首を回す。
「あれ……?」
何気なく開いたSNS。
「いいね、ついてる……」
しまなみ海道のビーチで偶然出会ったお年寄りの女性。
なんだか可愛らしい人で、なんとなく撮りたくなった。
しまなみ海道の風景とともに撮ったその写真に、朝にはついてなかった気がする「いいね」が、ついていた。
(やっぱり、吉兆の印……?)
あまりの唐突な出会いと、ほっこりとする笑顔にそう思ってしまったことを思い出す。
そこでまた翔太は、ん? と小さく声を上げた。
(この結婚式場アイコンの人、一人旅中の全部の写真にいいねしてないか? どんな人……——)
ふと気になり、結婚式場アイコンをタップして、翔太は息を呑んだ。
開いた、その人の投稿の一覧。
全てが、ポスターかと思うほどの、圧巻の風景ばかり。
(な、なんだこれ、すごい……! これ……全部瀬戸内の写真だ……! 日本じゃないみたい……この人、カメラマン?)
そこで、待てよ、と手を止めた。
ビーチで出会った女性との会話を思い返す。
『カメラマン? とか』
『ちっとも上手くいかんで、いじけとったんよ。仕事が。ほしたら、どっかに拾ってもろた、言うて、嬉しそうにしよったわ。なんか結婚式しよるようなとこよ』
カメラマン……結婚式場……? と呟く。
もう一度、その人のアイコンを見た。
(結婚式場……)
頭をよぎった考えを、ぱぱっと掻き消す。
「まさかな」
足元からのぬくぬくしたいい湯加減に、ぽけー……、と生気を失くしていた時だった。
隣の女性が、パラパラとスケッチブックをめくり出した。
スケッチが終わったのだろうか。
ちょっと気になって、ちらりと盗み見。
描かれているのは、先ほど描いていたようなゆるいタッチの、可愛らしい猫やうさぎの絵。
すると途中から、リアルな風景画になった。
えっ……、とわずかに目を見開く。
(絵のことは全然わからないけど……ものすごく上手くないか?)
とあるページを開いた時だった。
「あ」
翔太は思わず、声を漏らしていた。
——一枚の絵が、あまりに見たことのある風景画だったから。
女性が驚いた顔で、振り向く。
「……え?」
「あ! すみません! え、ええと……あの、それ」
「はい?」
スケッチブックを広げたまま、翔太の顔を見てぽかんと口を開いている。
翔太は慌てて、スマホで写真を遡った。
「そのスケッチブックの絵……ええっと、もしかして……ここですか?」
「えっ?」
スマホを女性に向けて、突き出した。
それは、旅の始まり。
下灘駅を出て少し走ったところ。
長い階段を登っていった先にあった、景観のいい小さな神社から撮った、海の写真だった。
ディスプレイを覗き込む女性の瞳が、みるみる開かれる。
「ここ……! ここって、」
「神社の!」
声が揃った。
揃って、ふっと吹き出す。
女性が、やや興奮気味な声を上げた。
「そうそう! ここここ! うちの地元の神社! アングル全く一緒! すご! なんでなんで!?」
「あ……すみません…………えっと、ここで、絵馬、描きませんでした?」
「え……描いた……。ついこないだ」
「この景色と、『画家になりたい』って」
「青だけ塗って……」
「そう! それです! すみません……うっかり、絵馬を見てしまった者です」
女性の睫毛が、ぱちぱちと揺れた。
「は?」
「……あー……なるほど? 自分探しに? 愛媛まではるばる」
「いや……自分探しっていうか……」
「で、サイクリングしてて? たまたまあの神社に?」
「はい」
「怖ぁ!!!」
きゃ——!! と、女性はスケッチブックで顔を覆う。
ぎゃ——!! と、翔太は狼狽えた。
「ちょ……違……不審者とかじゃ——」
苦し紛れの言い訳をしどろもどろに口にしていると、スケッチブックが、ぷるぷると震える。
「……すご……」
「えっ!?」
翔太は目を丸くした。
笑っている。
女性は、肩を震わせて、くくく……と堪えきれない笑い声を漏らしていた。
「すごすぎでしょ……! 将来に不安になって? 瀬戸内に来て、自分探ししてるの? その行動力、すごくない……?」
「はっ?」
翔太は、変な声しか出ない。
「その行動力あったら、何でもできる気がするけどなあ……! 前向き」
……前向き?
「私は、いいと思うけど」
「……——!」
言葉に詰まった。
「ここに来てくれて、嬉しいしね。何で愛媛にしたの?」
「えっ? 特に意味は……あ、いや」
「え?」
そういえば、ここへ来る前。
『あんた、将来どうするの?』という電話越しの母親の言葉で頭が真っ白になっているとき。
たまたまテレビに映っていた、旅番組。
「……テレビに……映ったから……?」
「テレビに……うつったから……?」
腹落ちするように呟くと、女性はまた可笑しそうに笑いだした。
「単純! その時北海道が映ってたら、北海道行ってたってこと!?」
「……ああ……そうかもしれません……?」
「てきとうだなあ!」
「そんなもんですよ」
彼女は小さく笑い続けている。
「やっぱり、前向きだと思う」
「そうですか……? ほんと、何もやりたいこと思いつかなくて」
「それは別にいいと思うんだけど」
「え?」
「変わりたいって思う人じゃないと、その行動力は発揮しないって」
妙に、説得力のある言い方。
「……なるほど……」
少しだけ、まったりとした空気が流れた。
隣で、ちらちらと翔太のスマホを覗き込む女性。
「もっかい見せて」
「え? 何をですか?」
「写真」
「ああ、はい」
言われた通り、神社で撮った写真を見せる。
触っていいですか? と言われ、頷く。
写真をスライドしていく女性。
「…………写真の事は、私分からないけど……」
「はい」
「いいね。なんか」
「えっ?」
「愛媛……っていうか、瀬戸内の雰囲気がよく出てる気がする」
「そう……ですかね?」
「うん。無理矢理撮った感じがなくて、好き」
随分はっきりという人だなあと、驚く。
すると、彼女は湯につけていた足を上げた。
慣れたようにタオルで拭くと、置いてあったスケッチブックに、さらさらと何かを書く。
そして、ビリッとその一枚を破った。
目の前に突き出される紙。
「はい、これ。あげる」
「えっ!?」
「SNSのアカウント名。よかったら繋がっといて」
「……いいんですか?」
「せっかく瀬戸内に来てくれた記念に」
そう言ってカバンにスケッチブックを押し込むと、動きを止めた。
翔太は、じっと彼女の顔を見つめる。
「……私もさ」
「はい」
「同じように、もやもやしてたけど。割とどうでもいいことで吹っ切れたりするんだよね」
「……どうでもいいこと?」
「うん。猫が丸めた紙を転がしたりとか」
どんな状況?
小首をかしげていると、彼女はふっと笑った。
「お互い頑張ろ」
じゃあ、またね! と言って、立ち去って行ったその背を、翔太はぽかんと見つめる。
ふと、手渡されたスケッチブックの紙に視線を落とした。
『himari@painter』
(ひまり……って、名前かな)
ふと、そのアカウント名の横に書かれた、ゆるい猫の絵に視線が留まる。
思わず吹き出した。
(かわいい……そういえば、こんなような絵を、ずっと隣で描いてたな)
『画家になりたい』
そう描いた絵馬は、随分とリアルな風景画。
それに相反するような、ゆるい猫の絵。
(彼女も、模索中なのかな。でも、SNSではpainterって名乗ってる。……なんか、かっこいいな)
羨ましい。
と同時に、負けていられないような、そんな気になった。
何がやりたいとか、どうしたいとかはまだないんだけど。
それでも。
最初にあの、何もない下灘駅に降り立った時。
取り残されてるのは自分だけなんじゃないかという不安というか、焦燥感。
その視界が、今は妙に明るい。
夢はあるけど、まだ叶えられてない人がいる。
焦ってる人は、自分だけじゃない。
上手くいかなくても努力していたら、拾われることだってある。
(来て、よかったな)
名古屋へ戻ったら、ちゃんと写真を見返してみよう。
瀬戸内について、もっと調べてみてもいいかもしれない。
何がやりたいとか、まだはっきりと見つかったわけじゃないけど。
スマホに映る、真っ青の海。
神社から見た、鳥肌の立った景色。
『いいね。なんか』
ふっと笑みをこぼすと、真っ直ぐ顔を上げた。
(次、また彼女と会う時は、もう少ししっかりした大人になっていたい)
画家としての一歩を踏み出しているかもしれない彼女に、置いていかれないように。
瀬戸内の日常を描いたオムニバスを最後までお読みいただき、ありがとうございました。
繋がる、をテーマに描いたお話でした。
一つでも心に残る回があったなら幸いです!
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