第2話 美味しすぎる回復ポーション
月灯り工房を開いて二日目。
俺は朝から作業台の前に立ち、一本の空き瓶を眺めていた。
「さて……今日は何を作るか」
昨日は魔法ランタンを一つ売ることができた。
たった一つとはいえ、異世界で初めて自分の商品を買ってもらえたのだ。売上金を握ったときの喜びは、今でも覚えている。
とはいえ、ランタンだけでは商売にならない。
冒険者向けの店を名乗るなら、もっと基本的な商品が必要だ。
「冒険者が必ず使うもの……」
剣や鎧は専門の職人がいる。俺には鍛冶の技術もないし、武器を作る知識もない。
だが、冒険者なら誰もが必要とするものがある。
「ポーションだな」
傷を負ったときに使う回復薬。
魔物との戦闘はもちろん、探索の途中でも需要がある。冒険者にとっては、剣や防具と同じくらい重要な消耗品だ。
俺は空き瓶を手に取った。
「よし。今日は回復ポーションを作ってみよう」
俺の能力、《オールクリエイト》。
頭の中で完成品を具体的に思い描けば、必要な材料も道具もなしに、その品物を生み出せる。
ただし、完璧な品ができるわけではない。
どんな商品にも、必ず一つは欠点がある。
そして、その欠点は同じ種類の商品を何度作っても変わらない。
昨日の魔法ランタンもそうだった。
点灯と消灯を何度も繰り返すと、一時的に光らなくなる。時間を置けば復帰するが、その欠点自体を取り除くことはできない。
ならば、回復ポーションはどうだろう。
一般的な回復薬を思い浮かべる。
透明な小瓶。赤い液体。飲めば体力が戻り、浅い傷なら短時間でふさがる。
「《オールクリエイト》」
手のひらが淡く光った。
次の瞬間、作業台の上に一本の小瓶が現れる。
赤い液体が、瓶の中でゆっくり揺れていた。
「できた……」
見た目は、想像していた回復ポーションそのものだ。
栓を抜く。
すると、甘い果実の香りがふわりと広がった。
「ん?」
薬草の香りを想像していたのに、これはまるで熟した果実のようだ。
俺は瓶を光にかざし、液体の色と透明度を確かめた。
「見た目は問題なさそうだな」
問題は効果だ。
俺は作業台の引き出しから、小さなナイフを取り出した。
指先に浅い傷をつける。
「よし。試してみるか」
ポーションを傷口に一滴垂らした。
赤い液体が傷口に広がり、淡く光る。
しかし――。
「……あれ?」
傷は、ほんの少ししか変化しなかった。
もう一度確認する。
血は止まっている。だが、傷口はほとんどそのままだ。
「回復効果が弱いのか?」
俺は瓶を持ち上げた。
普通の回復ポーションなら、これくらいの傷はもっと早く治るはずだ。
試しに、残りを少し飲んでみる。
その瞬間。
「……うまっ!」
思わず声が出た。
甘い。だが、ただ甘いだけではない。
熟した果実の濃厚な甘み。花のような香り。後味は驚くほどすっきりしている。
これまで飲んだどんな飲み物よりも美味しい。
「なんだこれ……!」
俺はもう一口飲んだ。
やっぱり美味い。
口の中に広がる香りが心地よく、飲み込んだあとも爽やかな余韻が残る。
気づけば、瓶の中身はほとんどなくなっていた。
「……いやいや、待て」
俺は慌てて瓶を置いた。
味に感動している場合ではない。
肝心の回復効果はどうなった?
指先の傷を確認する。
ほんのわずかに回復しているが、ほとんど変わらない。
「やっぱり、回復力が低い」
俺は椅子に座り、瓶を見つめた。
回復ポーションとしては、明らかに性能不足だ。
だが、味は本当に素晴らしい。
少なくとも、飲み薬としての美味しさなら文句のつけようがない。
「これが、このポーションの欠点か……」
念のため、もう一本作ってみる。
「《オールクリエイト》」
同じ形の瓶が現れた。
中身も同じ赤色。
少量を飲んでみる。
「……やっぱり美味い」
味はまったく同じだ。
そして、傷口に垂らしても回復はわずかだった。
「なるほどな。何本作っても、この性能なんだ」
回復力が低い。
その代わり、味は最高。
これが、この回復ポーションの固定された欠点らしい。
「回復薬として売るには厳しいな……」
冒険者がポーションを買うのは、命を守るためだ。
味がどれだけ良くても、傷が治らないのでは意味がない。
戦闘中に飲むものとしては、まず選ばれないだろう。
だが、ここで諦めるのは早い。
俺は瓶を持ち上げ、もう一度香りを確かめた。
「回復効果は低い。でも、飲み物としては最高……」
ならば、回復薬としてではなく、別の価値を考えればいい。
たとえば、長時間の探索で疲れたとき。
休憩中に飲む嗜好品としてならどうだろう。
美味しい飲み物で気分を切り替えられる。わずかながら回復効果もある。
もちろん、普通の回復ポーションの代わりにはならない。
そこは最初から明記する必要がある。
「よし。これは回復ポーションというより、冒険者向けのご褒美飲料だな」
俺は紙を広げ、商品の説明を書き始めた。
『果実風味の回復ポーション』
『味は非常に優れていますが、回復効果は一般的なポーションより大幅に低くなっています。負傷時の治療目的にはおすすめできません』
「……正直すぎるかな」
いや、これでいい。
欠点を隠して売っても、すぐに信用を失う。
それに、回復効果が低いことを理解したうえで、味を気に入ってくれる人がいるかもしれない。
俺は瓶を棚に並べた。
商品は一種類。
まずは、このポーションの需要を確かめよう。
◇
昼前。
店の扉に取り付けた鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
入ってきたのは、昨日と同じ女性だった。
短く整えられた金髪。銀縁の眼鏡。澄んだ緑色の瞳。
冒険者の装備を身につけたルシェリア・レインフォード。
「こんにちは、アルトさん」
「ルシェリアさん! 昨日ぶりですね」
「昨日、店の前を通ったら看板が出ていたので。ちゃんと営業しているようで安心しました」
「おかげさまで、なんとか」
彼女は店内を見回した。
「昨日のランタンは売れましたか?」
「一つだけですが、買ってもらえました」
「それはよかったですね」
「倉庫で使うそうです。点灯したままにしておくなら、欠点も気にならないだろうと思って」
「なるほど。欠点を理解したうえで、用途を選んでもらったのですね」
「はい。隠して売るわけにはいきませんから」
ルシェリアは少し感心したようにうなずいた。
「誠実な売り方だと思います」
「ありがとうございます」
「今日は、何か新しい商品があるのですか?」
「ちょうど今朝、完成したものがあります」
俺は棚から赤い小瓶を一つ取り出した。
「回復ポーションです」
「ポーションを?」
「はい。といっても、普通の回復ポーションとは少し違います」
ルシェリアは瓶を受け取り、光にかざした。
「きれいな赤色ですね。香りも……甘い?」
「果実のような香りがします」
「飲んでもいいですか?」
「もちろんです。ただし、先に欠点を説明させてください」
俺は正直に話した。
回復効果は一般的なポーションより大幅に低いこと。傷口に使っても、ほとんど回復しないこと。その代わり、味は驚くほど美味しいこと。
説明を聞き終えたルシェリアは、瓶を見つめた。
「回復効果が低いのに、回復ポーションなのですね」
「そこは俺も悩んでいます」
「それで、味は本当に美味しいのですか?」
「自信はあります」
「では、少しだけ試してみます」
彼女は栓を抜き、香りを確かめた。
そして、一口。
「…………」
ルシェリアの目が、わずかに見開かれた。
「どうですか?」
「……美味しいです」
「本当ですか?」
「はい。想像していたより、ずっと」
彼女はもう一口飲んだ。
今度は少しゆっくりと味わっている。
「甘いのに、後味が重くありません。果実の香りも自然ですし、薬草の苦みもほとんど感じません」
「そうなんですよ!」
「これなら、ポーションが苦手な人でも飲めそうです」
「ただし、回復効果は低いです」
「そこは忘れてはいけませんね」
ルシェリアは瓶を置き、少し考え込んだ。
「冒険者は、戦闘中だけポーションを飲むわけではありません」
「というと?」
「依頼の途中で休憩するときや、野営のときにも飲み物は必要です。普通のポーションは薬草の苦みが強いものが多いので、味を楽しむために飲む人はほとんどいません」
「確かに」
「でも、これは違います。回復薬としては頼りなくても、休憩中に飲むものとしてなら需要があるかもしれません」
「ご褒美みたいなものですね」
「ええ。長い探索の途中で、これだけ美味しいものを飲めるなら、喜ぶ冒険者はいると思います」
俺は思わず身を乗り出した。
「本当ですか?」
「ただし、商品名は考えたほうがいいですね。回復ポーションという名前だけでは、普通の回復薬と誤解されます」
「たしかに……」
「回復効果が低いことは、ラベルにも大きく書いてください。戦闘用ではないと、はっきり伝えるべきです」
「わかりました」
「それから、価格も普通のポーションと同じにしてはいけません。回復効果が低いのですから、味を楽しむ商品として手に取りやすい価格にする必要があります」
的確な意見だった。
俺が作った商品を、使う側の目線で見てくれている。
「ルシェリアさん、すごく参考になります」
「そうですか?」
「ええ。俺一人では、そこまで考えられませんでした」
彼女は少し照れたように眼鏡を直した。
「私は冒険者ですから。こういう商品があったら、ということを考える機会は多いのです」
「それは、俺にとってすごく貴重な意見です」
俺は店内を見回した。
まだ商品は少ない。
棚も空いている。
店の経営も始まったばかりだ。
けれど、これから商品を増やし、客を増やしていくなら、俺一人では難しいことも多いだろう。
商品を作ることに集中できるなら、それが一番いい。
「ルシェリアさん」
「はい?」
「突然ですが、うちで働いてみませんか?」
「……え?」
彼女の手が止まった。
「働く、というのは?」
「店員としてです。お客さんの相談に乗ったり、商品の説明をしたり、冒険者の立場から試作品の感想を聞かせてもらったり」
「私が、この店で?」
「はい。もちろん、冒険者を辞めてほしいという意味ではありません。依頼があるときは、そちらを優先してもらって構いません」
ルシェリアはすぐには答えなかった。
俺は急かさず、彼女の返事を待つ。
「……実は」
やがて、彼女は口を開いた。
「私も、少し前から仕事について考えていたのです」
「仕事について?」
「冒険者を続けるつもりはあります。ただ、いつまでも危険な依頼だけで生活するのは難しいと思っています」
彼女は窓の外へ視線を向けた。
「冒険者の仕事には波があります。依頼が続く時期もあれば、何日も仕事がない時期もあります。怪我をすれば、その間は収入もなくなります」
「確かに……」
「これまでの経験を生かせる仕事があれば、と思っていました。ですが、冒険者を辞めてしまうのも違う気がして」
「それなら、うちはちょうどいいかもしれません」
「そうですね」
彼女は店内をもう一度見回した。
「この店は、まだ始まったばかりです。商品も少ないですし、経営も安定していないのでしょう?」
「耳が痛いですね」
「でも、昨日のランタンも今日のポーションも、使う人のことを考えて作られていると感じました」
「ありがとうございます」
「欠点を隠さず、使い道を考えて売る。そういう店なら、私も手伝ってみたいと思います」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「では……」
「ただし、条件があります」
「条件?」
「商品の安全性を最優先にすること。少しでも危険があると判断したら、販売や試験を止めます」
「もちろんです」
「それから、私の意見を聞いてください。店主だからといって、すべて一人で決めないこと」
「はい」
「最後に、給料についてはきちんと相談させてください。善意だけで働くつもりはありませんから」
「それは当然です。まだ十分な額を約束できるとは言えませんが、仕事内容と勤務日数を決めて、納得できる条件にしましょう」
「わかりました」
ルシェリアは小さくうなずいた。
「では、よろしくお願いします。アルトさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
俺は差し出された手を握った。
こうして、月灯り工房に初めての従業員ができた。
しかも、冒険者としての経験が豊富で、商品を見る目も確かな女性だ。
これ以上ない人材かもしれない。
「まずは、店の仕事を少しずつ覚えてもらうことになりますね」
「ええ。接客、商品の説明、在庫の確認。それから、試作品の評価ですね」
「助かります」
「ただし、アルトさん」
「はい?」
「このポーションの名前は、もう少し考えましょう」
「名前ですか?」
「回復効果が低いのに、回復ポーションとだけ書くのは誤解を招きます」
「たしかに」
「味を売りにするなら、それが伝わる名前がいいと思います」
「美味しい回復ポーション……?」
「そのままですね」
「ですよね」
ルシェリアは瓶を手に取り、赤い液体を眺めた。
「……『果実の恵み』というのはどうでしょう」
「おお、いいですね」
「回復効果が低いことは、別に明記する必要がありますが」
「それでいきましょう!」
「では、商品説明の札も私が書き直します。今のままでは、少し目立ちませんから」
「そこまで手伝ってくれるんですか?」
「働くと決めたのですから、当然です」
彼女は眼鏡の位置を直した。
「それに、店を続けるなら最初が肝心ですから」
頼もしい。
正直、俺一人では気づけなかったことばかりだ。
昨日までは、商品を作って棚に並べることしか考えていなかった。
だが、商品を必要としている人に届けるには、説明も、販売方法も、客の声を聞く仕組みも必要になる。
「ルシェリアさんが来てくれて、本当によかったです」
「まだ何もしていませんよ」
「もう十分助かっています」
「そう言ってもらえるなら、頑張ります」
彼女は少しだけ表情を柔らかくした。
◇
夕方。
ルシェリアが帰ったあと、俺は作業台の前に座っていた。
店の中には、昨日作った魔法ランタンと、今日作った回復ポーションが並んでいる。
商品はまだ二種類。
売上も、決して多くはない。
それでも、昨日とは違う。
明日からは、店を一緒に支えてくれる人がいる。
「……ようやく店らしくなってきたかな」
俺は赤い小瓶を手に取った。
回復効果は低い。
普通のポーションとして売るには、明らかに力不足だ。
だが、味は最高だった。
それを喜んでくれる人がいるなら、商品としての価値はある。
欠点を消すことはできない。
ならば、その欠点を理解したうえで、別の価値を見つければいい。
それが、俺の能力と付き合っていく方法なのだろう。
「次は、どんな商品を作ろうか」
考え始めたところで、俺は首を振った。
「いや、まずはこのポーションを売らないとな」
商品を増やすことばかり考えていても仕方がない。
今あるものを、必要としている人に届ける。
それが商売の基本だ。
俺は店の看板を確認し、扉の鍵をかけた。
月灯り工房は、まだ小さな店だ。
けれど、今日からは一人ではない。
新しい仲間と一緒に、少しずつ大きくしていけばいい。
そう思いながら、俺は明日の準備に取りかかった。




