合間 海と、海風と、優しさと
すっかり暗くなった、夜。
4月半ばの夜は、まだ少し冷える。
肩からずれたカーディガンをかけ直したいけど、両手がふさがれているから、それは叶わない。
なるべく寒くないように、希子は抱える小さな身体をぎゅって抱き締めた。
(あったかい)
まあこんなに泣き叫んでいたら、花梨はちっとも寒くないのかもしれないけど。
生まれたときは綿毛のように軽かった赤子も、7か月ともなるとずしっと重い。
加えて泣き方も、力強さを増してきた。
そんな、この世の終わりかのように泣き叫びながら仰け反られては、打つ手なし。
夜のぐずりが恒例となってきた最近はもう、落ちないように支えながら、遠い目をするしかなかった。
そして、部屋の中だと息が詰まるから、外へ出る。
島の夜は、とっても静か。
叫び声の合間にかすかに耳に届くのは、穏やかな波の音だけ。
視線の先では、真っ暗の中、たまにきらっと水面が光を反射する。
「ほら、きれいだよ、花梨」
花梨に言ったのか、自分に言ったのか。
ぼんやりと視界がにじんで、きらきらって光が目の前でたくさん散った。
その時。
スポットライトが近づいてくるみたいに、横から照明が当たる。
ふと顔を向けた。
「あーやっぱり花梨だった。超大音量のBGM」
キッ、とブレーキ音を鳴らし、颯爽と目の前に降り立つ、少し年の離れた弟。
「慎。おっそ」
「いーだろ、別に」
「彼女? 彼女?」
「ちげーし」
ただーいま! と、仰け反る花梨を嬉しそうに覗き込む慎。
ご機嫌斜めなの、見えないのかな。
「何で外にいんの? 夜の散歩?」
「……部屋の中だと何か、永遠に泣き止まないような気がして」
「なわけねーだろ。な? 泣き止むよなー花梨」
「気楽ねぇ、学生は」
「気楽じゃねえ、みたいな顔してるから、花梨泣き止まないんじゃねーの?」
むにむにと花梨のもっちもちな手を触る慎。
希子は、わずかに息を止めて慎を見た。
子育てなんてしたこともないのに、妙に的を得たことを言う。
すると、花梨が慎の指をぎゅっと握った。
かっわいーなー! と表情をほころばせる。
「あ」
そう声を漏らした慎が、ぱっと家の前へ駆けて行く。
すぐに戻ってくると、希子のカーディガンをかけ直す。
そして、花梨の手に、大きなレモンを乗せた。
「ほら。これでも握ってたら?」
思わず苦笑い。
それは、外へ出た時持ってきたけど、花梨にぽいって放られてしまったレモン。
「握らないって」
「抱えてるけど」
「……え?」
ふと見ると、ふぎゃあふぎゃあ泣きながら、がしっとしっかりレモンを抱えていた。
「……抱えてるね……」
「いい匂いだもんな! あ、でもかじったらだめだぞ?」
「かじってたよ」
慎が、ぽかんと口を開いたまま希子を見た。
「……かじったの?」
「うん。昼間」
「だ、大丈夫なの?」
「ほんのちょこっとだもん、大丈夫でしょ。ただ、苦かったのか、ものすごい不満そうな顔をお父さんに向けてた」
そう言った瞬間。
慎が、あははは……! と、弾けるように笑い出してうずくまった。
「やっべ! 見たかった! 写真ないの!?」
「どっちの? お父さん?」
「なわけねーだろ……! あーかわい! いい仕事するなー花梨」
すると家から、慎? 帰って来たの? と、母親の声がする。
「あーやべ。つーか腹減った。飯食って来るな、花梨。ありがと」
そう言って、ぽん、と花梨の頭に手を添えた。
「ありがとって、何」
「俺の代わりに泣いてくれてるみたいで、すっきりするなって、思って」
「――!」
ははっと笑うと、頭をよしよしと撫でる。
「……また何か無茶してんの? 慎。大丈夫?」
「ねーちゃんよりはしてないって。つーか、俺はしねーとだめなの。ぜってー奪取すっから」
「何それ。私も……別に……」
「あんま無理すると、花梨にものすごい不満そうな顔向けられるぞ」
そう言って、家へと駆けていく慎。
よっしゃ頑張るぜー! と両腕でガッツポーズを掲げながら。
その背を、きょとんと見つめる。
――慎! 何時だと思ってる!
――いーだろ別に!
聞き慣れた、言い合う父親と慎のやりとりに、ああまたやってるって、くすっと笑う。
……聞こえてくる?
気づけば静かになっていた花梨を見下ろすと、指をくわえながら、ひっく、ひっく、と小さくしゃくり上げていた。
目はとろんと伏せられ、今にも寝ていきそうだ。
(えっ、もう寝そう……今日早い)
もちもちとした顔を、じっと見つめる。かわいい。
すると、さらりとした風が頬を撫でた。
少し長くなってきた、花梨の猫っ毛をふわってなびかせる。
(気持ちいい。……かわいい)
花梨は、あっという間にすーすーと規則的な寝息を立て始めていた。
たまに大号泣した余韻の、ひっく、というしゃくりが混じる。
希子はもう一度、遠くを見つめた。
真っ暗の中、水面で煌めく、かすかな光。
星を散りばめたみたいに、幻想的で、好きな景色。
「きれいね、花梨」
寝てるのにレモン抱えてるのかわいすぎ、と目を細める。
家へと足を向けながら、隆二さん写真撮ってー、と、花梨を起こさないよう、小さめの声を上げた。




