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夜。
同調へ入ると、今日はいつもより深く引かれた。
艦の空気。
張り詰めた通路。
走る情報。
抑えた怒声。
その中で立っているルイゼ。
艦長の顔だった。
かなり強く。
「……忙しいだろ」
恒一が言う。
『はい』
「それでも来た」
『あなたにも、もう影響が出始めているので』
その言い方は、少しだけ嬉しくて、かなり嫌だった。
つまり、自分はもう切り離された民間人ではないということだからだ。
「地球側、かなり早いな」
『はい』
「想定より?」
『やや』
「どこが効いた」
『観測精度。情報共有速度。あとは、あなたの文明の“競争反応”です』
「……」
『一国が気づけば、他も急ぐ』
「その通りだな」
ルイゼは少しだけ視線を落とした。
『そして、私たちの側でも意見が割れ始めています』
「……」
「どう割れてる」
『接触を急ぐべきか、さらに隠れるべきか』
「……」
『地球側が脅威判定を強める前に限定接触をすべき、という意見』
「うん」
『逆に、追跡側の位置が不明なまま接触すれば、地球を巻き込むリスクが高すぎる、という意見』
「……」
どっちも正しい。
だから最悪だ。
「お前はどっちだ」
恒一が訊く。
ルイゼは少しだけ間を置いた。
『以前なら、後者でした』
「以前なら?」
『今は、前者を完全には否定できません』
恒一は目を細める。
「理由は」
『地球側の観測が進みすぎています』
「……」
『いずれ、“見つかる”こと自体は避けられない可能性が上がった』
「……」
『なら、先に条件付き接触を試みる余地を失う前に、こちらから枠を作るべきだ、という考え方です』
それは、かなり理にかなっていた。
同時に、かなり危うい。
「地球は一枚岩じゃないぞ」
『知っています』
「どこに接触する」
『そこが最大の問題です』
「……」
恒一は息を吐く。
そうだ。
政府か。
軍か。
研究機関か。
国際機関か。
企業か。
どこへ出ても、別のどこかがざわつく。
自分が前に渡した情報は、まさにその“割れ方”の判断材料だった。
「……俺、ほんとに結構重要な一端だったんだな」
ぽつりと言う。
ルイゼは、今度は逃げなかった。
『はい』
「……」
『あなたがくれたのは、単なるデータではありませんでした』
「うん」
『地球の、生活の温度です』
「……」
『国家の反応速度だけでなく、人がどう不安になり、どう噂し、どう整理し、どう分断されるか』
「……」
『それは、遠距離観測だけでは取れない情報でした』
恒一は返事ができなかった。
そうか、と思う。
自分が渡したのは、生活の断面だ。
ニュースの反応。
SNSの空気。
職場の不合理。
孤独。
娯楽。
食事。
疲労。
眠れなさ。
そういうもの全部。
それは、たしかにただの社会データではない。
受け入れ候補地としての“住み心地の現実”だ。
「……最悪だ」
もう一度そう言う。
だが今度は、前より少しだけ意味が違った。
利用された。
それは事実だ。
でも、同時に、自分しか渡せなかったものがあったのも事実だ。
その両方が並ぶから、余計に重い。
◇
しばらく黙ったあと、恒一は低く言った。
「なあ」
『はい』
「仮に、だ」
『はい』
「お前らが地球と接触するとして」
『はい』
「その時、俺はどこに置かれる」
『……』
長い沈黙。
ルイゼが、今までより慎重に言葉を選んでいるのが分かる。
『地球側から見れば、異常接触の前兆を持つ民間人です』
「最悪だな」
『はい』
『私たちの側から見れば、初期接触に最も近い観測者であり、生活情報の提供者であり……』
「あり?」
『……私にとって、切り離しにくい個体です』
個体という言い方が、今は少しだけ雑に聞こえた。
たぶん、向こうも少し動揺している。
「……」
「それ、仕事としてか?」
恒一が訊く。
ルイゼはすぐには答えなかった。
その沈黙の質で、だいたい分かる。
『それだけではありません』
やがて彼女は言う。
短い。
だが十分だった。
恒一は眉間を押さえる。
「……こういうタイミングでそれ言うなよ」
『知っています』
「ずるい」
『はい』
否定しない。
本当に、最近はそこを取り繕わない。
「でも」
恒一が続ける。
「だからって、俺は簡単にそっち側へ行かない」
『分かっています』
「地球側の人間だからな」
『はい』
「その上で、お前を切り捨てたいともまだ思えない」
『……』
「だから余計に面倒なんだよ」
ルイゼは少しだけ目を伏せた。
『その面倒さを、私は軽く扱いたくありません』
「……そうか」
『はい』
その答えは、少しだけ救いだった。
少なくとも、この関係の厄介さを、向こうも厄介なものとして見ている。




