第9話 三人の男と復活の雫
その日の夕方、月灯り工房の扉が乱暴に開かれた。
「誰か! 頼む、手を貸してくれ!」
切羽詰まった男の声が、店内に響き渡った。
カウンターで帳簿を整理していたエレノアが顔を上げる。奥で商品の確認をしていたフィーネも、何事かと入口を振り返った。
俺とルシェリアが店の前へ出ると、そこには三人の男がいた。
一人は息を切らし、肩で呼吸をしている。服には泥と血が付着し、腕にも細かな傷がいくつも見えた。
そして、彼の両腕に支えられるようにして、二人の男がぐったりとうなだれていた。
「いったい、何があったんですか?」
俺が尋ねると、男は苦しそうに息を整えながら答えた。
「森の街道で魔物に襲われたんだ。こいつらが俺をかばって……!」
支えられている二人は、どちらも剣士のようだった。腰には剣があるものの、鞘や柄には傷が付き、身につけている装備もひどく傷んでいる。
片方の男は顔色が悪く、首が力なく傾いていた。もう一人も目を閉じたまま、ほとんど反応がない。
「頼む、薬を持っていないか? 何でもいい、こいつらを助けてくれ!」
「こちらへ。まずは横に寝かせてください!」
ルシェリアがすぐに動いた。
普段の穏やかな表情は変わらない。それでも、声には迷いがなかった。
男たちは店内の空いている場所へ運ばれ、床に敷いた毛布の上に寝かされた。
俺は二人の様子を確かめる。
ひどい傷だった。
衣服の裂け目から見える傷口は深く、出血も多い。呼びかけても反応がなく、呼吸もかすかだった。
「フィーネさん、エレノアさんは、回復ポーションと清潔な布と水を!」
「分かりました!」
「すぐに用意します!」
二人が動き出す。
ルシェリアは負傷者のそばに膝をつき、顔色や呼吸を確かめていた。
「アルトさん……」
彼女の声を聞き、俺も二人の状態を見つめる。
これは、普通の傷の手当てだけでどうにかなる状態ではないかもしれない。
少なくとも、二人とも生死の瀬戸際にいるように見えた。
「お願いだ……助けてくれ」
同行していた男が、震える声で言った。
「俺にできることなら何でもする。だから、こいつらを……!」
その言葉を聞きながら、俺の頭の中には、ひとつのものが浮かんでいた。
作業台の奥に保管してある、淡い金色の液体。復活薬の試作品だ。
まだ効果も欠点も分かっていない。安全に確かめる方法さえ決まっていなかった。
使えば、本当に命を救えるのかもしれない。
だが、何も起こらない可能性もある。あるいは、俺たちが知らない欠点によって、状態を悪化させることだって考えられる。
そんなものを、簡単に使っていいはずがない。
「アルトさん、こちらを」
フィーネが普通の回復ポーションを持ってきた。
俺たちは、できる限りの手当てを始めた。
しかし、二人の反応は乏しかった。
傷口への処置を進めても、意識が戻る気配はない。かすかな呼吸も、次第に弱くなっているように見えた。
「……このままでは」
フィーネが言葉を切った。
誰もが同じことを考えていた。
普通の回復ポーションだけでは、間に合わないかもしれない。
俺は奥の保管場所を振り返った。
試作品を使うべきなのか。
それとも、効果も欠点も分からないものを使うべきではないのか。
どちらを選んでも、正解だと言い切ることはできなかった。
◇
「アルトさん」
ルシェリアが、俺のそばに来た。
「試作品のことを考えているんですね」
「……ああ」
隠しても仕方がなかった。
「まだ、何も分かっていないんだ。効果があるかどうかも、どんな欠点があるのかも。安全に試す方法だって、決められていない」
「はい」
「こんな状態の人に使っていいのか、分からない」
言葉にすると、迷いが余計にはっきりした。
試作品を作ったとき、俺は慎重に進めるつもりだった。効果を確かめる方法を考え、欠点を調べ、それから商品にできるかどうかを判断する。
それが、本来の順序だった。
ところが、今は目の前で二人の命が危うくなっている。
安全に確かめられる方法が見つかるまで待つ。その選択が、二人を救う機会を失わせることになるかもしれない。
「……俺は、どうすればいいんだろうな」
思わず本音がこぼれた。
ルシェリアはすぐには答えなかった。
彼女も、試作品が安全だと保証できるわけではない。俺に代わって決断できるわけでもない。
しばらくして、彼女は静かに口を開いた。
「私にも、正しい答えは分かりません」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「でも、アルトさんが迷うのは、目の前の人たちを大切に考えているからだと思います。助けたいからこそ、危険なものを使うことにも迷っているんですよね」
「……そうだな」
「どちらを選んでも、簡単な判断ではないと思います。でも、何も考えずに使おうとしているわけではないことは、私にも分かります」
ルシェリアは俺を見つめた。
「私は、アルトさんが考えたことを聞きたいです。決めたことがあるなら、そばで支えます」
その言葉が、胸に残った。
彼女は俺に答えを押しつけない。
大丈夫だと無責任に励ますこともしない。
ただ、俺が何を考え、何を選ぶのかを見届けようとしてくれている。
俺は一度、目を閉じた。
そして、目の前で横たわる二人を見た。
このまま何もせずにいれば、助かる可能性は低いかもしれない。
試作品が本当に復活薬として働くのなら、二人を救える可能性がある。
もちろん、保証はない。
それでも、今は可能性そのものが失われようとしていた。
「……試作品を持ってくる」
俺は立ち上がった。
ルシェリアはうなずいた。
「分かりました。こちらは私たちに任せてください」
俺は奥へ向かい、保管箱を開けた。
中には、あの小さな瓶が収められている。
俺は瓶を手に取り、しっかりと握った。
これが本当に使えるのか。
けれど、今ここで決断しなければならない。
◇
店内に戻ると、同行していた男が俺の手元を見た。
「それは……薬か?」
「試作品です」
俺は、正直に答えた。
「復活薬として作りました。ただ、まだ効果を確認できていません。安全性も、欠点も分からない状態です」
男の表情が強張った。
「つまり、使ってみないと分からないってことか?」
「そうです。必ず助かるとは言えません。効果がない可能性もありますし、予想していない問題が起こる可能性もあります」
俺は言葉を濁さなかった。
助けたいからといって、都合のいいことだけを伝えるわけにはいかない。
「それでも、二人を助けられる可能性があるなら、使いたいと思っています。ただ、決めるのはあなたです。俺は、この薬について分かっていることと、分かっていないことを隠さずに伝えます」
男は、二人の剣士を見た。
片方の手を握り、何度も名前を呼んでいる。だが、二人から返事はなかった。
「……こいつらは、俺を守ってくれたんだ」
男の声がかすれた。
「危ないと分かっていて、俺を逃がすために戦ってくれた。俺だけ助かって、こいつらを見捨てるなんてできない」
彼は顔を上げた。
「使ってくれ。頼む。可能性があるなら、試してほしい」
俺は男の目を見た。
迷いが消えたわけではないだろう。それでも、彼は状況を理解したうえで、二人を助けるための決断をしようとしていた。
「……分かりました」
俺はうなずいた。
「できる限りのことをします」
ルシェリアとフィーネも、そばで見守っていた。
俺は瓶を持ち、まず一人目の剣士のそばに膝をついた。
瓶の栓を外す。
淡い金色の液体が、かすかな光を受けて揺れた。
この一瓶に、どんな効果があるのか。
まだ、誰にも分からない。
俺は剣士の口元へ慎重に薬を運び、少しずつ飲ませた。
反応はなかった。
液体を飲み終えても、剣士は目を閉じたままだった。
「……効いていないのか?」
同行していた男が、不安そうに尋ねる。
「まだ分かりません」
俺は答えながら、剣士の様子を見守った。
数秒が過ぎる。
何も起きない。
胸の奥に、嫌な予感が広がり始めた。
やはり、試作品では駄目だったのか。
そのときだった。
剣士の身体を、淡い金色の光が包み込んだ。
「これは……!」
フィーネが息をのむ。
光は強烈なものではなかった。柔らかく、ほのかな輝きが、身体の輪郭に沿って広がっている。
傷口が一瞬で塞がるわけではない。
裂けた服も、血に汚れた肌も、そのままだった。
それでも、剣士の胸がわずかに動いた。
「呼吸が……!」
ルシェリアがすぐに確認する。
先ほどまでほとんど感じられなかった呼吸が、少しずつ戻り始めていた。
さらに、かすかだった脈にも変化が現れる。
「脈があります。さっきより、はっきりしています!」
フィーネの声に、俺は思わず顔を上げた。
剣士の指先が、わずかに動いた。
そして、ゆっくりとまぶたが開く。
「……ここは……?」
かすれた声だった。
それでも、確かに意識が戻っていた。
「よかった……!」
同行していた男が、彼の手を握りしめた。
「おい、分かるか? 俺の声が聞こえるか?」
剣士は弱々しくうなずいた。
まだ自力で起き上がれる状態ではない。傷も残っている。だが、命の危機にあった状態から、明らかな変化が起きていた。
俺は手の中の空になった瓶を見つめた。
効いたのか。
本当に、復活薬として働いたのか。
目の前で起きた変化を見ても、すぐにすべてを理解することはできなかった。
けれど、今は考え込んでいる場合ではない。
「もう一人にも使います」
俺は立ち上がり、もう一人の剣士へ目を向けた。
同じ薬を使うため、もう一瓶が必要だった。
俺は意識を集中させ、先ほどと同じ形の瓶を作り出した。中には、同じ淡い金色の液体が満ちている。
新しい瓶を手に取ると、俺は二人目の剣士のそばへ戻った。
「こちらにも使います。さっきと同じように、効果が現れるかは分かりません」
同行していた男は、強くうなずいた。
「頼む」
俺は慎重に薬を飲ませた。
しばらくして、二人目の剣士の身体にも淡い金色の光が広がった。
胸が動く。
呼吸が戻る。
弱々しかった脈が、少しずつはっきりしていく。
そして、こちらの剣士も、ゆっくりと目を開けた。
「……俺は、生きているのか?」
「そうだ。助かったんだ!」
同行していた男は、安堵のあまり言葉を詰まらせた。
俺は二人の様子を確かめながら、深く息を吐いた。
二人とも、意識を取り戻している。
少なくとも、今回の緊急事態では、試作品が命をつなぐ働きをしたように見えた。
だが、傷そのものが消えたわけではない。
「フィーネさん、普通の回復ポーションをお願いします。今度は傷の手当てを進めましょう」
「はい!」
フィーネがすぐに回復ポーションを用意した。
ルシェリアも清潔な布を手に取り、傷の状態を確かめながら手当てを進める。
復活薬が二人の呼吸と意識を取り戻したとしても、傷が自然に治るわけではない。出血や損傷を放置すれば、再び危険な状態に陥る可能性がある。
俺たちは、できる限り慎重に二人の手当てを続けた。
◇
しばらくして、二人の呼吸は落ち着き、顔色にも少しずつ変化が見られるようになった。
普通の回復ポーションによる手当ても進み、二人は自分の身体を起こせる程度まで回復していた。
「……まさか、こんなことになるとはな」
俺は作業台に置いた二つの空瓶を見つめた。
「アルトさん」
ルシェリアがそばに来た。
「二人とも、呼吸は落ち着いています。意識もはっきりしてきました」
「よかった……」
俺は、ようやく肩の力を抜いた。
二人が目を開けて、自分の意思で言葉を交わせるようになった。
「アルトさんが、あの薬を作ってくれてよかったです」
ルシェリアが静かに言った。
「……ありがとう。でも、まだ安心するのは早いよ。効果があったとしても、欠点がないとは限らないから」
「はい。分かっています」
彼女はうなずいた。
「だからこそ、今回分かったことを、きちんと記録しておきましょう」
その言葉に、俺も気持ちを切り替えた。
助かったことを喜ぶのと、商品の安全性を確かめることは別だ。
俺たちは、二人の状態が落ち着いたこと、薬を使った後に見られた変化、そして通常の回復ポーションによる手当てを続けたことを記録に残した。
そのとき、フィーネが二人の装備を見て、眉をひそめた。
「……あの、アルトさん。こちらを見てもらえますか?」
「どうした?」
彼女が指さしたのは、床の端にまとめて置かれた二人の装備だった。
血や泥で汚れているのは、ここへ運び込まれたときから変わらない。
だが、それだけではなかった。
革のベルトや鞘の表面が、ひどく傷んでいる。布地も、普通の汚れとは違うくすみ方をしていた。
金属部分には、赤茶色の錆が浮かび始めている。
「これは……」
俺は装備に近づき、慎重に確認した。
剣の金具にも、細かな錆が見える。短時間で、ここまで変化するものだろうか。
「薬を使う前と比べて、明らかに状態が悪くなっています」
フィーネが記録を確認しながら言った。
「少なくとも、運び込まれたときには、ここまでひどくありませんでした」
俺は、空になった瓶を見つめた。
淡い金色の液体。
二人の呼吸と脈を取り戻した、あの薬。
その効果と、今目の前にある装備の変化。
無関係だと考えるには、タイミングが一致しすぎていた。
「……これが、欠点なのか?」
俺のつぶやきに、ルシェリアが装備を見た。
「服や革だけではなく、金属まで……」
「まだ断定はできない。でも、薬を使った直後に起きた変化だから、関係がある可能性は高いと思う」
命を救う効果がある。
しかし、その一方で、装備をひどく傷める何かが起きている。
これが、この薬の欠点なのだろうか。
もしそうなら、薬として使うこと自体を諦める必要はないかもしれない。けれど、欠点を理解せずに販売すれば、使う人を困らせることになる。
「まずは、装備をできるだけ傷めない方法があるか、考えないといけませんね」
ルシェリアが言った。
「ああ。効果があったからといって、欠点を放置するわけにはいかない」
俺はうなずいた。
そのとき、エレノアが白聖水の小瓶を持ってきた。
「これなら、汚れを落とすのに使えるかもしれません。白聖水は、以前の納品分の確認用に少し残してあります」
俺は小瓶を受け取った。
復活薬を使ったことで、二人の装備はひどく汚れ、金属部分には錆まで浮かんでいた。
白聖水なら、こうした汚れにも対応できるはずだ。
俺は白聖水の小瓶を手に取り、汚れた装備にそっと振りかけた。
すると、淡い白色の光が広がり、装備全体を柔らかく包み込んでいった。
布地にこびりついた泥や血の跡が消え、革の表面も本来の色を取り戻す。金属部分に浮かんでいた赤茶色の錆も、光の中で跡形もなく消えていった。
やがて光が収まると、そこには元どおりのきれいな装備が残されていた。
「これなら大丈夫そうですね」
ルシェリアが、安堵したように微笑んだ。
「ああ。復活薬を使ったことで生じた汚れや錆も、白聖水で元に戻せるみたいだ」
俺は装備を見渡した。
復活薬には、瀕死の人間を救う力がある。その一方で、衣服や装備に汚れや錆を生じさせる欠点もある。
だが、白聖水で装備を元の状態に戻せるのなら、その問題にも対処できる。
「この結果も、きちんと記録しておこう」
「はい。これで、試作品について必要なことは確認できましたね」
「ああ。あとは商業ギルドに報告して、納品に向けて話を進めよう」
俺は記録用の紙に、復活薬の効果と使用後に起きた変化、そして白聖水による対処方法を書き加えた。
今回の試験は、これで完了だ。
◇
ほどなくして、二人の剣士は、支えがなくても立ち上がれる程度まで回復していた。
傷はまだ残っている。それでも、普通の回復ポーションによる手当てが効き、二人とも自分の足で歩けるようになっていた。
「本当に、何と礼を言えばいいか……」
同行していた男が、俺たちに深く頭を下げた。
「二人を助けてくれて、ありがとう」
「いえ。こちらも、できることをしただけです」
俺がそう答えると、男は首を横に振った。
「いや、あのままでは、本当に危なかった。あの薬がなければ、二人とも……」
言葉の先は、続かなかった。
二人の剣士も、まだ顔色は万全ではないものの、しっかりと俺たちを見ていた。
「助けてもらったことは、忘れません」
一人が、静かな声で言った。
「この恩は、必ず返します」
「今は、無理をしないでください。まだ傷も残っていますから」
ルシェリアがそう伝えると、剣士はうなずいた。
「分かりました。身体が落ち着いたら、改めてお礼に伺います」
二人は、元の状態に戻った装備を身につけ直し、同行していた男とともに工房を後にした。
扉が閉まると、店内にはようやく静けさが戻った。
俺は作業台に残された記録を見下ろした。
復活薬の試作品は、瀕死の二人の意識と呼吸、脈の回復を促した。
そして、使用によって生じた装備の汚れや錆も、白聖水によって元どおりにできた。
これで、試作品の効果と欠点、その対処方法まで確認できた。納品に向けて進められる。
「アルトさん」
ルシェリアが隣に立った。
「今日は、本当に大変でしたね」
「ああ。まさか、こんな形で試作品を使うことになるとは思わなかった」
「でも、二人が助かってよかったです」
彼女は、ほっとしたように微笑んだ。
「……そうだな」
俺も小さく笑った。
思いがけない出来事ではあったが、結果として試作品の効果を確かめることができた。
あとは、今回の結果を商業ギルドに報告し、依頼された百本の納品に向けて準備を進めるだけだ。
俺は空になった瓶を手に取り、淡い金色の液体を思い返した。




