第二話 猫より犬派!
演習棟の扉を開けた瞬間、ぴりっとした魔力が空気を揺らしていた。やはりか、まだ暴走の余韻が残っている。脳の疲れもどこかへ吹き飛ぶような、ひりつく気配の中、そこには見慣れた顔がいた。
黒髪に紅い目。制服の上着は乱れて、胸元が少しはだけている。さらには褐色の肌が目立ち、炎のような視線をこちらに向けながら、壁にもたれて息を整えていたのは、キーランだった。
魔力量Aランク。だが、性格はCランク以下。暴力沙汰も、規則違反も、風紀委員泣かせな問題児。なのに私の前では、子猫になる。
「リィルティ……」
紅い瞳が私を捉えると、さっきまでの鋭さが嘘みたいに消えて、まるで子猫のような視線になる。
「また、私の言いつけを破ったの? キーちゃん」
「お前と授業が被らないから」
「はぁ」
私は額に手を当てて、深い溜息を一つ。そして、指をぴんと立てて、ひとこと言う。
「キーちゃん、お座り」
「……にゃっ」
言われた通りに、素直にその場に座るキーランだが黒猫みたいにしゅんとした表情が、ちょっとだけ愛らしい……なんて思ったら、ダメだ。
「……ほんとに、どうしてこうも私の前でだけ素直なのかしら」
私は腰に手を当てて、上からキーランを見下ろす。すると彼は、まるでご褒美を待つみたいに、じっとこっちを見上げてくる。
「キーちゃん、そんな顔しても無駄よ。言いつけを守らない子にはご褒美なんてないわ」
私がそう言うと、隣にいるリュカが疑いの目でこちらを見た。
「リィルティ……君、完全に調教してるだろ」
「そんなことないわよ」
そうは言っても、キーランは本当にすぐに私に寄ってきては問題を起こす。
だが、この紅い目が私を見るたびに優しくなるのは、ちょっとだけ、悪くないと思ってしまう自分もいる。これは、私だけではないはずだ。誰しも、そのような眼差しを向けられれば、こうなってしまうだろう。
すると演習棟の静寂を破るように、カツン、カツンとヒールの音が響いた。
「まったく……リィルティ様がいる場所って、どうしてこうも騒がしいのかしら?」
金色の巻き髪を揺らしながら優雅に歩いてきたのは、いかにも気品の漂うお嬢様、グレース・フォン・エーデルタイン。貴族の中でも名門中の名門で、誰もが一目置く完璧な公爵令嬢の、はずなのだが――
「リィ・ル・ティ様。今日こそ、一緒にお紅茶をいただいてくださるのでしょう?」
「それはまた今度ね~」
「ひどいですわ! こんなところに来てまでリィルティ様のために動いているのですもの。わたくしの献身と情熱を讃えていただいてもよろしいのではなくて?」
うっとりとした瞳で私を見つめるグレース。
その隣で、キーランがグレースを睨みつけながらぼそっと呟く。
「リィルティは俺と話していた。邪魔をするな」
「まあっ、平民の方が何か仰いました?」
まったく、この二人は。どうしていつもこうなのだろう。そう思いながら溜息をつくと、また新たな足音が響いてきた。
「騒がしいな。リィルティ、こんな雑音の中にいて疲れないか?」
静かで冷ややかな声が聞こえ、振り返れば、青髪と眼鏡をかけた長身の青年、ゼノ・リュドルガが立っていた。
彼は「生徒会副会長」で魔法の実力はトップクラス。生徒会長と並ぶほどの力を持っていて、他の学生からは尊敬の眼差しを持たれている。
「ゼノちゃん、もう生徒会の仕事は終わったの?」
ゼノはその問いに、ほんの僅かに眉を動かした。
「終わらせた。君がこの演習棟に向かったと聞いたからな。放っておけば、また騒ぎになると予想はついていた」
その視線は、しっかりとキーランとグレースに向けられていた。まるで「予想通りだ」と言わんばかりに、冷静で容赦がない。
「……言っておくが、今日の出来事はすべて記録されている。風紀妨害、魔力暴走、演習棟の私的利用。すべて、生徒会として処理する」
「あら、容赦がないのね〜ゼノちゃんは」
ゼノは私の軽口にもピクリとも表情を変えず、眼鏡の位置を整えた。
「当然だ。俺は特別扱いを嫌う。たとえ君が相手でも、規則は規則だ」
「はいはい、お堅いわね。でも、わざわざ演習棟まで来たってことは、私たちを心配してくれたんでしょう?」
わざとらしく笑ってみせると、ゼノの指先が一瞬止まった。耳がちょっと赤くなってる。やはり、図星だったみたいだ。
ぷいっと視線を逸らすその仕草に、私はつい吹き出しそうになった。
「ふふっ、意外と可愛いところもあるのね。ね、グレーちゃん?」
「まったく同感ですわ! ゼノ・リュドルガって、こう見えて忠犬タイプなのかしら? ご主人様にだけ従順な、わんちゃん?」
グレースがくすくす笑いながら言えば、ゼノは額に手を当てて「犬扱いは侮辱だ」と呟いてる。だが、顔は明らかに少しむっとしてる。そういうところがまた面白い。
彼らは、この学園の「生徒会」というものに所属している。生徒会と言っても、ゼノ以外はみんな自由だから、彼以外はほとんど活動はしていないと言っても過言ではない。
リュカに関しては、記録という名の私の観察だ。私も、ウェトゥンに誘われたがすぐに断った。色々と面倒くさそうだし、何より私はどこにも所属する気はない。
それと、もう一人まだこの場にいない人間がいる。
この学校の生徒会長であり、ウェトゥンと年の離れた弟で、みんなからは「学園長の弟」として慕われている。
そして、ウェトゥンの他に私が「SS級」であることを知っている特別な存在。そんな彼は今、私の知らないどこかにいる。




