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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その7 中身違い

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1、「今日は土産だけ持ってきたわけじゃないの」




 土曜日の午前。


 いつもの古びた自販機に、小銭を順番どおり流し込み、私はカフェオレのボタンを押した。

 がこん、と鈍い音がして、無事に缶が一本落ちてくる。取り出し口からそれを拾い上げ、手の中で軽く重みを確かめる。


 よろしい。正常に作動している。


 私は機械を過信しない。

 異世界の青空市で多数のオートマタが、水漏れする花瓶や、甘みの全くない桃を、誠実そうな声色で売っている景色に比べれば、日本の自販機は驚異的に誠実だ。だが、誠実と絶対は違う。


 一本目が問題なく出たなら、缶コーヒー程度は備蓄しておいてもよい。次元収納に放り込むぶんには誰にも迷惑はかからないし、私の生活は概ね備蓄によって支えられている。

 私は同じボタンを、もう一度押した。


 落ちてきたのは、無糖ブラックだった。


「……」


 しばらく無言で、黒い缶を見下ろす。

 押し間違えてはいない。私はまだそこまで耄碌していないし、午前中から判断力が崩壊するほど寝不足でもない。少なくとも今日は。


 つまり、表示と中身が一致していない。

 些細な裏切りだった。だが、こういう小さな齟齬は妙に記憶に残る。甘い方を押したつもりで、出てくるのは苦い方。世の中にはそういう類の悪意がある。


 カフェオレはその場で開けた。

 ブラックの方は収納へ放り込む。苦いものは後回しで構わない。


 私は雑居ビルの階段を上がり、いつもより少しだけ慎重に事務所の扉を開けた。

 中は、予想どおり面倒そうな空気だった。


 ただし、本室ではなく別室の方が少し騒がしい。



「駿平くん、それ僕の分じゃない?」


「保さんはさっき二つ食べましたよね」


「食べ盛りの青年にその言い方する?」


「あ! ボスだ!」


「スズナちゃん、待って、まだ出ちゃ駄目。今は大人の話だから」


「スズナは大人だぞ」


「そういう問題じゃなくて!」


 戸一枚向こうから、そんなやり取りが聞こえてくる。


 志織が、血の匂いのしそうな来客を見越して、子供と保を先に別室へ隔離したらしい。判断としては正しい。


 扉を閉め直して本室を見る。

 応接用の安ソファに、鬼面組十七代目組長・市堂いちどう 瑠衣るいが腰掛けていた。


 対面には志織。どちらも声を荒げているわけではない。だが静かだからといって穏当とは限らない。極道の組長と感情を表に出さない式神が、互いに相手の綻びを探り合っている光景は、茶会というより陰湿な高等戦術に近い。


 その中間で、琴巴ことはだけが別種の困惑を顔に出していた。

 机の上の大きな壺を覗き込みながら、まるで新種の生物でも見つけたような目をしている。


「お帰りなさいませ、御前」


 志織がいつもの温度で言った。


 瑠衣は私を見ると、少しだけ口元を和らげた。


「おかえり、統の旦那。遅かったのね」


「下の自販機が軽く裏切った」


「なにそれ」


「カフェオレの顔をしてブラックを出してきた」


「朝からあなたに喧嘩を売るなんて、命知らずな機械」


 瑠衣はそう言って笑った。


 こういう時の彼女は、組長の顔より先に女の顔が出る。普段はそれをきちんと畳んでいるぶん、こういう小さな綻びの方が却って目につく。



「で、これ何ですか」


 琴巴が壺を指さした。


 中身はうぐいす色のどろりとした餡で、その表面に白玉がいくつも半分だけ顔を出している。見た目だけなら、やや深めの湿地帯である。


「くるみ餅よ」

 瑠衣が答えた。

「七百年の歴史ある銘菓よ」


「餅って言われると、もうちょっとこう……個体でいてくれるものを想像してました」


「可愛い感想ね」


「褒められてる気がしません」


「褒めてはいないから」


 私は壺の中を覗き込んだ。


「そのままでも十分美味いが、私は上にかき氷を乗せる氷くるみが好みだな」


 琴巴が振り返る。


「所長、そういう時だけ急に本気ですよね」


「食い物の話だからな」


「優先順位どうなってるんですか」


 瑠衣が口を挟む。


 「少なくとも、あなたのその上司は人間の生死より和菓子の方が反応がいいの」


「否定できません」


 否定しなかったのは正しい判断だ。

 なお、事務所にかき氷機はない。正確には、ないことになっている。



「じゃあ買ってきます」


 保が別室から顔だけ出した。「俺、コンビニでロックアイスと――」


「保は座っててください。あなたが出ると、たぶん余計なものまで買ってきます」


 志織が冷たく言い放った。


「ひどくない?」


「ひどくないです」


「じゃあ僕が行く」


 と、今度は駿平の声が向こうから上がる。「そのくらい――」


「少年も駄目。君は生体資産――スズナと保の見張りを」


「見張りじゃない。護衛だ」



 別室で、スズナが不満そうに言い返した気配がした。

 どうやら、くるみ餅の小皿は既に向こうへ回してあるらしい。そうでもしなければ、甘味の気配だけで扉を開けてくる。


「氷かきは若いのに持ってこさせるわ」


 瑠衣が私を見た。


「今日は土産だけ持ってきたわけじゃないの」


「だろうな。君が善意だけでこの階段を上がるとは思っていない」


「相変わらずひどい言い方するのね」


「事実確認だ」


「そこは“会えて嬉しい”くらい言ってくれてもいいでしょう」


「朝から気味の悪いことを言うな」


「冷たい」


 言いながらも、瑠衣の声はどこか楽しそうだった。

 その空気を、志織が無言のまま零度で切り落とす。私は面倒なので見なかったことにする。



 瑠衣は一度だけ笑みを引っ込め、湯呑みに指を添えた。


「矢吹町の周辺で、妙な薬が流れてるの」


 空気の温度が、一段落ちた。


 私は手にしていたカフェオレを机へ置いた。

 琴巴もさっきまでの和菓子顔を引っ込めて、姿勢を正す。


「覚醒剤とか、そういう既存のものと少し違うわ。飲んだ人間が妙に気が大きくなる。全能感が出る。すぐに攻撃的になる。力も、たぶん上がってる」


「たぶん、というのは」


「現物を押さえられてないから」


 瑠衣は肩をすくめた。


「錠剤も粉も出てこない。売人の顔も見えない。ただ、妙な暴れ方をした人間の噂だけが積み上がっていくの」


 彼女は続けた。


「うちの店で揉めた客がいてね。値段が高い高くない、払える払えない、そういうありがちな揉め方だったのよ。だから最初は、酔っ払いが少し面倒を起こした程度だと思ってた。でも、違った」


「違った?」


「急に切れたの。店の子を二人。止めに入ったうちの若いのを二人。まとめて叩きのめしたわ。固定してあるスタンドチェアを引き抜いて振り回して、一息でカウンターに飛び乗ったって」


 私は何も言わなかった。


 瑠衣の視線が、こちらの沈黙を確かめるように一度だけ止まる。


「目が、金色に光ってたそうよ」




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