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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その1 勘違いストーカー

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3/14

3、調査




 探偵の基本は足で稼ぐことだと言われているが、そのような前時代的な精神論は即刻廃棄されるべきだ。


 私は現在、兎我野とがの 玲奈れなが勤務する居酒屋の斜め向かいにある、冷房のよく効いた喫茶店で、本日三杯目となる無糖コーヒーを前に疲労していた。


 時刻は夕刻。彼女の出勤時刻から退勤時刻まで、路地裏の電柱の陰で立ち尽くすなどという真似は、肉体的な疲労よりも精神的な摩耗が激しい。人間が立って獲物を待つのは狩猟時代の名残だろうが、私はとうの昔にその段階を過ぎている。


 窓越しに視線を向ける。居酒屋の従業員出入り口付近。確かに不自然な気配がある。

 だが、それは玲奈が怯えていたような、屈折した情欲や執着に基づくものではない。路地の入り口に一人、少し離れたコインパーキングの車内に二人。三十代半ばの男たちが、交代で監視を続けている。彼らの視線には熱がない。単なる業務としての監視だ。


 どの世界、どの時代においても、際限なく繰り返される人間の営みを眺めてきた私の目をごまかすことはできない。

 彼らの動きは一定のルールで統制されているが、決して洗練されてはいない。裏社会の本格的な組織ではなく、暴力と小金で結びついた半グレ集団特有の粗雑さだ。


 どうやら、単なる色恋沙汰のストーカーではないらしい。ひどく厄介な臭いがする。


 面倒事を手早く処理するためには、その道の専門家に外注するのが一番だ。


 私は冷めたコーヒーを飲み干し、高階市の裏社会を実質的に管理している指定暴力団『鬼面組』の本部へと足を運んだ。

 表向きは不動産会社の看板を掲げたビルの最上階。

 冷たい大理石が敷き詰められた応接室の革張りソファに深く腰掛ける私を、二人の人間が対照的な目で見つめていた。


「あら、統さん。珍しいわね、貴方から会いに来てくれるなんて」


 楽しげに微笑むのは、鬼面組十七代目組長、市堂いちどう 瑠衣るい

 二十八歳という若さで荒くれ者たちを束ねる彼女は、上質な和服を粋に着こなし、私に対してあからさまな好意、あるいは興味の視線を向けてくる。


 先代の組長は、私の抱える秘密の一部――つまり通常の人間とは異なる時間軸を生きていること――をある程度把握していた数少ない人間の一人だった。

 瑠衣自身は詳しい事情を知らされていないが、「先代は統の父親(無論、外見を変えていない私自身のことだが)の代から深く付き合いがあった」と都合よく解釈しているらしい。


 その背後に控えているのは、若頭の鷹司たかつかさ 蓮司れんじ、三十六歳。

 先代から瑠衣の護衛と補佐を任されている男だ。端正な顔立ちに常に険しい皺を刻み、私の一挙手一投足を油断なく警戒している。

 彼の本能は極めて正しい。彼は私の正体など知る由もないが、これまでのわずかな接触から、私が単なる探偵ではないこと、そして決して敵に回してはならない存在であることを嗅ぎ取っているようだ。


「世間話をするための訪問ではない。少々、目障りな連中について情報を買いたい」


 私は手短に、玲奈の周辺をうろつく半グレ集団の特徴と車のナンバーを伝えた。


 瑠衣は面白そうに扇子をもてあそんでいたが、蓮司がすぐさま反応した。


「……なるほど。堤門の旦那が動いておられましたか」


「心当たりがあるなら、出し惜しみせず提供していただきたい。私の労働時間は極めて限られている」


「あの連中は、隣町を拠点にする半グレの集まりです。最近、うちのシマを嗅ぎ回っていて目障りだったところです」


 蓮司は恭しく頭を下げながら答えた。ヤクザの若頭が、得体の知れない探偵に対して使う言葉遣いではないが、彼は常に私に対してこの態度を崩さない。


 瑠衣が扇子を閉じ、身を乗り出してきた。


「その女の子、とばっちりを受けたのよ。最近、彼女の働く居酒屋の常連客が一人、飛んだの。うちの若い衆が追っていた男なんだけどね」


「飛んだ?」


「ええ。あちこちの非合法な資金の流れを記録した、ひどく厄介なデータを持ったままね。その消えた男が最後に接触していたのが、その居酒屋の店員よ」


「なるほど。半グレどもは、彼女がデータを預かっていると思い込んで血眼になっているというわけか」


 私が結論づけると、瑠衣は唇の端を吊り上げた。


「ええ。ただの勘違いの可能性が高いけれど、あの男が土壇場で彼女に何かを託した可能性もゼロではないわ。どちらにせよ、連中は自分たちが納得する答えが出るまで、彼女を徹底的に追い詰めるでしょうね」


 持っていようがいまいが、標的にされた事実は変わらない。下らない話だ。


「気を付けてくださいよ、旦那」


 蓮司が背後から、さらに声を一段低くして言った。


「連中はシノギのためなら手段を選ばない。我々のような極道としての最低限の矜持もなく、平気で素人にも手を出します。……旦那の事務所にも、最近若いお嬢さんが出入りしているようですが、くれぐれも気をつけるに越したことはないですよ」


 琴巴ことはのことか。


 半グレの分際で私に危害を加えることなど天地がひっくり返っても不可能だが、あの無駄に正義感の強いアルバイトが巻き込まれるのは、ひたすらに面倒だ。

 彼女が怪我でもすれば、事後処理と病院の手配という、およそ生産性のない労働が私にのしかかってくる。


「忠告痛み入る。私の身の回りで無駄な騒ぎが起きるのは、清掃の手間が増えて非効率だからな」


 私はソファから立ち上がった。


「貴重な情報を感謝する。これでいくらか効率的に動けそうだ」



 素人にも平気で手を出す、手段を選ばない連中。それが彼らなりの現代における暴力の指標なのだろう。


 だが、私にとっては、今日の夕食のメニューを決めることや、帰宅後に聴く落語の演目を選ぶことの方が、よほど重大かつ深刻な問題だった。




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