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第12話 繋がった、その先

「おとうさーん」


 娘の希子(きこ)が、暢気な声を上げながら居間へひょいと顔を出す。


「何だ?」

「レモン、ちょうだい!」

「そこの段ボールにある」

「いくつか持ってくね」


 きれいなやつきれいなやつ、とウキウキレモンを選ぶ希子に、川島は眉をひそめる。


「……珍しいな。希子がレモン食べるなんて」

「あっ、私じゃなくてね。花梨(かりん)に持たせて写真撮ろうと思って。かわいいかなって!」


 かわいいかなって? と呆気にとられ、目を瞬く。

 なるほど。そういう需要が。……ないだろ。




 ―― ep.12 川島(かわしま)の場合




「――で、うっかり皮にかぶりついた花梨ちゃんに、すごい顔されたと」

「それは俺のせいじゃない……何で俺を睨むんだ」

「赤ちゃんって、素直ですから」


 目の前で、高田が大声で笑う。

 川島はラーメンをすすりながら、すんと鋭い目を向ける。


「写真館にレモン納品するのは、どうでしょう?」

「俺も一瞬考えた。でもそこはレプリカでいいだろう」

「確かに」


 可笑しそうに笑いながら高田も、ラーメンをすすった。



 自宅兼農園がある向島(むかいしま)から、尾道(おのみち)の港までは、フェリーでたった5分。

 今日も川島は、レモンを納品しに尾道を訪れていた。


 尾道に来ると、まず高田の元へ顔を出す。

 今日は「久しぶりにラーメンでもどうですか」と誘われた。


 高田はコンサルタントサービスを行う会社を経営していた。

 要は、地元の農家や職人向け営業代行。


 昔、農園に突然やって来た若者が「こんにちは。川島さんのとこのレモン、ラーメンに入れてみませんか?」と来たときは、目が点になった。

 その後、うちのレモンがいかに美味く、いかにラーメンに合うかを力説された川島は、とりあえず「好きにしてくれ。責任はもたない」と答えたのだった。


「その責任を負うのが、うちの会社ですから」


 高田とは、それからの縁になる。

 そこから、ジェラートだの、フレンチだの、柑橘スタンドに居酒屋まで、様々な営業でお世話になることとなった。



 ラーメンの器を傾けていた高田は顔を上げると、「そういえば」と川島へ視線を向けた。


「どうですか? 隆二(りゅうじ)さん」

「どうって、何だ」

「よくやっていますか?」

「よくやってくれてる」


 二年ほど前。

 長女の希子が結婚し、「レモン農家を継ぎたい」と豪語する婿をもらった。希子より五つ年上の、元システムエンジニア。

 長年のデスクワークで運動不足だという通り、最初畑へ出た時はひいひい言って万年筋肉痛のようになっていたが、最近はそれもない。

 たまに「レモン畑に抜ける風って、心地いいですよね」などと、妙に爽やかなことを言う。何だそれ。

 しかし意外と体格が良く、案外農作業が様になっていた。


 嫁なんかは、「ほんと隆二さん素敵ね」と骨抜きだ。


「何か妙なところもあるが、覚えもいいし、要領もいい。あとまあ……俺や農家に対して、何というか」

「リスペクトがある」

「そうだ」

「ああ、そんな感じしますねえ。そして愛妻家。子供溺愛。いいお婿さん貰いましたねえ」

「そこまでは言ってない」

「十分伝わってきますから。義父も孫溺愛。ほんと隆二さんいいとこに嫁ぎ――」

「そこまでは言ってない」

「あれ」


 照れやらいたたまれないやら。

 ふいっと、店の外へ顔を向けた。


(そう。いいことなんだ。別に、ずっと俺がやれるわけじゃない)


 ずっと、継ぎ手がほしいと思っていた。

 それは間違いない。


 そして、長女が「農家になりたい」という爽やかな男を婿に迎えた。

 よくやっている。

 最高だろう。


 ただ……――じゃあ自分がこのまま徐々に退いてくのか、と思うと――



「道の駅の紹介パネル、隆二さんも載ってもらいましたけど、今度希子さんと花梨ちゃんも一緒に写った写真にしませんか?」


 そんな川島の心中を察してか知らずか、高田はそのまま話を続ける。


「……何で花梨まで」

「赤ちゃん写ってるともう、それだけでおじいちゃんおばあちゃんは買いますから」

「そんな馬鹿な」

「ほんと、そんな馬鹿な、ってくらい、買ってくれます」


 ぽかんと呆気にとられる。

 そんなものなのか。


「隆二さんの顔写真に『僕が作りました』って書かれたクッキーか、希子さんと花梨ちゃんの顔写真に『私が作りました』って書かれたクッキー、どっちが嬉しいですか?」

「何で隆二さんがクッキーを作るんだ」

「ね? 希子さんと花梨ちゃんのクッキーの方が嬉しいでしょ?」

「何も言ってない」

「顔が言ってました」


 ぐ、と小さく声を漏らす。


「川島さんはわかってくれていると思いますが……兎にも角にも、まず興味を持ってもらわないといけませんからね」

「わかってる」


 高田は多分。

 こういう年寄りを、何人と相手にしてきたのだ。

 だからきっと、川島が迷っていることが、手に取るようにわかっている。


 わかった上で、「その先」を、上手いこと提示してくれようとしている。


(ただ、そんな簡単な話じゃないんだ)



 その時。

 スマホが震えた。


 通知欄には、希子の文字。

 ぱっとLINEを開く。


「あ」


 ディスプレイを覗き込んだ川島と高田が、同時に声を上げた。


 そこには、レモンの帽子をかぶった花梨が、満面の笑みでレモンを持っていた。


「…………」

「かわいすぎません? 花梨ちゃん」

「…………まあ」

「待ち受けに設定する方法、教えましょうか?」

「……………………いや」

「なんか、ゆるキャラみたいですね」

「ゆるキャラって何だ」




「じゃあ、坂の下の柑橘スタンドまで」

「ああ」


 ラーメン屋を後にした川島は、軽トラックから段ボールを一つ、抱えた。

 ふっと笑う高田。


「相変わらず、手で持っていくんですね」

「好きなんだよ、歩いてくの」

「知ってます。僕もですから」

「知ってる」


 高田を信頼したのには理由がある。

 それは、農園へ顔を出した最初に「尾道が好きなので」と言ったことだった。


 レモンが好き。味が好き。それだけでは信頼しなかったかもしれない。


『尾道が好き』


 そう聞いた瞬間に、信頼してもいいかも、と、そんな思いがふっと沸いた。不思議だったが。


 人間とは不思議なもので。

 何か「通じるもの」があると、妙に親近感が沸く。


 営業トークかとも思ったが、高田は本当に尾道が好きだった。

 坂の魅力、景色の穴場、食の多種多様さ。

 ありとあらゆる観点で、尾道を語ってきた。


『食では根付いています、レモン。あとは、隆二さんの言うような「レモン畑に抜ける風が心地いい」というような。レモン自体の価値観、尾道とレモンの結びつき、みたいなものを、もっと伝えられたら』


 そう言って語る高田の瞳は、いつも輝いている。

 そういう生き方もあるのか、と、圧倒されるくらいに――



 緩やかな石段になっている坂を下っていた、その時。

 建物の隙間から、突如猫が飛び出してきた。


「おっと」


 猫が多いのも、尾道。よくあることだった。

 ただ――弾みでレモンが一つ、段ボールから落ちた。


「あー商品が!」


 その言いぶりが、高田らしい。

 拾おうとしたレモンを、パシっと猫が弾いた。


 え、と固まる高田。

 レモンはそのまま、緩い石段をころころと転がり落ちていく。


「あーまずい――」


 高田がそう言いかけた時。



 カシャ。カシャ。



 響く、スマホのシャッター音。


 坂の下。

 そこで女性がしゃがみ込みながら、何度もシャッターを切っていた。


 アングルにこだわりでもあるんだろうか。ものすごく姿勢を低くして。



 ころころ転がっていったレモンは、その隣に立つ女性の恋人らしき男性の足元で止まった。

 その男性が、ひょいとレモンを拾う。


 するとスマホ画面を見ていた女性が、ふるふる震えた。


「映え写真……! 奇跡の巡り合わせ……! レモンと猫と坂道……!!」

「良かったな」

「猫かわいい……猫にゃん……レモン猫……!」

「はいはい。レアレア」


 追いついた高田に、男性がレモンを手渡す。


「どうぞ」

「ああ……ありがとうございます……というか、これ、もう商品にならないので、差し上げますよ」

「えっ!?」


 しゃがんでいた女性が、目を輝かせて立ち上がった。


「いいんですか!?」

「はい。あちらの……川島農園さんで作っている春レモン。強い酸味の中にまろやかな甘みが感じられるレモンですよ。是非」

「えっ……嬉しい……! レモンビールしたかったんです」

「レモンビール?」


 川島、高田、男性の声が揃う。

 すると、高田が大声で笑った。


「通ですねぇ……! 道の駅や醸造所にクラフトビールも売っていますよ」

「ほんとですか!?」

「ほんと好きな。お前」

「好き……嬉しい……!」


 喜びのあまりなのか、ぷるぷる震える、どうにも小動物のような女性を見て、男性がふっと笑った。



 ありがとうございます、と丁寧に頭を下げて立ち去るカップル。

 すると少し先で、女性がまた猫にレモンを並べて、写真を撮っていた。


 どちらからともなく、笑いが漏れる。


「やっぱり、映え? っていうのか? レモンは。食べるより。希子だけかと思ったが」

「いいんじゃないですか? まずは、興味を持ってもらわないと」

「そうだな。いやでもレモンビールか……」

「美味しいですよ。川島さん、飲んだことあります?」

「隆二さんにも勧められたんだが……いや実は、抵抗感が」

「ええー! 美味しいですよ。レモンって、アルコールに合う果物の代表格じゃないですか」


 むう、とわずかに考え込む。


(――そういえば、そうだった)


 何十年前だったか。

 脱サラして農園を始めたのは、そんな理由だった。

 レモンサワーが好きで、唐揚げに添えられたレモンが好きで、尾道が好き。



『川島さんが、一番乗ってくれたんですよ。実は』


 いつだったか、高田はそんなことを言った。


「知らん。あんな勝手に力説されて、有無を言わさない態度で来られたら、頷きたくもなる」

「そこで首を縦に振らない方が多いのが、農家さんと、職人さんなんですよ。『自分はこういうものを作ってるんだ』って信念があっての事のなので、当然なのかもしれませんが。そこをいかに頷いてもらうか頑張るのも、まあ僕たちの腕の見せ所でもありますけど。でも自信はあります。僕含め、みんな尾道が好きですからね」




 その時、またスマホが震えた。

 ぱっとLINEを開く。


 そこには、レモンの帽子をかぶった花梨が、今度はすんと真顔で、レモンを持っていた。

 メッセージは『失敗バージョン』。


 同時に吹き出す、川島と高田。


「ゆるキャラ……!!」

「ゆるキャラって何だ……!!」


 いやかわいすぎでしょ……! としゃがみ込んで腹を抱える高田。

 呆れたように高田を見下ろすと、スマホ画面へ視線を移した。


(……かわいいな)


 これはこれで成功じゃないか、と思う。


 孫ができて、自分の血が若い世代にどんどん繋がっていく。

 そういうことが、何だかすごいことだなと思うようになった。



 ウキウキときれいなレモンを選ぶ希子も。

 満面の笑みでレモンを持つ花梨も。

 レモン畑を抜ける風が好きですって爽やかすぎる隆二も。

 レモン一個で目を輝かせる女性も。


(繋がっていくもんだな。不思議だ)


 レモンサワーが好きで、唐揚げに添えられたレモンが好きで、尾道が好きってだけで始めた、レモンだったのに。


 川島は、ふっと笑った。


「ゆるキャラは、どうだ」

「えっ? ゆるキャラ? 花梨ちゃん?」

「いや。レモンのゆるキャラとか」

「もういますけどね。ああでも、ちょっと今風ではないというか……」

「今風なのって、何だ。映えか」

「『映え』を初めて知ったおじさんですか?」

「うるさい」


 否定せずそう言うと、高田がおかしそうな声を漏らす。


「そういえば子供が、最近渦潮のゆるキャラがちょっとバズったって言ってました」

「何だそれ」

「ゆるい、大鳴門橋の」

「……渦にまでゆるキャラがいるのか」

「今風のキャラクターでレモンに興味を持ってもらうっていうのは、いいですね。SNSと相性がいいので」

「……へえ」

「レモン単体のゆるかわいいキャラとか、猫と戯れるレモンとか」

「どんなだ」

「合いそうなイラストレーター、探してみましょうか?」


 なぜだか楽しそうな高田。明らかに弾んでいる声。

 こういう話になると、本当に生き生きとする。

 そういうのも、悪くないな。


「いいな」

「いいですね」


 すると、バシッと背中を叩く高田。


「ま、うちはいつでもウェルカムですよ、川島さん」

「まだ引退しない」

「いつでもです、いつでも」


 読まれていたようで、癪に障る。

 まあ、高田のそういうところにも慣れたが。


 苦笑いを浮かべながら、もう一度、花梨の写真を見た。

 すんとした顔が何とも言えず、可愛い。

 どことなく、希子に似ている。


(まあ……こういうのも、いいな)


 ――育てるだけじゃない、楽しみを見つけるのも。それはそれでな。

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