第8話 新たな依頼と金色の試作品
白聖水の注文が増え始めてから、月灯り工房は以前より忙しくなった。
朝の開店直後から客が訪れ、カウンターには注文や問い合わせが寄せられる。白聖水の納品はすでに済ませているが、その評判が広がったことで、追加注文が少しずつ増えていた。
「こちらが昨日までの売上で、こっちが新しく届いた注文書です」
エレノアが帳簿を開き、整理した書類をカウンターに並べた。
「白聖水の注文が増えた分、在庫の管理も細かくしておいたほうがよさそうですね」
「そうだな。注文を受けたのに、用意できませんでしたじゃ困るからな」
「納品済みの分と、これから用意する分は分けてあります。今のところ、数量に問題はありません」
エレノアは確認を終えると、書類をきれいにそろえた。
店の奥ではフィーネが商品の状態を確認し、ミレーナは営業先を回って新しい注文を取ってきてくれている。それぞれが自分の仕事を進めてくれるおかげで、注文が増えても何とか回せていた。
俺ひとりで店を切り盛りしていた頃を思い返すと、ずいぶん変わったものだ。
商品を作るだけでは商売にならない。必要としている人に知ってもらい、注文を受け、間違いなく届ける。そんな当たり前のことも、実際にやってみると簡単ではなかった。
それでも、自分が作ったものを誰かが必要としてくれるのはうれしい。
そんなことを考えていると、ルシェリアが一通の書類を持ってきた。
「アルトさん、こちらを確認していただけますか?」
「商業ギルドから?」
「はい。先ほど、店主宛てに連絡が届きました。詳しいお話は、担当の方が直接いらっしゃって説明してくださるそうです」
書類には、商業ギルドの印が押されていた。
白聖水の追加注文だろうか。それとも、納品した商品について何か問題でもあったのだろうか。
少し気になって封を切ると、そこには新しい商品の開発について相談したい旨が記されていた。
「新商品の開発依頼か……」
「どのような商品でしょう?」
「詳しいことは、これから説明してくれるらしい。今日の昼過ぎに来るそうだ」
「分かりました。私も同席しますね」
ルシェリアは自然な口調で言った。
「依頼の内容をきちんと把握しておけば、あとで必要になることもあると思いますから」
「助かるよ。俺だけだと、商品のことばかり考えてしまいそうだからな」
「ふふ。そうならないように、私も一緒に考えます」
彼女は柔らかく笑った。
その笑顔を見ると、不思議と肩の力が抜ける。
ルシェリアは、俺の考えを何でも肯定するわけではない。必要なときにはきちんと意見を伝えてくれるし、俺が見落としていることにも気づかせてくれる。
この工房を続けていくうえで、彼女の存在は本当に大きかった。
◇
昼過ぎ、商業ギルドの職員が工房を訪れた。
身なりの整った男性で、腰には職員証が下がっている。カウンターの前で俺の姿を確認すると、丁寧に頭を下げた。
「店主のアルトさんですね。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」
「本日は、新しい商品の開発について相談に参りました」
男性は書類鞄から封筒を取り出し、正式な依頼書をカウンターに置いた。
俺はルシェリアと並んで席につき、説明を聞くことにした。
「今回お願いしたいのは、復活薬です」
「復活薬ですか?」
「はい。ご存じのとおり、復活薬は非常に高価で、流通量も限られています。必要としている冒険者がいても、十分な数を確保できないことが問題になっているのです」
復活薬そのものは、以前から存在している。
瀕死の人間を救うための貴重な魔法薬だ。普通の回復ポーションとは役割が違い、傷を治すだけでは対応できない状態の人間を救うために使われる。
ただし、誰もが簡単に手に入れられるものではなかった。
「なるほど……」
依頼の目的は理解できた。
しかし、人の命に関わる商品となると、話は別だ。
便利な道具であれば、多少使い勝手が悪くても、使う人が注意すれば済む場合もある。だが、瀕死の人間に使う薬であれば、期待した効果が得られなかったときの代償が大きすぎる。
「白聖水の評判を聞いて、うちに依頼を?」
「はい。こちらの月灯り工房でも、新しい商品を形にする力があると聞き、相談させていただいた次第です」
男性は依頼書をこちらへ向けた。
「まずは百本を希望しています。ただし、最初から百本すべてを納品していただく必要はありません。試作品を確認し、効果や安全性について納得できてから、正式な納品について相談したいと考えています」
「百本ですか……」
思わず数量を見直した。
工房にとっては大きな注文だ。正式な取引になれば、今後の商売にもつながるかもしれない。
だが、数量に目を奪われて、肝心の商品について考えるのを忘れてはいけない。
「まずは試作品を作ってみます。ただ、効果も欠点も分からない段階で、納品を約束することはできません」
「もちろんです。こちらも、安全性を確かめずに使用するつもりはありません。必要な時間を取っていただいて構いませんので、慎重に進めていただければと思います」
男性の口調に、無理に急がせようとする様子はなかった。
こちらの事情を理解したうえで、依頼を持ちかけているようだ。
「分かりました。依頼をお受けします。まずは試作品を作り、どのような商品になるのかを確認します」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
男性は深々と頭を下げた。
必要な手続きを済ませ、依頼書の控えを受け取ると、商業ギルドの職員は工房を後にした。
扉が閉まると、俺は手元の依頼書を見つめた。
復活薬か。
うまく作ることができれば、これまで薬を手に入れられなかった人たちにも、助かる可能性が生まれるかもしれない。
その一方で、効果を確かめずに渡すわけにはいかないという責任もある。
「アルトさん」
隣に座っていたルシェリアが声をかけた。
「少し、難しい顔をされていますね」
「そう見える?」
「はい。大きな依頼ですし、考えることも多そうですから」
「正直、どう進めるべきか迷ってる。商品を作ること自体はできると思う。でも、それが本当に役に立つかどうかは別だからな」
ルシェリアは、依頼書に目を落とした。
「そうですね。作ることができても、安全に使えると分かるまでは、商品としてお渡しするわけにはいきませんね」
「ああ」
「それなら、まずは試作品を作るところから始めましょう。確認しなければならないことが分かれば、次に考えるべきことも見えてくるはずです」
彼女の言葉は、特別な解決策ではなかった。
それでも、今の俺には十分だった。
まだ分からないことを一度に解決しようとしても、答えが出るわけではない。できることから順番に進めるしかないのだ。
「ありがとう。少し気が楽になったよ」
「お役に立てたなら、よかったです」
ルシェリアは穏やかに微笑んだ。
「何かあれば、いつでも声をかけてくださいね」
「頼りにしてる」
そう答えると、彼女は少し照れたように目を伏せた。
俺は依頼書を手に取り、作業台へ向かった。
◇
「さて……」
作業台の前に立ち、俺は依頼の内容を頭の中で整理した。
俺は作業台の上を片づけ、目の前に必要な空間を確保した。
考えるべきことは多いが、まずは試作品を作らなければ始まらない。
俺は求められている役割を思い浮かべ、意識を集中させた。
「《オールクリエイト》」
淡い光が、作業台の上に集まり始めた。
光は少しずつ形を変え、透明な瓶の輪郭を作り上げていく。瓶の形が整うと、その内部に液体が満ちていった。
別々に用意したものを組み合わせたわけではない。
瓶も、その中に入った液体も、ひとつの試作品として形になっていく。
やがて光が収まった。
作業台の上には、小さな透明の瓶が置かれていた。
中に満たされているのは、淡い金色を帯びた液体だった。
「……できた」
俺は瓶を手に取り、光に透かしてみた。
液体は落ち着いた金色をしている。派手に輝いているわけではないが、見た目だけなら高価な薬のようにも見えた。
ただし、見た目がきれいだからといって、効果があるとは限らない。
俺は瓶を作業台に戻した。
ここからが本当の問題だった。
どんな商品にも欠点がある。今回も、効果だけでなく、その欠点まで確認しなければ売り物にはできない。
しかも、相手は瀕死の人間だ。効果がなかった場合、取り返しのつかない事態になる可能性がある。
試作品ができたからといって、すぐに誰かに使ってみるわけにはいかなかった。
「アルトさん、試作品ができたんですか?」
声をかけてきたのはフィーネだった。
「ああ。ひとまず形にはなったよ」
「見せてもらってもいいですか?」
「もちろん」
俺が瓶を渡すと、フィーネは両手で受け取り、慎重に眺めた。
「淡い金色なんですね。透明感もあります」
「見た目は悪くないと思う。ただ、これだけじゃ何も分からない」
「そうですね。実際に確かめるまでは、効果も欠点も判断できません」
フィーネは瓶を軽く傾け、中の液体を観察した。
しかし、見た目から何かを断定できるわけではない。彼女はしばらく確認したあと、瓶を作業台に戻した。
「試作品としては形になっていますが、これだけでは商品として使えるかどうかは分かりませんね」
「やっぱりそうか」
「はい。特に今回は、効果を確かめる方法そのものを考える必要がありそうです」
俺は腕を組んだ。
「普通の回復ポーションみたいに、使った人の傷や体力を確認するだけじゃ、判断できないかもしれないからな」
「そうですね。今回の目的は、瀕死の状態に陥った人を救うことですから」
フィーネも考え込んだ。
安全な状態で試して、目的どおりの効果があるかどうかを確認できるとは限らない。かといって、わざと誰かを危険な状態にして試すわけにもいかない。
もし効かなかったら、命を落とすことになりかねないのだ。
「何か、安全に確認できる方法があればいいんだけどな」
「私も考えてみます。ただ、今の段階では、どのような方法なら十分に確認できるのか分かりません」
「無理に答えを出さなくていいよ。分からないことを分かったことにするわけにはいかないからな」
「はい。まずは、確認が必要なことを整理しておきます」
フィーネは記録用の紙を取り出し、試作品について分かっていることと、まだ分からないことを分けて書き始めた。
俺もその様子を見ながら、瓶に視線を戻した。
作ることはできた。
けれど、そこから先が難しい。
どうすれば安全に試せるのか。何をもって成功と判断するのか。欠点があるとすれば、それはどんな形で現れるのか。
今のところ、どれにも答えは出ていなかった。
◇
しばらくして、ルシェリアが作業台のそばへやってきた。
「試作品を確認していたんですね」
「ああ。形にはなったけど、まだ効果も欠点も分からない」
ルシェリアは瓶を見つめた。
「きれいな色ですね」
「見た目だけならな」
「でも、アルトさんが慎重になっている理由も分かります。見た目だけで判断して、誰かを危険にさらすわけにはいきませんから」
彼女は瓶に触れず、俺の隣に立った。
「試す方法がまだ決まっていないんですよね?」
ルシェリアは、少し考えてから続けた。
「安全に確かめられる方法が見つかるまで、試作品はきちんと保管しておきましょう。確認が済んでいないものだと分かるようにしておけば、ほかの商品と間違えることもありません」
「そうだな。保管場所を分けておこう」
「私が用意しますね」
ルシェリアは店の奥へ向かい、しばらくして小さな保管箱を持って戻ってきた。
「これなら、試作品をひとつだけ入れておけます。ほかの商品とは別にしておきましょう」
「ありがとう。助かるよ」
「どういたしまして」
彼女は箱を作業台の上に置いた。
「アルトさんは、商品を作ることに集中してください。保管や記録のことは、私たちで分担できますから」
ルシェリアの声は、いつもと変わらず穏やかだった。
俺は返す言葉を探して、少しだけ黙った。
確かに、俺は商品を作ることに集中しすぎるところがある。自分で考えたほうが早いと思って、細かな仕事まで抱え込んでしまうこともあった。
けれど、この工房は俺ひとりの店ではない。
みんなが自分の役割を持ち、それぞれの仕事を支えてくれている。
「……そうだな。じゃあ、お願いしようかな」
「はい。お任せください」
ルシェリアはうれしそうに微笑んだ。
その表情を見て、俺もようやく肩の力を抜くことができた。
俺は試作品を保管箱に収める前に、もう一度だけ瓶を手に取った。
淡い金色の液体が、瓶の中で静かに揺れる。
俺は瓶を保管箱に収め、ルシェリアに目を向けた。
「試験方法について、もう少し考えてみるよ」
「はい。私も何か思いついたら、お伝えしますね」
「ありがとう」
それだけ言葉を交わすと、彼女は箱を安全な場所へ運んでいった。
俺は作業台の上を片づけながら、もう一度依頼書に目を通した。
必要としている人がいる。
だからこそ、魔道具屋としては、絶対に進めなければならない。
しかし、予期せぬ事で、事態は急転した…




