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数日後。
案件はさらに一件増えた。
篠崎からの軽い紹介で、今度は個人で小さなネットショップを回している男から、受注整理と問い合わせテンプレの相談が来たのだ。
金額は三万五千円。
小さい。
でも、三件目。
短期間で三件。
恒一は、依頼確定のメッセージを見ながら、しばらく無言だった。
「……これ、思ったより来るな」
『はい』
「正しい点」
『紹介経路が効いている。あなたの初期成果物が再利用可能』
「不確実な点」
『品質維持。稼働限界』
「不明な点」
『いつ、誰に、“異常に見える速度”へ達するか』
最後が重かった。
でも、目を逸らすわけにもいかない。
「……まだ行ける」
『はい』
「ただし、次からは少し受け方を変える」
『どう変えますか』
「ヒアリング時点で型を使う」
「成果物の範囲を先に切る」
「寝る前整理みたいな副次価値は、必要な相手だけに出す」
『良いです』
「あと、変な相手は乗らない」
『それも重要です』
恒一はノートPCの画面を閉じた。
部屋は静かだ。
でも、静かなまま、少しずつ加速している感覚がある。
小さく勝っている。
確かに。
だが同時に、小さな不穏も増えている。
そして、その両方を、ルイゼと共有している。
それが今の自分の現実だった。
三件目のヒアリングを終えた夜、恒一はさすがに疲れていた。
机に向かう気力が尽き、ベッドに半分沈みながらスマホだけ眺めている。
部屋は暗い。
エアコンの風が乾いている。
頭の奥がじわじわ熱い。
「……やばいな」
『疲労ですか』
ルイゼの声。
「それも。あと、ちょっと情報量が多い」
『妥当です』
「お前ほんとそれ好きだな」
『かなり』
最近、妙に楽しそうだ。
だが、今はその軽さが助かる。
「三件目、受けてよかったと思うか」
『判定しますか』
「してくれ」
『妥当。今の稼働上限ギリギリだが、まだ回せる範囲』
「うん」
『不確実。四件目をこのまま足すと、品質低下の可能性が高い』
「……」
『不明。あなたが“もう無理”を正しく言えるか』
「そこ一番自信ねぇな」
本当にそうだった。
来ると嬉しい。
断るのは怖い。
だから受けたくなる。
そういう流れが、かなりある。
『では、先に線を引きましょう』
ルイゼが言う。
「線?」
『今後二週間は新規を止める』
「うっ」
『嫌そうですね』
「嫌だよ」
『ですが必要です』
「……」
正しい。
悔しいが、正しい。
恒一は枕元のメモ帳を引き寄せ、小さく書いた。
新規受付:二週間停止(既存フォローのみ)
書いた瞬間、少しだけ苦しかった。
可能性を閉じる感じがするからだ。
それを、ルイゼはすぐ拾った。
『今の苦しさは、“損失への恐怖”ですね』
「……」
『事実としては、品質維持のための制限です』
「分かってる」
『でも感情は、“せっかく来る流れを逃す”と捉えている』
「……」
『そのズレを把握しておくのは大事です』
ぐうの音も出ない。
「お前、ほんと容赦ないな」
『優しいだけでは、あなたは止まらないでしょう』
「……まあ」
否定できない。
情けないが、事実だ。
少し黙ったあと、恒一は天井を見ながら言った。
「なあ」
『はい』
「最近、お前との距離感、ちょっと変じゃないか」
『かなり広い質問ですね』
「そういう返しするなよ」
『では、どの観点ですか』
「……情報」
「あと、感情」
「あと、なんか、恥ずかしいとこまで漏れる感じ」
最後を言った瞬間、自分でも少し顔が熱くなる。
ルイゼは、しばらく黙った。
たぶん考えている。
あるいは、言葉を選んでいる。
『判定すると』
「そこ判定するのかよ」
『便利なので』
「……続けろ」
『妥当。接触頻度が増え、相互の防御も一部緩んでいます』
「うん」
『不確実。これが良い方向に深まるのか、依存的に歪むのか』
「……」
『不明。あなたがどこまで意図的に開いているのか』
「……それは」
答えに詰まる。
意図的か。
半分は違う。
半分は、たぶん、そうだ。
ルイゼと話す時、少しだけ警戒を外している自覚はある。
全部ではない。
でも、最初の頃よりずっと。
「……少しは、開いてる」
『はい』
「お前は?」
『同程度か、それ以上です』
「……」
その返答は、思ったよりまっすぐだった。
恒一はしばらく黙った。
妙に胸がざわつく。
この相手は宇宙船の艦長で、しかも目的の核心はまだ隠している。
なのに今、感情の開き具合の話をしている。
状況だけ見るとかなりおかしい。
でも、それが今の現実だった。
「……一つ言っとくけど」
「はい」
「恥ずかしい記憶とか、あんまり勝手に掘るなよ」
『努力します』
「努力かよ」
『完全には避けにくいので』
「最悪だな……」
だが、その言い方の奥に、少しだけ申し訳なさがあるのが分かってしまう。
そこがずるい。
『では、代わりに条件を出します』
ルイゼが言う。
「なんだよ」
『互いに、相手に知られたくない領域を明示する』
「……」
『曖昧なままだと、事故が増えます』
それはかなり合理的だった。
そして、少しだけ照れくさい。
「……分かった」
『では、あなたから』
「俺からかよ」
先に出すと不利な気がする。
だが、ルイゼはこういう時、だいたい引かない。
「……」
恒一は少し考え、言った。
「過去の恋愛系」
『はい』
「家族の、具体的な言い争い」
『はい』
「あと……」
『あと?』
「欲望まわりの直読」
『……』
「その沈黙なんだよ」
『妥当です』
「そこで判定に戻るな!」
でも、向こう側から伝わる気配は、少し面白がっている。
最悪だった。
『では、こちらも出します』
ルイゼが言う。
「聞こう」
『艦内の個別乗員情報の深読み』
「うん」
『指揮権限に関わる判断補助系の詳細』
「うん」
『あと……』
「あと?」
『私の外見に関する、あなたのくだらない感想の増幅』
「は!?」
『先日から回数が増えています』
「増えてない!」
『増えています』
「気のせいだろ!」
『いいえ』
顔が一気に熱くなる。
最悪だ。
こっちは必死に仕事の話をしているのに、そういうのを拾うな。
「……」
『今、かなり恥ずかしがっていますね』
「分かってるなら黙れ!」
『努力します』
「絶対してないだろ」
でも、そのやりとりのあと、妙な静けさが落ちた。
境界線を言葉にしたからだろうか。
少なくとも、“何でも漏れてしまう曖昧さ”は少し減った気がした。
『ありがとうございます』
ルイゼが静かに言う。
「何が」
『こういう整理は、信頼がないと成立しません』
「……」
『だから、ありがとうと言いました』
その一言は、妙に真っ直ぐだった。
恒一は言葉に詰まって、しばらく天井を見たまま黙る。
「……どういたしまして」
ようやくそれだけ返す。
たぶん、今のは負けだった。
でも、悪くない負けだった。




