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その夜。
部屋に戻ると、例の不審な差出人からは、さらに返事がなかった。
静かなものだ。
その静けさが逆に気持ち悪い。
一方で、仕事の側はまた少し動いていた。
三件目のネットショップ案件から、FAQ整理の追加依頼。
金額は一万五千円。
小さい。
でも、継続化だ。
「……」
恒一は画面を見ながら、少し笑った。
『また来ましたね』
ルイゼが言う。
「うん」
『断りますか』
「いや、これは型でいける」
『そうですね』
「時間も読める」
『はい』
つまり、受ける理由がある。
恒一は短く返事を打つ。
受ける。
範囲はFAQ整理まで。
納期は五日。
送信。
そのあと、ベッドに腰を下ろす。
部屋は暗い。
でも、少しだけ胸の奥が熱い。
「……最近さ」
『はい』
「俺、仕事が来るとちょっと嬉しすぎる」
『知っています』
「そこは否定しろよ」
『嘘は避けます』
恒一は苦笑し、枕元のメモ帳を開く。
今日の整理を書く。
正しい点
•信用が少しずつ上がっている
•継続依頼が出ている
•型が使え始めた
危ない点
•評価に気持ちが引っ張られる
•新規を絞ると言いつつ、追加を嬉しく受ける
•休みが薄い
「……」
『良いです』
ルイゼが言う。
「なあ」
『はい』
「お前、今日ちょっと優しいな」
『そうですか』
「そう」
『……』
「なんだよ」
『今日は、あなたが自分を見失わないように頑張っているので』
「……」
『少しくらいは、柔らかくしてもよいかと』
恒一はしばらく黙った。
その言い方は、ずるかった。
かなり。
「……ありがとな」
『はい』
短い。
でも、その短さの奥に、たしかな温度がある。
親密さは深まっている。
間違いなく。
でも同時に、核心の欠損もまだ残っている。
その二つが並んでいるのが、今は少しだけ苦しい。
それでも、離れたくはなかった。
会計事務所の所長から、顧問先案件の概要が送られてきたのは、その週末の夜だった。
恒一は風呂上がりのまま、濡れた髪も適当に拭いただけでノートPCを開いていた。
机の上には麦茶。
メモ帳。
冷めたままのカップ麺。
生活感は相変わらずだ。
だが、画面に並ぶ情報は、前より明らかに重い。
小規模製造業。
従業員二十数名。
現場、営業、事務の連携が崩れている。
納期管理と部材発注と進行報告が分断。
社長は現場上がりで感覚派。
事務は疲弊。
現場は営業を信用していない。
「……うわ」
恒一は率直に言った。
「これ、かなり嫌な匂いするな」
『判定。妥当です』
ルイゼの声。
「最近ほんと、それから入るの好きだな」
『役に立つので』
「それはそうだけど」
恒一は資料をスクロールする。
現状の報告書。
会議体のメモ。
納期遅延一覧。
現場からの不満の抜粋。
営業からの言い分。
事務担当の悲鳴に近いヒアリングメモ。
全部が少しずつ正しい。
だからこそ、全部が少しずつ噛み合っていない。
「……これ、前の会社より規模小さいのに、詰まり方は濃いな」
『密度が高いのでしょう』
ルイゼが言う。
「密度?」
『人数が少ないのに、個々の役割が混線している』
「……ああ」
分かる。
大きい会社は、壊れ方が広い。
小さい会社は、壊れ方が近い。
誰か一人が遅れると、全体に直で響く。
その分、混乱の温度が高い。
『判定しますか』
「してくれ」
『正しい点。あなたの得意領域にかなり近い』
「うん」
『不確実な点。今のあなたの稼働と、案件の重さが釣り合うか』
「……」
『不明な点。顧問先の社長が、整理されることに耐えられるか』
「それ地味に一番大事だな」
どれだけ整理案が良くても、社長が“今までのやり方”への執着を捨てないなら、現場はまた詰まる。
そこは本当に大事だった。
「……受けるなら、かなり範囲切らないと危ない」
『はい』
「診断と初期整理まで」
『妥当です』
「運用定着までやると死ぬ」
『はい』
「くそ、思ったより自分がまともになってきたな」
『学習していますので』
そこは少し嬉しかった。
前なら、この“面白そうで重い案件”に飛びついていた気がする。
今は違う。
怖さも、線引きも、少しだけ先に見えている。




