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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その1 勘違いストーカー

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6、帰還




 私が廃工場の外で一本目の煙草を吸い終えるか終えないかのうちに、砂利を踏みしめて数台の車両が乗り付けてきた。


 先頭の黒塗りの高級車から降りてきたのは、鬼面組の若頭、鷹司たかつかさ 蓮司れんじである。

 そしてなぜかその後部座席から、我が事務所の過剰なお節介アルバイトと、無駄に派手なスーツを着た自称探偵見習いが転がり出てきた。


「所長! ご無事ですか!」


 虎見澤とらみざわ 琴巴ことはが肩で息をしながら駆け寄ってくる。

 その後ろで狗村いぬむら たもつが「すげえ、本当にヤクザの車に乗っちまった」と的外れな感動を口にしていた。


「見ての通り、怪我一つない。なぜ君たちが蓮司と行動を共にしているのか、甚だ疑問なのだが」


「兎我野さんを事務所に匿った後、所長が心配で探しに出たら、鷹司さんたちが車で通りかかったんです。それで、無理を言って乗せてもらいました」


 極道の車をタクシー代わりに使う十九歳。彼女の恐怖の欠如は、ある種の才能と言えるかもしれない。


 私が呆れている間に、蓮司は背後の組員たちに目配せをし、工場の鉄扉を開けさせた。


 中に転がる無残な肉塊――先ほどまで半グレを自称していた男たち――を見た組員たちが、一様に言葉を失う。


「……ひぃっ。しょ、所長、これ、全部一人でやったんスか!?」


 保が中を覗き込み、顔面を蒼白にしながら私を振り返った。先ほどの呑気な態度は完全に吹き飛び、純粋な畏怖の目が私に向けられている。


「まさか。彼らは勝手に転んだだけだ。床の清掃が行き届いていなかったからな」


 私は平然と嘘を吐き、蓮司に向き直った。


「居酒屋の裏の配電盤に、君たちの探しているデータがある。この粗大ゴミどもの処理と合わせて、事後処理はすべて任せていいな」


「……ええ。お見事です、旦那。我々のシマを荒らす害虫の駆除までしていただき、痛み入ります」


 蓮司は、血の海と化した工場内部と私を交互に見比べ、深く、そして極めて恭しく頭を下げた。


 これ以上ここに留まる理由は一切ない。私は呆然としている保と琴巴に「帰るぞ」とだけ告げ、背を向けた。


 時刻は深夜近く。


 事務所に戻ると、ソファで身を縮めていた兎我野とがの 玲奈れなが、私たちの姿を見て安堵の涙を流した。

 データが回収され、彼女を狙う理由が完全に消滅したことを説明すると、彼女は何度も頭を下げて帰っていった。


 これで私の無報酬に等しい労働は、ようやく正当な終わりを迎えたのだ。


「お疲れ様でした、所長。はい、これ」


 後片付けを終えた琴巴が、私のデスクにマグカップを置いた。


「兎我野さん、本当に安心した顔をしていましたね。引き受けて良かったでしょう?」


「結果論だ。私の失われた睡眠時間と精神的摩耗は、誰からも補填されない」


「またそんな可愛げのないことを。えっと、もう時間も遅いので帰りますけど……大丈夫ですよね」


「ん? どうした? 送って欲しいのか?」


「違いますよ! ……じゃあ、戸締まりお願いしますね。保さん、帰り道同じ方向ですよね、駅まで一緒に行きましょう」


「お、おう! 任せろッス!」


 保は露骨に顔を綻ばせ、意気揚々と琴巴の後に続いた。最後まで彼は、探偵の何たるかを一つも学習しなかったらしい。


 ドアが閉まり、静寂が事務所に降りてくる。


 私はデスクの椅子に深く腰掛け、琴巴が淹れたコーヒーに口をつけた。

苦い。


 当然のように、ブラックコーヒーだった。


「……ミルクをたっぷりと入れてくれと、あれほど言っているだろうに」


 誰に聞かせるわけでもない愚痴が、薄暗い室内に溶けていく。


 私は胸ポケットからハイライトの箱を取り出し、一本咥えた。周囲三メートルの空間を【収納】で隔離し、煙の拡散しない完璧な喫煙環境を構築する。琴巴にはNASAの宇宙タバコだと言い張っているが、いつまでこの非科学的な言い訳が通用するかは未知数だ。


 紫煙を吐き出しながら、私はふと、自身の途方もない人生の長さに思いを馳せる。


 七千年。あるいはそれ以上かもしれない。

 私は世界の移転を繰り返してきた。一つの世界で目立つ行動を蓄積すると、世界の修正力とでも呼ぶべき何かが働き、強制的に別の次元へと転移させられる。居場所が定まらない、根無し草の永遠。


 この地球という世界に流れ着いたのは、これが二回目だ。


 およそ二百年ほど前に再びこの世界に降り立ち、時代が移り変わるのを特等席で眺めてきた。


 かつては真祖の吸血鬼などと恐れられ、神の如き力だと崇められたこともある。だが、今は高階たかしな市の場末の雑居ビルで、十九歳の娘にこき使われるしがない探偵だ。


 悪くない。

 少なくとも、退屈だけはしない。


 私はデスクの引き出しから古い音源再生機を取り出し、スイッチを押した。

 至福の時間。


 ただ、唯一の不満を挙げるとすれば。


「次は、絶対に自分でミルクを買いに行こう」


 私は冷めたブラックコーヒーを胃に流し込み、無表情のまま、イヤホンから流れる滑稽話に耳を傾け続けた。




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