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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その7 中身違い

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7、「だから壊れる?」



 古い門をくぐると、家は朝の光の中でも古かった。

 古い家というのは、明るいところで見ても親切にはならない。むしろ歪みや染みがよく見えて、余計に容赦がない。


 応対に出た源蔵は、こちらの顔を見るなり露骨に眉を寄せた。

 気持ちは分かる。私も好きで来ているわけではない。


「また来たのか」


「用があるからな」


「お前は用がなくても来そうな顔をしている」


「光栄だ」


 源蔵は鼻を鳴らした。機嫌の悪い老人が似合いすぎる男だが、前回よりは幾分か疲れて見えた。家の内側で何かが片づいても、人間の方まで整理されるとは限らない。


蓉子ようこに会いに来たわけじゃない。日向ひむか庫次くらつぐの話だ」


 その名を出した途端、源蔵の表情が止まった。

 わずかに止まっただけだが、止まるということは知っているということだ。


「……誰だ、それは」


「その年で下手な芝居をするな。医者だ。何度かこの家に出入りしている」


 沈黙が落ちる。

 誤魔化すか、追い返すか、どこまで嘘を重ねるか。その計算が老人の顔に一瞬だけ浮かび、すぐ消えた。


「昔のことだ」


「昔のことが今、町で人を殺している」


 源蔵は目を細めた。

 私は続けた。


「薬だか注射だか知らんものが出回っている。飲み屋で暴れた中年男が、朝には老人みたいに萎んで死んだ。路地裏でも同じような症状が出ている。目が金色に光り、熱を訴え、異様な力が出て、そのあと壊れる。その入口に日向庫次の名がある」


 そこまで言えば十分だったらしい。

 源蔵は一度だけ廊下の奥を振り返り、それから苦いものを噛み潰したような顔で背を向けた。


「……帳場へ来い」


 通されたのは、家政の記録でも付けていたらしい小部屋だった。

 古い出納帳、薬包紙の束、何年も前の領収書。古い家は、隠したい過去まで律義に紙へ残す。便利な性質である。


 源蔵は棚の下から一冊の帳面を引き抜き、乱暴に開いた。


「これだ」


 日付の並びの中に、何度か同じ名がある。

 診療。往診。血液精査。経過確認。

 そして、日向庫次。


「表向きには体調不良の診察だった」


 源蔵の声は、諦めと嫌悪が半分ずつ混じっていた。


「蓉子の症状は、最初からまともな病院へ持っていける類ではなかった。熱が出る。食が乱れる。夜になると様子が変わる。診てもらっても説明がつかん。家の外へ出せば騒ぎになる」


「だから、口の固い医者を探した」


「……私が呼んだ」


 否定しないのは、せめてもの誠実さか、もう言い逃れする気力がないのか。


「古い縁で、“表では扱いにくい症状にも口を閉ざす男がいる”と聞いた。日向は便利だった。余計なことを言わない。こちらが聞きたいことだけ選んで答える。家の恥を外へ漏らさない。その点では、非常によく出来ていた」


「都合が良かったわけだ」


「当時はな」


「今は」


「腐っていた」


 その言葉には、自分を庇う響きより、気づくのが遅すぎた人間の鈍い後悔の方が強かった。


「血は何度採った」


「覚えているだけで三度……いや、四度か。最初は普通の検査だと言った。次は比較のためだと。その次は薬の効きを見るため。回数が増えた頃には、こちらも判断が鈍っていた」


「蓉子さんは嫌がったか」


「嫌がっていた」


 即答だった。


「あれは昔から、相手の善意より先に悪意を嗅ぐ子でな。だが当時の私は、治るなら多少の痛みは仕方ないと考えた」


 最低だな、と言うのは簡単だ。

 簡単なことに価値がない程度には、今の源蔵の顔が疲れていた。


 私は帳面を閉じた。


「会わせろ」


 数秒の沈黙のあと、源蔵は首を振らなかった。




 蓉子の部屋は、前に来た時より明るかった。

 光が多いからといって家の空気が優しくなるわけではないが、少なくとも閉じ込められた感じは少し薄い。


 蓉子は窓際の椅子に座っていた。

 首元には、スカーフが巻かれていた。あの派手な趣味の悪い首輪を隠すためだろう。無理はない。


「また来たのね」


「呼ばれもしないのに来るのが私の仕事だ」


「探偵ってそういうものだったかしら」


「少なくとも私はそうだ」


 蓉子は薄く笑った。笑えているなら、前よりはましだ。


「日向庫次という医者を覚えているか」


 名前を出した瞬間、彼女の表情がわずかに引いた。

 大げさではない。ただ、体の内側だけが一歩下がるような変化だった。


「……覚えてる」


「どんな男だった」


「冷たい手の人」


 答えは早かった。


「手袋をしていても分かるくらい、冷たかった。人の顔をあまり見ないの。私じゃなくて、血の色を見てるみたいだった」


 その言い方だけで、だいぶ足りた。

 診察ではなく、検体を見ていた人間の視線だ。


「採血のあと、体に変化はあったか」


「ひどくお腹が空いた。熱も出た。寒いのに熱い感じ。喉が渇いて、背中が痛くて……あと、機嫌が悪くなる。理由もないのに、全部噛みつきたくなるみたいに」


 薄井と犬塚紫乃の証言が、そのまま頭の中で重なる。

 熱。飢え。苛立ち。身体の輪郭が別の生き物の方へずれる前触れ。


「毎回か」


「全部じゃない。でも何度かは」


 蓉子は窓の外を見たまま続けた。


「先生は“体が反応しているだけです”“治る前触れかもしれません”って言ってた」


「治らなかったな」


「ええ」


 静かな返事だった。


「今思えば、あれは私を診てたんじゃない」


 蓉子はゆっくりこちらを見た。


「私の中にあるものを見てた。だから、私が痛いかどうかは、たぶんどうでもよかった」


 源蔵が背後で小さく息を呑む気配がした。

 だが何も言わない。言える立場ではないと分かっているのだろう。


 私はしばらく黙ったあと、はっきり言った。


「今、町で出回っている薬は、たぶん君そのものじゃない。君の血から抜いた、ごく一部を雑に真似たものだ」


 蓉子は瞬きもせずにこちらを見た。


「それで、人が私みたいになるの?」


「なる。いや、正確には、真似たせいで余計にひどくなる」


 源蔵が顔を上げた。


「どういう意味だ」


「本物には、それ自体を維持しようとする何かがある。その一部だけ抜いて、都合のいいところだけ真似た粗悪品だ」


「だから壊れる?」


「そうだ。理性より先に本能が出る。体が持たない。老け込むみたいに一気に消耗する」


 蓉子はしばらく黙っていた。

 それから、感情をあまり混ぜない声で言った。


「私の血で、町の人が壊れてるのね」


「お前のせいではない」


 反射だった。慰めではなく、事実確認に近い。


「採った側と、撒いた側のせいだ」


 蓉子は薄く笑った。

 さっきより弱い笑いだったが、それでも自分を責める顔ではなくなっただけ、言う価値はあったのだろう。


「そう言うと思った」


 帰り際、源蔵から日向の出入りがあった時期の控えをいくつか預かった。

 領収書、往診控え、雑な投薬メモ。

 どれも“治療”の顔をしている。それが一番気に入らない。




 事務所へ戻ると、琴巴がコーヒーを持ってキッチンから出てきた。予想通りミルクは入っていない。


「どうでした」


「採血があった。違法利用の線はかなり濃い」


 私は短く答えた。


 それ以上は言わない。

 琴巴も、それ以上は聞かなかった。聞けば返ってこない話題だと、何となく分かる顔だった。


「今泉さんから追加です」


 代わりにノートを差し出す。


「白いワゴン、町外れの古い配送倉庫にも出入りしてるって。近所の人が“最近、冷蔵庫の業者が来てた”って話してたそうです」


「よく拾ったな」


「普通のおばちゃんたちの井戸端会議なら、たまには役に立ちます」


「謙遜しなくていい」


 私はノートを受け取った。「十分だ」


 琴巴は少しだけ肩の力を抜いた。

 扱う情報が表の事件である限り、彼女はちゃんと役に立つ。それでいい。


 志織が横から新しい紙を差し出した。


「今の報告の、裏付けになります。日向の会社口座、ここ一週間で小型保冷庫の短期レンタル料を払っています。場所は先ほどの町外れの古い配送倉庫の一角。出入りの頻度も高い。それと、断片的な在庫管理メモを復元しました」


 紙には、味気ない文字列が並んでいた。


 検体Y 反応強

 希釈七倍 出力維持/持続難

 飢餓・興奮・発熱 顕著

 老化様崩壊 再現


 琴巴がはっきり顔をしかめる。


「人の名前じゃないですね」


「だから気に入らない」


 私は紙を折った。「検体Y。たぶん元のサンプルの呼び名だ」


「つまり、もともとの“何か”を真似てる」


「そういうことになる」


 私は椅子から立ち上がる。


「場所は分かった。線も繋がった。なら次だ」


「倉庫、ですね」


 琴巴の確認に、私は頷いた。


「そうだ。缶の中身が違うなら、次は詰めた側を殴る」


 甘い顔をしたものから苦い方が出てくる話には、もう飽きていた。

 次は、その苦さを誰が町へ流しているのか、確かめに行く段階だった。




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