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帰宅後。
恒一は買ってきたシャツを椅子にかけ、ベッドに倒れ込んだ。
疲れてはいる。
でも、悪くない疲れだ。
三件が回っている。
四件目は待たせている。
会計事務所の所長との接点も見え始めた。
不審メールの方は、まだ相手が沈黙している。
良いことと、気持ち悪いことが、同時に増えている。
「……忙しくなってきたな」
『はい』
「こういう時って、どこでコケると思う」
『判定しますか』
「してくれ」
『妥当な失敗要因は三つ』
ルイゼが言う。
『一。調子に乗って受けすぎる』
「うん」
『二。今の成功を説明できず、外部の警戒を招く』
「うん」
『三。あなた自身が、“役に立つこと”と“自分の価値”を再び混同する』
「……」
最後が、重かった。
「それ、どういう意味だ」
『今のあなたは、仕事で手応えを取り戻しつつある』
「うん」
『それ自体は良い』
「うん」
『ですが、もし“役に立てない日は価値がない”へ戻ると、壊れ方も前と似る』
「……」
恒一はしばらく黙った。
刺さる。
かなり。
会社にいた頃、自分の価値は仕事の処理量で決まっていた。
怒鳴られなかった日。
ミスが少なかった日。
役に立てたっぽい日。
そういうものでしか、自分を測れなくなっていた。
今は違うと思いたい。
でも、違うと完全に言い切れるほどでもない。
「……怖いな、それ」
『はい』
「じゃあ、どうすればいい」
『仕事以外の接点を持つこと』
「例えば?」
『食事。休息。雑談。無意味な娯楽。自分の感覚の確認』
「……」
『あなたは、成果が出るとすぐ全部を仕事へ戻したがるので』
その通りだった。
何かうまくいく。
すると、それを拡大したくなる。
全部そこへ突っ込みたくなる。
それは危ない。
分かっている。
「……じゃあ今夜は仕事しない」
『良い判断です』
「ほんとか?」
『はい。本当に』
珍しく、少しだけ優しかった。
「じゃあ」
「はい」
「なんか、どうでもいい話でもするか」
『受けます』
「受けるって言い方」
『あなたの地球文化の雑談を、私は有益だと判断しています』
「絶対建前混ざってるだろ」
『半分くらいは』
恒一は笑いながら、学生時代に変なサークル勧誘へ引っかかりかけた話とか、昔好きだったゲームの話とか、どうでもいい記憶を少しずつ流し始めた。
ルイゼはたまに短く反応する。
笑うところで笑い、変なところで真面目に突っ込み、時々妙に鋭く本質を拾う。
そのやりとりの中で、不意に一つ、かなり昔の恥ずかしい記憶が滑った。
高校時代。
好きだった相手に、まるで格好つけたつもりで、実際にはかなり空回りしたメッセージを送ってしまった件。
「うわ、待て」
『……』
「今のなし」
『少しだけ見えました』
「忘れろ」
『難しいです』
「最悪だ……」
顔が一気に熱くなる。
向こう側からは、明らかに笑いを堪えている気配。
『それは』
「言うな」
『かなり』
「言うなって!」
『……若かったですね』
「傷を浅くしようとするな!」
でも、その笑いの気配に、少し救われる。
馬鹿みたいな失敗も、今はただの恥ずかしい記憶として流せる。
それはたぶん、少し回復している証拠だった。
◇
そして、その翌朝。
例の不審メールに、ようやく返信が来た。
共通の知人については、先方の意向もあり現時点では開示を控えています。
ただ、貴殿の業務整理能力に強く関心があります。
もし差し支えなければ、一度だけ情報交換の機会をいただければ幸いです。
「……」
恒一は無言で画面を見た。
『判定』
ルイゼの声が低い。
『妥当。紹介元を言えない時点で、透明性は低い』
「うん」
『不確実。悪意があるとは限らない』
「そうだな」
『ただし、現時点で応じる合理性は薄い』
「……」
恒一はしばらく考えたあと、メールを閉じた。
「返さない」
『はい』
「少なくとも今は」
『妥当です』
それでよかった。
今、自分にはやることがある。
小さい成功を、ちゃんと続けること。
調子に乗らず、潰れず、でも止まりすぎずに進むこと。
その上で、不穏は不穏として見ておく。
そういう段階だった。




