2、「一件、混ざり物があるな」
「目が、金色に光ってたそうよ」
琴巴が小さく息を呑んだ。
「で、取り押さえたんですか」
「ええ。結束バンドを切ったって聞いたから、最後はロープでぐるぐる巻きにした。事務所に連れ帰って、落ち着くまで保護」
「保護」
琴巴がたいへん率直な声を出した。
「それ、言い換えただけですよね」
「物は言いようよ」
「その言いようで法律が曲がります?」
「曲がらないから困ってるの」
瑠衣はさらりと言った。
そして次の一言を、さほど重くもなく続けた。
「朝には死んでたわ」
「待ってください」
琴巴が即座に割って入った。
さすがに顔色が変わっている。
「今さらっと“死んでた”って言いましたよね」
「言ったわね」
「あと保護って言いましたけど、縛って連れ帰ってる時点で全然保護じゃないですよね」
「そこは今さらでしょ」
「今さらでも言いますよ! あと、え、死んだ? 本当に?」
「本当に」
琴巴は一瞬、本気で立ち上がりかけた。
私は止めなかった。嫌なら別室へ行けばいい。むしろそれが普通だ。
「……これ、私が聞いてていい話ですか」
「よくはないわね」
瑠衣が言った。
「向こうへ行ってもいいのよ」
志織も私も特に引き止めなかった。
だが琴巴は数秒迷ってから、結局座り直した。
「あとで一人で聞かされる方が、もっと嫌です」
健全な判断とは言い難いが、この事務所では比較的まともな部類に入る。
瑠衣も少しだけ目を細めた。
「見込みあるわね」
「そういう褒め方、全然嬉しくないです……」
「殺したのか」
私は話を戻した。
「殺してない」
瑠衣の返答は早かった。
「騒ぐから、落ち着くまで縛ったまま口は塞いだ。でも息ができることは確認していたし、手も出してない。その辺は弁えてる」
瑠衣は、まるで昨夜の献立でも思い出すような平坦な声で続けた。
「弁えている人間のやることじゃありません」
「そうかしら」
「そうです」
琴巴の突っ込みは、法治国家の住人として極めて正当なものだったが、瑠衣はそれを煙草の煙のように軽く吹き飛ばした。
私は続きを促した。
「病死か?」
「そこが変なの」
瑠衣の声が少しだけ低くなる。
「連れ帰った時は、どう見ても中年のサラリーマン風だった。四十代くらいかしら。でも朝になったら、急に老人みたいになってたのよ。皮膚がしぼんで、髪も白くなって、全体が一気に干上がったみたいに」
「死体は」
瑠衣は一拍だけ間を置いた。
「……処分したわ」
「うわあ……」
琴巴が、心の底から出たらしい声を漏らした。
先ほどまで和菓子に困惑していた女子大生が、今は死体処理の報告を正面から受けている。人生の分岐としてはだいぶ失敗寄りである。
「だから困ってるの」
瑠衣は静かに言った。
「こっちで抱えておくには、少し嫌な死に方だった。うちの縄張りで妙な薬が回ってるなら、それも困る。だからあなたに来たのよ、統」
「欲しいのは何だ」
「供給元の手掛かり。全部辿れなくてもいいわ。どこから入ってきてるのか、その尻尾だけでも掴みたい」
「売人は」
「見えない」
瑠衣は首を振った。
「客層もばらばら。学生も、夜の女も、隠居した老人もいる。飲み屋の客も、路地裏の半グレも。既存の薬みたいに、誰かが表で売りさばいてる感じじゃない」
「錠剤や吸引でもなさそうですか」
「たぶんね。むしろ注射剤に近いんじゃないかって話がある。アンプルみたいなやつ。だから手軽に扱えない。そのぶん、余計に顔が見えない」
志織が言った。
「現時点の物証は」
「死んだ男の身分証とスマホ」
瑠衣は封筒を机に置いた。
「薄井武史。あとは証言が一件。中溝淳って男。女を脅そうとしたら、逆にその女が切れて、連れの男ごと叩きのめしたそうよ」
「女の名前は」
「犬塚紫乃。その日知り合った相手。すずらん通り裏で立ってた女の一人だって」
すずらん通り裏。
昼はただの寂れた裏道、夜になると“用件を明言しない商売”が増える場所だ。
「ほかにも似た話があるわ」
瑠衣は指を折った。
「カツアゲしようとして逆にやられた半グレ。中央公園の外周路を、早朝に短距離走みたいな速度で走ってた老人。二日続けて現れて、その後は消えた」
「ターボジジイですね」
琴巴がぼそりと言った。
「なに、その雑な呼び名」
「町の噂です」
「人の命名能力って、本当に信用ならないわね」
「全面的に同意します」
瑠衣は最後の一本を折るように、静かに言った。
「それと、ひったくり犯を一瞬で叩きのめして去っていった少女の話」
私はそこで、少しだけ黙った。
琴巴はそれに気づかず、素直に顔を上げる。
「やっぱり全部その薬なんじゃないですか」
「……いや」
私は封筒に手を置いた。
「一件、混ざり物があるな」
「え?」
「町の噂は便利だ。似た話を勝手に同じ箱に放り込んでくれる。だが、箱の中身まで同じとは限らない」
琴巴は首を傾げたままだったが、志織は何も言わない。
分からない時に分かったふりをしないのは、彼女の数少ない美点だ。
瑠衣がこちらを見た。
「心当たり、あるの?」
瑠衣の視線が、私の思考の底を覗き込もうとする。
「ないとは言わない。だが、今は情報の仕分けが必要だ。ラベルが間違っている自販機ほど、喉を鳴らしている時に不快なものはないからな」
「相変わらず嫌な言い方」
「役に立つ時の私はだいたいこうだ」
「そうね。だから来たの」
瑠衣は封筒をこちらへ滑らせた。
中には、身分証のコピーとロックのかかったスマホが入っている。
「報酬はいつも通り。余計なところまで掘り返したら、その分はちゃんと上乗せするわ」
「最初から余計なものが混ざっている依頼で、それを言うか」
「だって、うちの若いのじゃ全部まとめて殴って終わらせるもの」
「それは否定できないですね……」
琴巴が小さく呟く。
たぶん今、鬼面組に対する理解が一段だけ進み、人生に対する信頼が一段だけ減った。
私は身分証の名前を見る。
薄井武史。四十七歳。町内在住。
写真の顔は、どこにでもいる疲れた中年会社員だった。少なくとも、金色の目で椅子を引き抜いて振り回しそうな顔には見えない。
志織はもうスマホを手に取っている。
別室では、スズナが何かに抗議し、駿平が必死に宥め、保が「じゃあ俺も一口だけ」と本筋に一切寄与しないことを言っている気配がした。
ひどくいつも通りの事務所だった。
だからこそ、机の上の封筒だけが少し異質に見える。
「まず何からやるんですか」
琴巴が聞いた。
さっきより少しだけ声が硬い。だが逃げていない。
「死体がないなら、死体の周辺から組み立てる」
私は答えた。「スマホ、所持品、拘束時の状況、接触相手、場所、時間。
まともな薬なら、もう少しまともな壊れ方をする」
「まともじゃない、と」
「覚えがある」
そこまで言って、私は封筒を閉じた。
覚えがある、というのは便利な言い回しだ。知っているとも、見たとも、関わったとも断言せずに済む。
だが今回に限っては、それで十分だった。
目が金色に光る。
急に身体能力が跳ねる。
短時間で理性の輪郭が崩れ、最後には中身から先に駄目になる。
甘い顔をしたものの中身が、まるで別物だった時の壊れ方に、私は覚えがあった。




