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夜。
簡易同調に入ると、ルイゼはすぐには現れなかった。
珍しい。
深い藍。
星。
《巡界避難艦アウルム》の巨大な外殻。
だが、いつものようにすぐ彼女の姿が出ない。
「……ルイゼ?」
恒一が呼ぶ。
数秒遅れて、ようやく姿が立ち上がる。
銀白の髪。
整った軍装めいた服。
いつもの顔。
でも、明らかに疲れていた。
「大丈夫か」
恒一が言う。
『大丈夫ではありません』
ルイゼは即答した。
「……珍しく正直だな」
『今は、それを飾る余裕が薄いので』
艦内の空気が、今日はかなり張っている。
遠くで何かが高速に動いている感覚。
命令の行き交い。
抑えた緊張。
そして、表に出さない恐怖。
「走査の件か」
『はい』
「悪化した?」
『確度が上がりました』
「……」
『追跡側は、私たちが地球近傍へ入ったことを、かなりの精度で掴んでいる可能性があります』
恒一は息を呑む。
「それ、どれくらいまずい」
『かなり』
「抽象的だな」
『では具体的に』
ルイゼが言う。
『私たちが単独で逃げ切れる可能性が、以前より下がっています』
「……」
それは、十分すぎるほど具体的だった。
「追手って、そもそも何なんだ」
『そこは、まだ全開示できません』
「……またか」
『ですが、最低限だけ』
「言え」
ルイゼは少しだけ目を伏せた。
『私たちの側の文明圏でも、全てが一枚岩ではありません』
「うん」
『避難と離脱を選んだ私たちに対し、それを許容しない勢力があります』
「……」
『資源、技術、人口、航路、そういったもの全部が絡みます』
恒一は眉を寄せる。
「つまり、お前らはただ逃げてるんじゃなくて」
『はい』
「相手にとって、逃がしたくない何かも持ってる」
『……はい』
そこまでだ。
また白く焼ける。
だが、今のでかなり輪郭は出た。
「避難船って、ただの難民船じゃないんだな」
『……』
『はい』
「それも最初から言わなかった」
『はい』
「最悪だな」
『はい』
ルイゼは否定しない。
言い訳もしない。
そこが逆にきつい。
「……でも」
恒一は言葉を選ぶ。
「それでも、お前が俺に渡してきたものとか、話してきたこととか」
『はい』
「そこに嘘は全部じゃなかったんだろ」
『全部ではありません』
全部ではありません。
嫌な答えだ。
だが、本当でもある。
助けられたことは本物だ。
気にかけられたことも、たぶん本物だ。
でも、全部が無垢ではなかった。
その二重性が、今の二人の関係の中心にある。
「……めんどくさいな」
『知っています』
ルイゼが言う。
『ですが、そうでなければ、今の私たちはここまで来ていません』
それも、たぶんそうだった。
◇
そのまましばらく、互いに黙っていた。
張り詰めた艦内の空気。
恒一の狭い部屋の静けさ。
その両方が、奇妙に重なっている。
やがて、恒一はぽつりと言った。
「なあ」
『はい』
「俺、今かなり怒ってる」
『はい』
「でも、切る気にもなれてない」
『……』
「そこがまた腹立つ」
『……はい』
ルイゼの方から、ごく薄い痛みの感覚が流れてきた。
その痛みは、自分が責められていることへの嫌悪ではない。
責められて当然だと知っている側の痛みだ。
「お前は?」
恒一が訊く。
『何がですか』
「今の関係」
『……』
「切った方がいいと思うか」
『思いません』
「即答だな」
『はい』
「なんで」
『あなたを失うと、地球情報の精度が落ちるから』
「……」
『というのは、半分です』
「残り半分は」
『……』
「そこは言わないのかよ」
『言うと、今はあなたがさらに怒りにくくなるので』
「……」
「お前、そういうとこ本当にずるいな」
だが、その“言わない理由”自体が、だいたい答えだった。
恒一は目を閉じて、しばらく呼吸を整える。
「……切らない」
『はい』
「でも、もう前みたいに何でもそのまま受け取らない」
『はい』
「地球の話を渡すのも、前より選ぶ」
『……』
「それでも繋ぐなら、そっちももう少し出せ」
『……努力します』
「努力じゃなくて、必要なところは」
『……はい』
ルイゼは小さく頷いた。
それが本当にどこまで守られるかは、まだ分からない。
でも、少なくとも今は、そこまで言わせたことに意味がある。




