39話 味噌汁
智子は味噌汁を作るのが嫌いだった。
正確には、嫌いになった。結婚したばかりの頃は好きだった。隆志が「智子の味噌汁は俺の母さんより旨い」と言ってくれたから。毎朝、出汁を引き、豆腐を切り、ワカメを戻し、味噌を溶いた。隆志が食卓に座り、一口飲んで「旨い」と言う。それだけで、朝が始まった。
いつから嫌いになったか。正確な日付は覚えていない。隆志が営業部長になった年のどこかだ。朝食の時間に隆志がいなくなった。六時に家を出る。食卓には智子とみゆきだけ。味噌汁を作っても、飲む人が一人減った。みゆきは味噌汁よりおかゆの方が好きだ。心臓に負担をかけないよう、塩分を控えた食事。味噌汁は塩分が多い。みゆきには出せない。
隆志のためだけに作る味噌汁。その隆志がいない朝に、誰のために出汁を引くのか。
作る手が止まった日がある。鍋に水を入れ、昆布を浸し、火をつけようとして、やめた。何のために。誰のために。その問いに答えが出なかった日から、味噌汁を作らなくなった。
冷めた味噌汁を食卓に置くようになったのは、それでも完全にはやめられなかったからだ。前の晩に作り、冷蔵庫に入れ、朝に出す。温め直さない。温め直すのは、隆志が「今から食べる」と言ったときだけだ。だが隆志は「今から食べる」と言わなくなった。鞄を持って玄関に向かう背中に、「行ってらっしゃい」と言うだけだ。
冷めた味噌汁は、智子の怒りだった。
温かい味噌汁を作る技術はある。時間もある。だが温める気持ちがない。その気持ちのなさを、冷たい汁で示していた。隆志がそれに気づいているかどうかは分からなかった。気づいていたとしても、何も言わなかった。二人とも何も言わなかった。味噌汁の温度だけが、夫婦の距離を測っていた。
*
隆志がリストラされた日のことは、実は知っていた。
あの日、隆志が帰宅する二時間前に、会社の元同僚の妻から電話があった。「田中さんのご主人、今日の会議で名前が出ていたそうよ」。それだけだった。それだけで十分だった。
智子は電話を切り、台所に立ち、味噌汁を作った。温かい味噌汁を。何ヶ月ぶりかの、湯気の立つ味噌汁を。
作りながら、泣いた。
怒りではなかった。悲しみでもなかった。安堵に近い何かだった。終わった、と思った。隆志が会社に縛られる日々が終わった。みゆきの発作で救急車を呼んだ夜、電話に出なかった夫。折り返しが翌朝だった夫。あの夫が、ようやく家に帰ってくる。
だが隆志は、帰ってこなかった。
鞄の底に白い封筒を隠し、毎朝スーツを着て出ていった。就職活動をしていた。三ヶ月間。智子は二週間目に気づいていた。隆志が会社のIDカードを持っていないことに。定期券の更新をしていないことに。だが何も聞かなかった。聞けば、隆志は答えなければならない。答えれば、二人の間にある薄い膜が破れる。破れたら、もう元に戻れない。
だから黙っていた。冷めた味噌汁を置き、黙っていた。
あの三ヶ月間、智子は一人でみゆきの世話をしていた。毎日の通院。薬の管理。食事の塩分計算。学校との連絡。夜中の発作に備えて、寝室の枕元に携帯と保険証を置いて眠る。眠れない夜は、みゆきの寝息を数えた。規則正しい寝息が、時折乱れる。乱れるたびに心臓が跳ねる。大丈夫。まだ大丈夫。寝息が戻る。また数え始める。
智子の朝は五時に始まった。みゆきのおかゆを作り、薬を溶かし、体温を測り、学校の準備をする。隆志が出ていった後の食卓を片付け、みゆきを学校に送り、病院に寄り、帰宅して洗濯をし、みゆきを迎えに行き、宿題を見て、夕食を作り、薬を飲ませ、風呂に入れ、寝かしつける。
一人で。
隆志がケニアに行くと言ったとき、智子は怒らなかった。
怒る気力がなかった、のではない。怒っても変わらないと分かっていたからだ。隆志は決めたら動く男だ。不器用で、一直線で、止められない。止めようとしたら、壊れる。隆志も、智子も、二人の間にある何かも。
だから「あなたが決めればいい。でも、みゆきの治療費だけは絶対に」と言った。
あの言葉は、条件ではなかった。祈りだった。
*
隆志がいない日々は、意外と静かだった。
朝、味噌汁を作らなくてよくなった。隆志の分の食事を用意しなくてよい。洗濯物が減った。風呂の順番を待たなくてよい。テレビのチャンネル争いがない。二人分の布団を敷かなくてよい。
生活が、一人分だけ軽くなった。
その軽さが、思ったより苦しかった。
隆志がいないことに慣れるのは簡単だった。もともと不在が多かった。だが、隆志が「いずれ帰ってくる」前提の不在と、「帰れるかどうか分からない」不在は、同じ空白でも重さが違った。
みゆきが折り鶴を折り始めた朝、智子は何も言わなかった。赤い折り紙に「げんき」と書いた鶴を見て、胸が詰まった。だが泣かなかった。泣いたら、みゆきが不安になる。
毎朝、一羽ずつ増えていく折り鶴を、食卓の端に並べた。一列が十羽になると、糸を通して壁に吊るした。みゆきが学校に行っている間に、智子が糸を通した。一羽ずつ、針で穴を開け、糸を通す。折り紙の小さな穴から糸が出てくるとき、鶴がかすかに揺れる。その揺れが、風鈴に似ていた。
パートを始めたのは、みゆきの手術費のためだった。だがそれだけではなかった。
一人で家にいると、考えすぎる。隆志は今何をしているか。ケニアは安全か。食事はちゃんと取っているか。石を投げられたというニュースは本当か。炎上の記事を読んで、夜中に一人で泣いた。みゆきには見せなかった。
薬局のカウンターに立っている間は、考えない。処方箋を読み、薬を揃え、患者に渡す。名前を確認し、用量を説明し、「お大事に」と言う。手を動かしている間は、余計なことを考えない。隆志が車を直している間、余計なことを考えないのと同じかもしれない、と思った。
手術費が貯まっていくのを見るのは、不思議な気持ちだった。自分の手で稼いだ金が、通帳の数字を少しずつ増やしていく。隆志がケニアで追いかけている数字とは桁が違う。月に八万円。年間で百万に届かない。だがこの数字は、智子自身の数字だった。誰かに与えられたものではなく、自分の手で積み上げた数字。
隆志が「数字は風だ」と言っているのを、早瀬の記事で読んだ。数字自体に意味はない、と。智子は同意しなかった。数字には意味がある。八万円には八万円の意味がある。みゆきの手術費の一部になるという、具体的で切実な意味が。
数字は風ではない。数字は重さだ。智子にとっては。
*
ケニアに行ったとき、工房の壁のホワイトボードに触れた。「タカシ」の文字に指を当てた。
あの瞬間、分かった。
この人は、ここでようやく自分の名前を取り戻したのだ。
日本にいたとき、隆志の名前は「営業部長」だった。肩書きが名前だった。肩書きを失ったとき、名前も失った。百七社の面接で、隆志の名前は「不採用」に変わった。どの会社にも、隆志の名前は残らなかった。
だがこのホワイトボードには、「Takashi Tanaka」が残っている。日付と車両番号と作業内容の横に。他の名前と同じ大きさで、同じ重さで。肩書きではなく、手で車を直した記録として。
あの人が守りたかったものが分かった。自分の名前を、自分の仕事で刻める場所。それがサクラモーターズだった。
ケニアから帰って、智子は夜、台所に立った。久しぶりに、味噌汁を作った。
出汁を引いた。昆布と鰹節。丁寧に、時間をかけて。豆腐を切り、ワカメを戻し、味噌を溶いた。隆志はいない。ケニアにいる。この味噌汁を飲む人は、この家にはいない。みゆきには塩分が強すぎる。
だが、作った。
一杯だけ。自分のために。
椅子に座り、湯気の立つ味噌汁を飲んだ。旨かった。三年ぶりに自分で作った味噌汁。隆志のために作るのをやめてから、自分のためにも作っていなかった。誰かのために作る味噌汁をやめたとき、自分のためにも作ることを忘れていた。
一口飲んで、目を閉じた。
ケニアに行こうと思った。
隆志のためではない。みゆきのためでもない。自分のために。自分の味噌汁を、自分の場所で飲むために。東京でもケニアでも、味噌汁の味は変わらない。変わるのは、飲む場所と、隣にいる人だ。
三年間、一人で味噌汁の温度を管理してきた。冷たくして、温め直して、また冷たくして。もう、一人で温度を決めるのはやめにしたかった。
隆志に電話した。
「ケニアに行く。みゆきと二人で」
「本当か」
「本当。ただし、条件がある」
「何だ」
「味噌を送ってくれる店を見つけて。ケニアで手に入る味噌は不味いと思うから」
電話の向こうで、隆志が笑った。智子も笑った。三年ぶりに、二人で同時に笑った。
翌朝、智子はみゆきの朝食を作った。おかゆと、塩分を控えた味噌汁。みゆきが「ママ、今日の味噌汁、味が違う」と言った。
「いつもより美味しい」
智子は答えなかった。ただ、自分の椀に残った味噌汁を飲み干した。温かかった。




