第11話 なにとぞなにとぞ
太宰府天満宮は、庭のようなもの。
まず鳥居をくぐる。
鳥居の前で衣服を整え、軽く一礼。おじゃまします。
鳥居は神聖な「神様の領域」への入り口だから。
境内の参道は、真ん中を避けて、歩くのは左右の端。
真ん中は「正中」って言って、神様が通る道なんだって、何回聞かされたかな。
通ってみたいとか、思ってないよ?
次に、手水舎で心身を清める。
途中で水を汲み直さずに一連の動作を行うのは、基本だよね。
いつ見てもため息が出る荘厳な楼門を通り、ようやく御本殿。
神前に進んで姿勢を正す。
軽く一礼して、お賽銭を静かに納め――
「――…………あれ……お金ひっかかった……」
えっ? そんなことある?
すごいバランスで賽銭箱にひっかかってるんだけど。
着地しないお賽銭……何かのお告げかな?
―― ep.11 心の場合
(しばらく賽銭箱観察してたけど、お賽銭落ちなかったなぁ……ちゃんとお納めいたしましたよ、神様)
かしこみかしこみも白す、と手を合わせる。
ちょっとだけもやっとしたまま、でも一応参拝はしたし、と本殿を後にした。
高校が午前授業だったこの日、心は真っ直ぐここ太宰府天満宮へ向かった。
平日でもここは、いつも多くの人が行き交う。
(みんな、神様にお頼みしたいことがあるのかなぁ。私の順番はいつですか。お賽銭が届いてからですか?)
てえい! と砂利を蹴る。
牛の像にコツンと当たり、あああすみません……! と駆け寄った。
(なにとぞなにとぞ……って、困ってるのは頭の良し悪しじゃないんですけど)
つるっつるになっている牛の頭を撫でながら、浮かぶのは、先日配られた、進路希望の紙。
高校三年。そういうこと考えないといけない時期かあ、としぶしぶ紙と睨み合う。
心は少しだけ悩んで、『大学 文学部』と書いた。
(間違ってない…………間違ってないよね。本とか好きだし。小説というよりは児童書寄りだけど。文学……文学の仕事って……?)
磨くように撫で続けながら、はて、と小首を傾げた。
小さい頃から、神様とかそういうふわふわしたものが好きだった。
(昔から好きだった絵本は、未だに持ってる。虹の橋を渡って色んな世界を行き来する話とか、杖をなくした神様が、それでもみんなの願いを叶えようって頑張る話とか)
だから、太宰府天満宮も好き。
歴史の重厚さとファンタジーの狭間のようで。
実は中学の頃、本気でここの巫女さんになろうかと考えたことがある。
が、母親に
「あら、巫女さんはみんなバイトよぉ」
と言われて衝撃を受けた。
(神様も、バイトを雇うことが!?)
ちょっと現実に引き戻された。
でもそれはそれで何か神様に対して親近感が沸いて、やっぱり好きかも、って落ち着いた。
神様とかファンタジーとか、そういうふわふわしたものが好きで、物語も好きで、だから「文学部」。
――ほんとうに、合ってるのかな?
好きを仕事に、ってよく言うけど。
『じゃあ、この先何がしたいの?』
って聞かれると……答えられない。
『文学部ね。いいんじゃない。教員とか司書とか……編集者とか? 幅が広くて』
『そ……ですか』
進路希望の紙を提出したとき。
まるでピンとこない、先生が挙げた職業の羅列。
どれも、ちっとも心が踊らない。
(よくない……よくないと思います。ぼんやりと文学部目指すとか。それで結局大学進学が目標になったりして……? ありそう! で、入学した途端燃え尽きて、授業ついていけないので退学します、とか……いそう、そういう人!)
そういうのよくない! と首を横に振る。
なにとぞ……なにとぞ先を見据える眼を私に……と牛の像に手を合わせると、心は再び歩き始めた。
帰路を進む足取りは重い。
(鳥居を出た瞬間に魑魅魍魎が跋扈してたりしないかな。で、見知らぬ着物の青年に刀を託されたりして。そして受験とは無縁の退魔の旅に……出るわけない)
現実現実、と呟く。
その時。
視界の端で、小さなものが動いた。
「あっ」
石畳の道の端を、一匹の猫が我が物顔で、のっそりと歩いていた。
(もふ様!)
その猫は、昔から太宰府天満宮で見かける子だった。
心は、勝手に神様の使いと決め、こっそりと崇めている。
(もふ様……今日会えた……縁起いい)
今日ももふもふであらせられる……! と手を合わせる。
そんな心をまるで気にも留めず、歩みを進める猫。
心は、そっと後を追った。
(なんであんなにピーンって立ってるのかな? 針金入ってるみたい)
まるで神社の主のような貫禄漂うしっぽを見つめながら歩いていると、猫は向き先を変えた。
猫が曲がった先。
そこは、心字池と池に架かる太鼓橋。
境内の、本殿へと向かう最初の通路のような場所だった。
あれ、と声を漏らす。
「そっち行ったら、また御本殿の方に戻っちゃいますよ」
そんなことは知ったこっちゃないといったていの猫は、大きく口をあけながら、池の方へと歩いて行った。
池に架かる、三連になっているアーチ型の橋は、境内へ入る前に必ず通る。
橋を渡って聖なる水の上を歩くことで、心身を清めて御本殿へと向かえるんだとか。
心は、この橋が好きだった。
(いつ見ても、ファンタジーの世界への入り口みたい)
もふ様もファンタジー世界の住人であらせられるのですか? と猫へ問うが、返事はない。
気づけば、姿が見えなくなっていた。
(お帰りになった……)
ぽつん、と橋の前で立ち尽くす。
(来た時に通ったしなあ。もふ様のお告げとはいえ、二回通るのは……どうなんだろう。今日は受験の最初でつまづきたくないから、何かいいきっかけとかもらえないかなと思って来ただけで、きっとまた来るだろうし。今日はもう帰――)
「つまづいたらだめですよ」
その時。
背後からそう聞こえ、はっと小さく息を止めた。
咄嗟に振り返る。
そこには、眼鏡をかけたスーツ姿の男性が、スマホを片手に、橋の方へ顔を向けていた。
すると今度は、橋から声が返ってくる。
「えっ、何で?」
同じくスーツの中年男性が橋の上で、不思議そうにその眼鏡の男性を振り返っていた。
「あっ、違いますね。手前の橋は、ええっと……ああ、後ろを振り返ったらだめだそうです」
「ええ!? ちょ……先に言ってよ! 渡る作法みたいなやつ!?」
ははっと笑いながら、眼鏡の男性が橋へと向かう。
橋にいた男性は慌てて前を向き、進みだした。
「詳しいなあ」
「ああ、いえ。橋の前に、『過去・現在・未来の三世の邪念を払い』っていう説明書きがあったのですが、ちょっと意味が分からなくて、聞いてみました」
「AIに?」
「はい」
「じゃあ次の橋は――……」
そう話しながら橋を渡って行ってしまった2人の背を、ぽかんと見つめる。
(……作法?)
心もスマホを取り出す。
「太宰府天満宮 太鼓橋 渡る作法」
『太宰府天満宮の太鼓橋は「過去・現在・未来」を表す3つの橋で構成されています。「過去の橋は振り返らない」「現在の橋は立ち止まらない」「未来の橋はつまずかない」という作法を守って進みましょう。』
(……そうだったの?)
心は再び橋を見つめ、目を瞬いた。
(後ろを振り返らない、立ち止まらない、つまづかない。……何それ、面白い! この橋自体がもう、物語みたい)
心はもう一度、橋へ足を向けた。
丸くアーチを描く橋を、一歩一歩踏みしめる。
何十回と通ったこの橋に、そんな意味があったなんて!
(観光で来てる人たちの方が、そういうこと気になるのかな。すごい……こんなにずっと通ってた場所にも、知らないことってあるんだ……!)
アーチのてっぺんに立つと、本殿への鳥居、そしてその奥の楼門が見える。
一番好きな景色。
(過去は振り返らない。そうだよね)
後ろの景色も見たいけど、我慢我慢、と橋を降りる。
(二つ目は現在……――)
唯一平らな橋の上で、立ち止まりそうになる心。
慌てて足を進めた。
(――ここ、平らで池がよく見えるから、立ち止まりたくなるんだよね。ふと立ち止まりたくなることって、いっぱいあるもんね)
止まらないよ、と三つ目の橋へ。
ふと、
『つまづいたらだめですよ』
先ほどの男性の声が、頭をよぎった。
お告げかな? と、くすっと笑う。
「はーい」
一人で勝手に返事をして、橋を渡り切った。
大きく伸びをすると、目の前には、先ほどもくぐった、御本殿への鳥居。
何だかさっきよりも、心が清々しい気がする。
本当に、心身が清められたみたいに。
鳥居の前で衣服を整え、軽く一礼。
(一日に二回も参拝するなんて、初めて!)
もう一度、鳥居をくぐった。
(やっぱり、ここ好きだな。何回通ってても、知らないことがあって、お告げもあって。神様とかファンタジーとか、物語みたいな橋とか。そういうふわふわしたものって、いいな。ふわふわ、もふもふ)
境内の参道を、丁寧に真ん中を避けて歩く。
(文学……って、まだよくわからないけど、この好きが繋がる何かないかなって、もうちょっと調べてみるのも、それはそれで面白い……かも? ほら、AIに聞くとか。文学部は、幅が広いんだもんね。物語を書くのは無理……としても、届けるとか、関わるとか)
手水舎で心身を清め、楼門を通り抜け、今日二度目の御本殿。
神前に進んで――
「あ、お賽銭ちゃんと落ちてる!」
ぐっ! とガッツポーズをして、慌てて姿勢を正した。
――慎ましやかに努力しますので、よきご展望を賜りくださいませ。なにとぞ。




