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速報が出た日の夜。
恒一は仕事を早めに切り上げた。
顧問先案件の初期整理は進んでいる。
先輩案件の定着支援も順調。
会計事務所案件の一覧修正も、かなり効いている。
だが今日は、もうそれだけではなかった。
ニュースになった。
国内で。
小さくても。
もう、戻れない段階だ。
部屋は暗い。
水を置く。
金属片。
呼吸。
受信を許可します。
深い藍。
星。
《巡界避難艦アウルム》。
ルイゼは、今日はすぐ現れた。
整っている。
だが、硬い。
「ニュースになった」
恒一が先に言う。
『確認しています』
「そっちでも?」
『地球側公開情報として』
「……」
なんか変な言い方だな、と思う。
だが、今はそこを突っ込む気力が薄い。
「ここからどうなる」
『複数の可能性があります』
「聞かせろ」
『一。観測誤差として一度沈静化を試みる』
「うん」
『二。追加観測で沈静化不能になり、各国の研究・安全保障ラインが前面に出る』
「……」
『三。私たち自身か、追跡側の何らかの動きで、公開速度が跳ね上がる』
「……」
三番が嫌だった。
かなり。
「追跡側って、地球に何をする可能性がある」
『現時点では不明が多い』
「それでも言え」
『最悪を言えば、地球近傍を戦域として認識する可能性があります』
戦域。
その一語は、あまりにも重かった。
「……」
「それ、地球側からしたら最悪どころじゃないだろ」
『はい』
「なんで、そんな場所に」
言いかけて、止まる。
それはもう、半分答えが出ている。
亡命先候補だったからだ。
でも、その候補地に、自分の星を巻き込むような形で来ている。
「……」
恒一はゆっくり言う。
「俺、知らないままでいたかったかもな」
『……』
「お前らが何者で、何を背負ってて、地球をどう見てたか」
『……』
「知らないまま、ただ助けられて、ちょっと惹かれて、人生立て直してるだけの方が、たぶん楽だった」
ルイゼは何も言わなかった。
ただ、その沈黙の奥に、深い痛みがあった。
『はい』
やがて彼女は言った。
『その方が、あなたは楽だったと思います』
否定しない。
それがきつい。
『でも』
「……」
『もう遅い』
「……」
『あなたは見てしまった。知ってしまった。観測してしまった』
「……」
『だから、私は今、あなたに選ばせることしかできません』
恒一は眉を寄せる。
「選ぶ?」
『はい』
「何を」
『ここから先も、接触を続けるか』
その言葉で、空気が一段変わった。
接触を続けるか。
つまり。
今までは、流れの中で続いていたものを、ここからは意識的に選べと言っているのだ。
「……」
恒一はしばらく黙る。
怒りはある。
疑念もある。
裏切られた感覚も消えない。
でも、助けられたことも本当だ。
惹かれているのも、たぶん本当だ。
そして、自分はもう、かなり深くここに関わってしまっている。
「……条件付きだ」
恒一は言った。
ルイゼの目が、わずかに動く。
「続ける」
「……」
「でも、もう“俺を守るために伏せた”は、かなりの部分で通らない」
『……はい』
「必要な危機は先に言え」
『はい』
「地球側の判断材料に俺の情報を使うなら、その線も前より明示しろ」
『……はい』
「あと」
『あと?』
「俺のことを、ただの観測対象として見た瞬間、たぶん終わる」
『……』
長い沈黙。
その沈黙の中に、張り詰めた何かがあった。
やがて、ルイゼは深く頷いた。
『受け入れます』
「……」
『それが、今のあなたに対して私が出せる、最低限の誠実さだと思います』
最低限。
その言い方は、嫌なくらい正確だった。
十分ではない。
でも、ゼロでもない。
恒一は少しだけ目を閉じる。
まだ全部は許せない。
でも、ここで切ることも、たぶんできない。
それが今の自分の本当だった。
◇
そこで話が終わるかと思ったが、ルイゼの方から、もう一つだけ来た。
『私も、一つ言います』
「何だ」
『あなたに情報を渡したのは、利用価値だけではありません』
「……」
『そこは、軽く扱われたくない』
恒一は返事に詰まった。
ずるい。
そういうタイミングで、そういうことを言うなと思う。
でも、本音なのも分かる。
「……分かった」
ようやくそれだけ返す。
ルイゼは少しだけ視線を逸らした。
珍しく、本当に少しだけ照れたような温度がある。
『それで十分です』
「そうかよ」
そのやりとりのあと、また少し沈黙が落ちた。
今度の沈黙は、さっきより少しましだった。
全部は解けていない。
でも、切れてもいない。
たぶん、それが今の限界だった。




