第10話 些細なきっかけ
「今日はさ、えーっと、どうする? 柚希」
慎重に、ハンバーガーに刺さっている串? ピック? を取る。
よし、崩れない。
「えっと、キックボードは? あ、こないだやったばっかか。クルーズ……も、こないだだっけ? ……あー」
こぼれそうになる玉ねぎ。
慌ててかぶりついた。
「ああっ……く、くずれ――」
「……串、刺す場所変えながら食べれば? 父さん」
「えっ」
すん、と呆れたような目の柚希。
手のハンバーガーには、食べやすいよう、端に刺し直された串。
めっちゃきれいに食べてるじゃん。何で? いつ覚えたの?
―― ep.10 浩介の場合
「い、いいの? また道の駅で」
「いい」
「ああ、でも、こないだクルーズに乗った時とは違う道の駅だからね! いいよね」
「あ、俺アイス食べたい」
「ええ!? しらす丼も食べて、まだ食べるの!? ……あ、いいよね。よく食べるようになったなあ。父さんもアイスコーヒー飲もうかな」
道の駅内に貼ってあるアイスクリームのポスターを見るや否や、すたすたと歩いていってしまう柚希の後を、浩介は慌てて追う。
壁には他に、淡路島の観光案内ポスターが、いくつも並んでいた。
柚希が、ちらっと見る。
「ほんとにいいの? このテーマパークとか、父さん行きたいなあ……! ゲームの中みたいで!」
「いいって。学校休んでるときに、そういうとこ行きたくない」
「そうなの? 渦はいいの?」
「うん」
「そ、そうかあ……いいよね。渦潮」
「……アイス、ここだけど」
「あっ」
うっかり通り過ぎていた浩介は、慌てて戻った。
メニューへじっと視線を落としている柚希を、浩介は横目で窺う。
柚希は最近、中学校へ行かなくなった。
それは、中学二年の三学期くらいからだった。
最初は、「だるいから行きたくない」とか、そんな感じだったと思う。
その時は特に何も思わなくて、
「寒いし体調崩したかな? 父さんも寒いの苦手なんだよね」
とか軽く話していた。
その時は一日休んだだけだったが、また一、二週間くらいして、
「だるいから行きたくない」
と、言った。
ん? と夫婦で顔を見合わせた。
ぽたっと、胸に落ちた、違和感。
それは、柚希が「休む」と言う度にじわじわと広がって。
そして、中学三年になり数日登校した後。
ぱたっと行かなくなった。
胸に広がっていた「予感」のようなものが、的中した。
母親がさりげなく聞いてみたところによると。
いじめられてるわけじゃない。
いじめを見たとかでもない。
授業についていけていないわけでもない。
それでも、学校には行きたくない。
とのことらしかった。
未だに、どうしていいのかわからない。
「……柚希のミルクソフトに乗ってるの、何? クッキー?」
「クッキーっぽい」
「目、ついてない?」
「…………ほんとだ……なんだろ、これ」
「ゆるキャラ?」
「渦の?」
とりあえず、気落ちしないように話し続ける。
柚希の? 自分の?
どっちだろう。わからない。
初めての受験を控えた男子中学生。思春期。
何かと色々あるのだとは思う。
ただ、それをああだこうだと言ったところで、解決しないような気がしている。
(こういうとき、父親は無力だなあ)
車を出して、少し遠出して、話し続けることしか出来ないなんて。
屋上へ出ると、大鳴門橋がすぐ真横から一直線に伸びる絶景が飛び込む。
春の風が、気持ちいい。いい天気だ。
「あの遠くに見える船、前に乗ったクルーズ船かな?」
「そうなんじゃない」
「よかったよね。ちょっと寒かったけど、カモメがいっぱい来て」
「父さん、めちゃめちゃ怖がってたじゃん」
「こ、怖がってないよ……。思ったより大きくてびっくりしただけで」
「冬だけでしょ、カモメは」
「そうなの? く、詳しいなあ」
そう言い合う二人の足は、心なしか速まる。
鳴門海峡が眼下に一望できるテラスの端まで来た。
「あっ、ほら柚希! 渦できてる!」
「今日、『大うず』って書いてあった」
「……どこに?」
「ホームページ」
「…………よく見てるね」
「渦なかったら意味ないじゃん」
「た、確かに……」
しっかりしてるなあ、と感心する。
柚希は昔からしっかりしている。我ながら、出来た息子だと思う。
そう思っているから余計に、何でだろうと戸惑いを隠せない。
「柚希、渦潮見るの好きなの?」
「うん」
「そ、そうか……! 知らなかった……! 何で?」
「えっ」
柚希はじっと渦潮へ目を向けている。
「……なんか、すごいから」
「ああ、いいよね。迫力というか」
うんうん、と頷く。
「自然の壮大さを見るとさ、自分の悩みがちっぽけに思えるとか言うけどさ」
「…………」
「父さんは、全然そうは思わないんだけど」
「え?」
やや驚いたような声が、柚希の口から漏れた。
「いや、見てる時はね! 迫力に圧倒されてちょっと忘れられるってことはあるよね! でも、悩みがちっぽけに思えるかとかは、また違うような気がするなあ……! あっ、でも、パワーは貰えるような気がするかな。あと、何か悩んだらまたここ来ればいいかとか、そういう心強さとか」
ぽかん……と柚希は不思議そうに見ている。
「いいよね。かっこよくて。うんうん」
「……うん」
妙な沈黙。あ、間違えたかな。
気まずさを紛らわすように、アイスコーヒーを口に含んだ。
すると、ぺろりとミルクソフトを食べきった柚希が、紙のパンフレットを取り出した。
「ここ、行きたい」
「え、どこどこ?」
二人でパンフレットを覗き込んだ。
駐車場に車を停めると、エンジンを切る。
「大鳴門橋記念館……って、柚希どれだけ渦潮好きなの」
「いいじゃん、別に」
「いいよね。いい、いい。いいと思う」
笑いながら、車を降りた。
「あ、猫」
入口へ向かっている途中。
柚希が何気なくそう言った。
猫だ。
入り口前の階段で、暢気に寛いでいる。
(ああ、そうだ。猫だ)
ふと、脳裏に浮かぶのは、別の猫。
「……そういえば父さんは、猫だったな」
ぽつりと、呟いていた。
「……猫?」
「ええっと、ほら! 道の駅で言ってた、心強いものの話」
「ああ……渦潮の」
「父さんも、何か、学校に行きたくないっていう時、あったの、思い出して」
一瞬、柚希が動きを止めた。
「……え、そうなの?」
「はは、実はね。柚希は僕に似ちゃったかなあ……そういうところ」
苦笑いを浮かべながら、頭を掻いた。
「苦痛なのはさ、朝家を出る瞬間と、学校が見えてきたとき。ね? そういうの、ない?」
「…………ある」
「うんうん、一緒一緒。父さんは、言うことも出来なくて。言えるだけ、すごいと思うよ、柚希は! とにかく何とか家を出るんだけど、行きたくない。でも途中に野良猫がいつもいるんだよ」
「野良猫」
「そうそう。その猫に会うためだけに頑張って家を出るの。その猫の存在が何か心強くてさ。で、気づいたら家を出るのが苦じゃなくなってきてた」
「…………」
「……ま、まあ、そんな僕の話というか。柚希にもさ、そういう心強い何かがあるといいなって思ってね。それだけなんだけど」
誰に言い聞かせているんだろう。柚希かな。自分にかな。
「行きたくなくなるのも、また行ってもいいかって思うのも、些細なことだったりもするから」
すると、急に黙り込む柚希。
え……と泳ぐ視線。冷や汗がじんわりと手に滲む。
館内を歩きながら、おろおろと何とか言葉を紡ぐ。
「べ、別に行けって言ってるわけじゃないんだよ!? 嫌ならいいんだよ、無理することはないよね。でもほら、月並みだけど、学生時代って、大人になるとほんと一瞬なんだよね。少しでも長く行けたらいいなって思うから」
柚希の視線は、床を向いたまま。
「で、でも、柚希とこうやって出掛けるっていうのも、何かいいよね。父さんは、嬉しいよ。父さんも何か……仕事ばっかりだったし。だから、柚希もさ、今は学校とか気にせず好きなとこ行ったり好きなもの食べたり、リフレッシュできたらさ――」
「別に、嫌とかじゃなくて」
「え?」
「学校」
柚希が、突然ぽそっと話し出した。
どきっと浩介の胸が鳴った。わずかに身構える。
「なんかさ……急に進路とか、成績とか、ちょっとクラスがピリってなったのが、何かちょっと」
「…………ああ」
「で、クラス替えで仲いい友だちと離れて、先生も、あんま好きじゃない先生になって、何か、色々」
ああ、なるほど。
「行きたくなくなった」
多分。
自分でも、はっきりと理由はわかってないのかもしれない。
というか、理由という理由はないのかもしれない。
どことなく変わってしまった空気に、馴染めない。
少しずつ大人へ変化していく、中学生特有の。
その狭間の、言いようのない不安。
それを感じる人もいれば、感じない人もいるだろう。
感じたとしても、その流れに乗って行ける人もいれば、取り残される人もいる。
難しい年頃だ。
(……どうしてあげたら、いいんだろうなあ)
その頃が、自分に間違いなくあったはずなのに。
どう声をかけていいか、わからないなんて。
ゆっくり歩きながら、館外へ出る。
「――あ」
その時。
突如、どでかい玉ねぎのオブジェが視界に飛び込んできた。
「…………」
「…………」
思わず二人して立ち尽くす。
「…………なにこれ」
最初に声を発したのは、柚希。
「……玉ねぎ、じゃない?」
そうとしか言えない。
でかい玉ねぎ。それだけ。
「えっ、何で玉ねぎ?」
「淡路島だから……かな」
「でかくない?」
「でかいね……い、いいんじゃない?」
「…………」
すると、柚希はぷっと吹き出した。
「いいか?」
楽しそうに駆けて行く柚希。
その瞬間――そのどでかい玉ねぎオブジェが、妙に力強く頼もしく見えたから、不思議だ。
何だこれ!? と言いながら柚希が周囲を回る。
久しぶりに見る、楽しそうな顔。
嬉しくなって、スマホを構えた。
「…………あれ」
柚希が、裏側から出てこない。
疑問に思い、浩介も回り込む。
するとそこには柚希ともう一人。
スケッチブックを膝に乗せ、絵を描いている女性がいた。
柚希は大鳴門橋を眺めるふりをして、ちらちらとその人を横目で見ている。
浩介もちらっとスケッチブックに視線を向けつつ、柚希に並んだ。
「……いい眺めだね」
「あーうん」
その女性の脇には、丸めた紙で、小さな山が築き上げられていた。
うーん、とたまに漏れる、小さな声。
それでも、鉛筆を走らせる手は、どこか楽しげだった。
そよそよとそよぐ風の中、シャッシャッとスケッチブックの上を走る鉛筆の音が心地よく響く。
しばらく無言で景色を楽しむと。
静かに館内へ戻る。
その瞬間――同時に、笑い出した。
「すっげーゆるい絵だった……!」
「か、かわいい絵だったよ……!」
「そうだけど……! あの玉ねぎ見て、何であんな玉ねぎと猫が戯れるゆるい絵になんの!?」
「げ、芸術家の人の感性は、すごいね……! いいよね、ああいうの。僕は好きだけど」
あはは……! と弾けるように笑う柚希。
「俺も……!」
何かツボに入ったのか、歩きながらも柚希の笑いは止まらない。
「あの人が、渦のゆるキャラ考えたんじゃない?」
「い、いや、まさか……!」
「あー、あのゆるキャラグッズ、買ってこればよかった」
「そ、そんなに渦潮ファンに!?」
「渦潮ファンって何だよ……!」
弾けるような、柚希の笑み。
何だか、胸にじわっと込み上げる。
来て、よかったなあ。
「じゃあ、戻る? 道の駅」
「また?」
「ほら、母さんへのお土産。今日は何にする?」
「じゃあ、あの渦のゆるキャラ」
「グッズあるかな?」
「あと、もっかいハンバーガー食べたい」
「また!?」
笑いながら館内を歩いていて、視界に飛び込む玉ねぎのUFOキャッチャー。
同時に吹き出す。
「あーだめだ。しばらく玉ねぎで笑う」
「給食に出てきたらどうするの……?」
ふと考える柚希。
「LINEするわ」
「父さん、会社で一人で吹き出しちゃうから……!」
それがいつになるかは分からない。
明日、行くっていうかはわからないけど。
給食に出る玉ねぎを楽しみに行けたらいいかな、なんて。
――こういう些細なことがきっかけだって、いいよね。うん。




