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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その7 中身違い

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5、「繋がってきましたね……」




 矢吹町中央公園前交番へ向かう道すがら、琴巴ことはは二度ほど何か言いかけてやめ、三度目でようやく口を開いた。


「確認なんですけど。警察にこんな相談、持っていっていいんですか」


「駄目なら追い返される」


「雑ですね」


 私は交番の看板を見上げた。


「そのへんは相手も同類だ」


 横を歩く志織は、薄井のスマホから抜いた位置情報をすでに整理し終えているらしく、こちらの会話に入ってこない。

 最初から同行しているくせに存在感が薄いのは、この式神の長所でもあり、時々こちらの認識を雑にする欠点でもある。


 交番のガラス戸を開けると、今泉いまいずみ裕次郎ゆうじろう巡査部長が露骨に嫌そうな顔をした。


「うわ」


「歓迎の言葉が雑だな」


「その“面倒を持ち込む顔”で来るのやめてもらえます? こっちは午後から交通安全教室なんですよ。園児相手に横断歩道の渡り方を説明する前に、あなたの案件で寿命を削りたくないんですけど」


 机の上には書類の山、窓際には交通安全のポスター、隅には電気ポット。

 交番というより、書類仕事の比率が少し高い民家である。

 その生活感の中に今泉だけが職業的な疲労を滲ませていた。


「今日はコスプレ少女、いないんですね」


「事務所で甘味を与えてある」


「言い方が完全に餌付けなんですよ」


「事実に近いです」


 今泉は否定しきれない顔をしてから、志織に気づいて笑顔を向けた。


「こんにちは、志織さんは一緒なんですね」


「解析担当です」


 短い返答のあと、志織はすでに交番の机の端へ回り込んでいた。

 今泉ももう慣れたもので、「勝手に端末いじらないでくださいよ」と一応だけ釘を刺しつつ、本気では止める様子はない。



 私は本題に入った。


「最近この辺で、妙な暴れ方をする人間の噂が増えているな」


 今泉の顔から、半分ほど愛想が消えた。


「……どこまで拾ってます」


「鬼面組系列の店で暴れた中年男。すずらん通り裏で接触した女。中央公園外周を異常な速度で走った老人。あと、ひったくり犯を少女が叩きのめした件」


 今泉は眉間を押さえた。


「あれも入ってるのですか……」


「入ってはいるが、たぶん混ざり物だ」


「ですよね。あれまで同系列だったら、僕もう本気で人事に相談しますよ」


 琴巴が小さく首を傾げる。


「そんなに異質なんですか」


「異質も何も、あの件だけ暴れたのが犯人じゃなくて止めた側ですからね。しかも目撃情報が妙に活き活きしてるんですよ。“小柄な女の子が大人を自転車ごと投げた”とか、“パルクールみたいだった”とか」


「パルクール? それってまさか――」


 反射で飛び出した琴巴の声が、思いのほか大きかった。


「堤門さんたちは何か知ってるんですか!?」


 今泉の視線が私に刺さる。


「まあ、多少」


 私は特に説明しなかった。


「……いや、聞かないことにします。面倒事が増えそうな予感がするので」


「賢明な判断だ」



 今泉は溜息をついてから、奥の棚から薄いファイルやメモ束をいくつか運んできた。


「本来は見せちゃだめなんですけどね」


 今泉はそう言って、規定のファイルではない、端をクリップで留めただけのメモの束を叩いた。


「組織が動くには死体か被害届が要る。でも、現場の鼻にこびりつくのは、いつもこういう『形にならない嫌な予感』なんですよ」


 正式な事件記録ではない。交番勤務の警官が“何か変だが、まだ事件としては弱い”と感じたものを、とりあえず残しておいた紙だ。

 こういう雑音の方が、案外本筋に近い。


「被害届になってないものもあります。本人が引っ込めたやつ、酔っ払い扱いで流れたやつ、通報だけのやつ、巡回中の聞き込みだけで終わったやつ」


「十分だ」


 紙を机に並べる。

 中央公園外周路の老人。繁華街外れの乱闘。若い女による過剰防衛。酔客の暴力化。通り魔未満の騒ぎ。そして、ひったくり犯を少女が瞬殺した件。


 志織が地図を広げ、その場で発生地点に印をつけていく。

 中央公園。すずらん通り裏。鬼面組系列の飲み屋。駅から少し外れた路地。コインパーキング脇。


「偏っていますね」


「繁華街の周辺に寄ってる」


 琴巴も覗き込む。


「でも、公園の老人だけ少し浮いてませんか」


「接触と発現が同じ場所とは限りません」


 志織の指先が、地図の上を滑った。


「すずらん通り裏で何かを受けて、別の場所で表面化した可能性があります」


「何か、か」


 私は中央公園の印を見た。

 老人。異常な疾走。二日だけ。以後は消える。

 持続しないなら、むしろ薬理に近い。


 今泉が別のメモを引き抜いた。


「これ、正式な記録にはしてません。早朝巡回のとき、公園近くのベンチで休んでた老人から聞いたんです。“最近は元気が出る注射があるらしい”って」


 琴巴が顔を上げた。


「注射」


「最初は年寄り特有の怪しい健康話だと思いましたよ。膝が軽くなる、眠気が飛ぶ、疲れが抜ける、その手のやつです。で、若い方だと別の触れ込みらしいんです。“痩せる”“すぐ元気になる”“肌が明るくなる”。女でも男でも、引っかかりそうな言い方だけ変えてる」


「中身は同じ、かもしれない」


「ええ。共通してるのは、“すぐ効く”って部分だけです」


 薄井のスマホに残っていた保冷ケースの写真。

 ワイシャツ袖の小さな血痕。

 中溝淳が見た、左腕の内側を気にする犬塚紫乃。

 点はだいぶ揃ってきた。


「売人は見えない。代わりに、短時間接触のあと急変が起きる。しかも触れ込みが相手ごとに違う。錠剤や粉を売るやり方じゃないな」


「打ってる側がいる、ってことですか」


「そういうことになる」


 今泉も頷いたが、顔は晴れない。


「僕も、最近はそう思ってます。すずらん通り裏の女が媒介になってる可能性は高いです。でも女全員が打てるとも思えない。老人の方は経路が違うかもしれないし、路上で堂々と注射なんかできるわけがない。だから、どこかに“診る側”の人間がいる」


 その言い方に、琴巴が少し眉を寄せた。


「診る側って、医者みたいですね」


「そう聞こえるようにしてるんでしょうね」


 今泉は紙をめくった。

 その手が、一枚のメモのところで止まる。


「……そういえば」


 声色が少し変わった。思い出したというより、嫌な記憶同士がそこでようやく繋がった顔だ。


「先月、苦情があって見に行ったんです。すずらん通り裏の近くのコインパーキング脇に、白いワゴンが長時間停まってるって。中で何してるか分からない、って」


 私は何も言わず、続きを待った。


「職質したかったんですけど、最初は車だけでした。で、少しして男が戻ってきた。黒い革鞄を持ってて、往診に行く医者みたいな雰囲気だったんですよ。丁寧だけど愛想がなくて、“体調の悪い患者を診ていただけです”って」


 志織がスマホの画面を上げる。


「薄井武史の位置情報、そのコインパーキング脇に短時間滞在があります」


 交番の空気が少しだけ張った。


「年齢は」


「四十代後半から五十くらい。痩せ型。眼鏡。服は地味。車の名義は、個人じゃなくて聞いたことのない小さい会社でした。病院でも医療法人でもない。妙にきれいで、逆に嫌だったのを覚えてます。指先や鞄に埃一つついていないような、周囲の空気からそこだけ切り離されているような……そんな違和感です」


「名前を取ったか」


「取りましたよ」


 今泉は手元の巡回メモを見た。

 私はその一秒前に、ほとんど答えを聞いた気になっていた。


日向ひなた……庫次くらつぐ


 琴巴がその名前を小さく繰り返す。


「医者、なんですか」


「少なくとも本人はそう名乗った」


 今泉は紙を差し出した。


「確認まではしてません。ただ、鞄も話し方も、それっぽかった。路上の売人とは違う感じです」


 場所、時間、車種、男の特徴。

 そこに、薄井のスマホの写真と、ワイシャツの袖口と、中溝の証言が重なる。


「立っていた女。元気が出る注射。コインパーキング脇のワゴン。往診鞄を持った男」


「繋がってきましたね……」


 琴巴の声には、納得より嫌悪の方が濃い。

 まあ正常だ。


「まだ仮だ」


 私はメモを机へ戻した。


「だが、仮としては悪くない」


「その言い方をする時の所長って、大体もう半分決めてますよね」


「半分なら慎重な方だ」


「全然安心できないんですけど」


 今泉が腕を組んだ。


「これ、ただの違法薬物じゃないんですか」


「ただの違法薬物なら、もっと単純に汚れる。売人が見える。金の流れが見える。常習者の崩れ方がもっと先に出る。今回のは違う」


「じゃあ何なんです」


「そこを調べている」


 即答を避けたのは、分かっていないからではない。

 嫌な方向へ答えが寄り始めているからだ。


 志織が口を開いた。


「帰ったら照会します。医師免許の有無。会社登記。過去の勤務先。訪問診療歴。行政処分歴。それと、久田野家との接点も」


 琴巴が顔を上げた。


「久田野家、ですか」


 志織はそちらを見ないまま頷く。


「考えない理由がありません」


 私はそれを止めなかった。

 止めるだけの材料も、もうない。


 久田野くたの家。

 蓉子ようこ

 金色の目。

 身体能力の急な跳ね上がり。

 人間の形のまま、中身から別のものへ近づいていく壊れ方。


 日向庫次という名がそこへ繋がるなら、今回の話は矢吹町で流れている怪しい注射、では済まない。


「僕、今日このあと園児に“信号が青でも左右確認しましょう”って言う予定なんですよ」


 今泉がひどく疲れた顔で呟いた。


「立派な仕事だ」


「その前に“裏路地で怪しい往診医が針を打ってるかもしれません”を持ち込まないでください」


「善処する」


「しない顔だ……」


 交番を出ると、昼の光が少しだけ強くなっていた。

 普通の町の昼だった。

 公園の方から子供の声がする。横断歩道を老人がゆっくり渡る。高校生が自転車で無意味に競っている。


 その誰の腕にも、外から見ただけでは針の跡など分からない。


「日向庫次」


 琴巴が歩きながら、覚えるように呟いた。


「嫌な名前ですね」


「名前は普通だ。中身がまだ分からないだけで」


 収納の中に放り込んだままの無糖ブラックを思い出す。

 甘い方を押したつもりで、出てきたのが苦い方だった時の感じに、今の流れはよく似ていた。




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