第14話 時代に合わない?
倉敷の朝は、ゆったりと始まる。
朝日が柳を鮮やかに照らす。
まだ川舟がいない倉敷川は穏やかで、空を映す鏡のよう。
そこを、流れに身を任せながらすーっと泳ぐ白鳥は優雅で、朝見ると心が澄んだ心地になる。
そして、観光客がほとんどいない石畳を、我が物顔で歩く猫。
猫は迷わず、店の前で立ち止まり、地に腹をつけた。
柊一の表情は、無意識にほころぶ。
なでなで。
さわさわ。
手の下の猫は、まあ好きに撫でておけ、といった達観した態度で、足を伸ばす。
お言葉に甘えて、と、毛に沈む指をさらさらと動かした。
(あったかいなあ……ふわふわ……)
気持ちいいのか、細まる猫の目。つられて目を細めた。
(このまま、一日撫でていられそうだなあ……――)
「……――っと!? 柊一さん!? 聞いてます!? 何ぼさっとしてるの!」
「ああ、ほら。猫ちゃんが」
「猫さんはお饅頭買ってくれないでしょう!?」
憤慨する女将の声を聞きながら、愛嬌のあるふてぶてしい顔を見下ろした。
「……買ってくれますか?」
「猫さんと会話をしない!」
苦笑いを浮かべながら柊一は、ゆったりと立ち上がった。
―― ep.14 柊一の場合
「全く……! どうしてそう、のんびりしているんだか」
「すみません」
洗面台に立ちながら柊一は、手の中でもこもこと泡を増殖させる。
両手いっぱいでも溢れるほどに盛り上がった泡に、おお……! と感嘆の声を漏らした。
(こんな……こぼれるくらいの生クリームを饅頭にかけてみたりだとか)
「聞いています!?」
「あ、はい」
慌てて蛇口をひねった。
「――ですから、そろそろ真面目に考えてほしいの」
閑散とした店内で、女将が息巻いた。
「はあ」
「このままだと、周りのオシャレなスイーツに押されて、ちっともうちの和菓子が売れません」
「でも、美味しいですよ。ジェラートとか」
「知っています。私も好きです」
「……好きでしたか」
「だから困っているのです。今のままでは、うちの店は倉敷の景観の一部だと思われます」
「うまいこと言いますね」
「柊一さん」
「すみません。えー……っと」
柊一は眉間にしわを寄せ腕を組み、ふむ、と考えた。
「猫ちゃんを、看板猫に――」
「柊一さん」
「すみません」
だめらしい。
柊一が勤めている倉敷美観地区の和菓子屋は創業100年を超える老舗。
土産屋と並び、白壁の古き良き空気に溶け込んでいる。
……溶け込みすぎて、どうやら若者に人気の洋菓子を前に、素通りされている、というのが目下女将の悩みの種らしかった。
最近では毎日のように「どうしたらスイーツに対抗できるか」「スイーツより美味しく美しく目立つには」といきり立っている。
(洋菓子には洋菓子の良さが、和菓子には和菓子の良さがあるのになあ)
女将のまくし立てる様子を眺めながら柊一は、対抗? と小首をかしげていた。
そもそも、柊一は昔から破滅的におっとりしていた。
小学校時代、分団に間に合わず、蟻や猫を観察しながらのんびり学校へ行ったら1時間目の終り頃だったことがあるし。
自転車をあまりにも遅く漕ぐから「おまえどうやってバランス取ってんの?」と驚かれたこともある。
また、受験競争と称し、一つでも順位を上げようと皆机にかぶりついていた時期。
『おまえ、そんなにのんびりしてたらみんなに置いていかれるぞ』
と、高校三年の担任が、照らし合わせたわけでもないだろうに、中学三年の担任と全く同じことを口にして目が点になったことは、記憶に新しい。
(苦手なんだよなあ……流れに乗っていかないといけないみたいな、そういう空気が)
柊一は、カウンターに置かれた試食用の砕いたせんべいをひょいとつまんだ。
「どら焼きラスクとかどうでしょう」
「スイーツに引っ張られていますよ」
「パフェに刺すとか」
「もうスイーツですね」
「手を取り合う感じで」
「完全に主役の座を持っていかれます。だめです」
うまいこと言うなあ。
「あはは! うまいこと言うなあ!」
「そうでしょう」
柊一はこの日、岡山後楽園内にある茶店を訪れていた。
和菓子を卸しているここの店主は若く、柊一とも話が合う。
「いつ聞いても、女将さん面白いなあ……!」
「いつも真剣で」
「別に柊一くんが真剣じゃないわけじゃないでしょうに」
さらっとそう言うと、持参した和菓子の箱を覗き込んだ。
「水菓子、よく出るよ」
「女将さんに伝えておきます」
「うちみたいな茶店には欠かせないんだから、そう気を急くこともないのに」
「僕もそう思います。洋菓子のような、わあっとテンションの上がる感じではなくて、それこそお茶と一緒に口にしてほっこりするようなイメージなのですが」
「見た目もきれいだけどね」
「僕もそう思います」
柊一は力いっぱい頷いた。
思わず顔を見合わせると、苦笑い。
「何となくだけど……女将さん、『和菓子ちょっと敷居高い』って人にも手に取ってもらいたいんじゃない? それがまあ、極端に言えば若者。ほら、スイーツはすぐSNSでバズったりするけどさ、和菓子はね」
「時代に合わない?」
「そこまでは言わないけど」
「以前、ショーケースの上段『この列の和菓子全部ください』って言って爆買いしていった若い子はいましたよ」
店主は、ぱちくりと目を瞬く。
「……すごいつわものいた……」
「法事か何かだったのかな?」
首をかしげる。
「いや、まあその子は例外としても。『和菓子屋なんて行ったことない』っていう若い子はいそうだけど、『洋菓子だしちょっと……』って敬遠する子は少なそうだなとは思うよね。それが羨ましいんじゃない? 女将さん」
「和菓子屋行ったことない……そうなんですね。僕は、ええっと……」
腕を組み、ふむ、と考えた。
「一人焼肉とかの方が、行ったことないかなって思――」
「ごめん、何の話?」
えっ? と顔を見合わせた。
(『和菓子屋なんて行ったことない』……。そうかあ)
岡山後楽園の壮観な庭園をまったりと散策しながら、先ほどの会話を回顧する。
『スイーツより美味しく美しく目立つには』
(そうなるともう、美味しくとかそういう次元じゃない気がするなあ。興味自体持ってもらって、和菓子への敷居を低くしないと)
でもどうしたら……、と腕を組んで歩いていると、池に架けられた木橋が目の前に現れた。
その先の池のほとりには、雄大なシダレザクラが咲き誇っている。
その桜を見て、なぜかふと、以前和菓子を爆買いしていった子を思い出した。
『ここ、こ、この列の和菓子全部ください!』
ふっと吹き出す。
あの時の彼女の顔は、桜のように染まっていた。
(恥ずかしかったのかな?)
確かに大量に買うのは恥ずかしかったのかも。
もしかしたら、初めて和菓子屋に来たのかもしれない。
それでも、勇気を出して来てくれたことが、純粋に嬉しい。
(……そういえば)
あの日、和菓子屋は大いに盛り上がった。
(ああやって、和菓子を買いに来てくれる子だっている。法事だったのかもしれないけど。でもあの時の女将さんは、嬉しそうだったなあ)
そして、はたと気づいた。
(もしかしたら、あの一件が嬉しくて、もっと若い人に来てほしいって思ってるのかな? 女将さんがのやりたいことが「スイーツへの対抗」じゃなくて「若い人にとりあえず来てもらいたい」なら……――)
ふむ、と考える。
そうして柊一は、唐突に木箱を取り出した。
それは、外出の際はいつも持ち歩いている、云わば「和菓子の弁当箱」。
そこから饅頭を一つ、取り出す。
それを手のひらに敷いた懐紙に乗せた。
手にしていた饅頭に、二ヶ所、楊枝で突く。
「……かわいい」
無意識に呟く。
思いのほかかわいい。
どことなく、店の看板猫に似ている。
まだ看板猫じゃないけど。
片手でスマホを構えた。
パシャ。
すぐさま、撮った写真を見る。
「…………」
……何て言うんだろう。
饅頭が庭園を散策しているような?
写真はどうも苦手だ。
でも、悪くないような気もする。
「うーん……」
少しだけ考えて、饅頭が思いそうなことをコメントに添えて、店のSNSに投稿してみた。
饅頭が思いそうなことって、何だろう。まあいいか。
伝統もある。味も見た目もいい。
なら――
(多分。何かきっかけがあれば。若い子は、瞬発力あるから)
僕はあまりないけど、と苦笑する。
(若い子=SNS、若い子=かわいいの好き、っていうのは安直かな? また女将さんにどやされるかも。そういうことじゃありませんって)
まあ、それでもいっか、と笑う。
何がきっかけかわからないけど、勇気を出して来てくれたあの子のように。
何がどう繋がってどう作用するかは、やってみないとわからない。
少し歩き、景観が望める少し小高い丘で。
流店で休憩しながら。
饅頭散歩写真を撮っては、SNSに上げる。
(愛着が湧いてきてしまった……)
きょとんとした顔の饅頭と見合うと、すみませんがいただきます、と頭を下げ、口に含んだ。
口いっぱいに広がる、上品で優しい甘み。
この飽きの来ない味は、いつ食べても心が満たされる。
後で茶店へ行ってお茶を飲もう、と心に決め、ぺろりと饅頭を平らげた。
店へ戻ると、やはりというか、女将が待ち構えていた。
ぎく、と視線を泳がせる。
「……戻りました」
「柊一さん」
そう言って、スマホを掲げた。
「これは、何ですか?」
「あ……ええと、すみません。なんて言いますか……きっかけ作りというか」
「ではなくて、ここの」
「え?」
SNSのとある箇所を指差す女将。
よく見ると、先ほどの投稿に「いいね」がついていた。
しかも全ての投稿に。
「『いいね』ですね」
「いいねですか! よいということですか!」
「よいということですね」
わかっているのかいないのか。
でも妙に嬉しそうな声を上げる女将。
(全部同じ結婚式場のアイコンの人……若い人かな? 興味を持ってくれたってこと?)
柊一も若いが、SNSのことはよくわからない。
それでも、不思議と嬉しくなった。
その時。
扉が、カタ、と小さく音を立て、同時に振り返る。
ガラスに映るのは、いつものあの猫。
「…………」
「…………」
「……もう効果が、と」
「……そう期待してはいけません、柊一さん」
「女将さんこそ」
「慎ましやかに」
すると。
扉と猫の間に、横から誰かが駆け込む。
桜色のふわっとしたスカートが揺れた。
はっ、と顔を見合わせる。
柊一は、少しだけ速まる鼓動を感じながら、扉を開く。
すると――大きく見開かれた目が、こちらを向いた。
――うまくいくかはわからない。でもとりあえず、また来てくれるなんて。




