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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その4 探偵の不在――連れ出されるスズナ

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4、修羅の茶会




 巨大商業施設でのひどく非効率な買い物を終え、一行は矢吹町へと続く裏通りに差し掛かっていた。


 スズナの両手には、琴巴ことはが買い与えた衣服の入った紙袋が握られている。この世界の布地はシュガレット侯国のものより遥かに軽く、肌触りも悪くない。


「次はどこへ行こっか。せっかくだし、美味しい紅茶のお店でも……」


 琴巴が暢気な提案をした、その時だった。

 路地の前方から、質の良いスーツに身を包んだ屈強な男たちが、通りを塞ぐように現れた。彼らが歩く歩幅に合わせて、周囲の空気が威圧感で歪む。

 一般の通行人たちが、モーゼの海割りのように逃げ惑って道を空けていく。


 スズナの獣耳が、明らかな暴力の気配を察知してピンと立った。


「ひっ……!」


 駿平しゅんぺいが短い悲鳴を上げ、スズナの前に両手を広げて立ちはだかった。彼の目には、この威圧的な男たちが「政府の秘密機関の暗殺部隊」にしか見えていないのだ。

 少年の細い足は震えきっていたが、それでも一歩も退こうとしない。


 だが、男たちの中心から進み出てきたのは、暗殺者ではなく一人の妖艶な女だった。

 指定暴力団『鬼面組』の組長、市堂いちどう 瑠衣るいである。


 完璧な化粧と、身体の線が出るタイトな衣服。彼女の背後には、以前事務所に和菓子を持ってきた若頭の鷹司たかつかさが控えている。


「あら。見覚えがあると思ったら、堤門の旦那のところのアルバイトじゃない」


 瑠衣は琴巴を一瞥し、興味なさそうに言い放った。彼女にとって、統の周囲をうろつく無害な女子大生など、道端の石ころと同義である。


 しかし、彼女の視線が琴巴の背後にいる銀髪の少女――スズナに移動した瞬間、その瞳に鋭い光が宿った。


「その子、誰? 旦那の隠し子ってわけじゃないわよね」


「あ、えっと、所長がお預かりしている海外の……」


 琴巴の拙い説明を遮るように、瑠衣はスズナへ歩み寄った。彼女の脳内で、極めて利己的かつ短絡的な計算が成立したのだ。


(統が保護している子供。ここを押さえれば、あの男の懐に入り込む口実になる)


「そう。海外から。可愛いわね、お姉さんが美味しいケーキでもご馳走してあげる」


 瑠衣は完璧な笑みを浮かべ、猫を撫でるようにスズナの頭へ手を伸ばした。


 その手首がスズナに触れる寸前。

 虚空から滑り出てきたかのように、志織が二人の間に割り込んだ。


「気安く触れないでいただきたい」


 志織しおりの無機質な声が、裏通りに響いた。

 彼女は瑠衣の手首を掴んではいない。ただ、数ミリの隙間を空けて己の手刀を添え、極めて明確な「物理的拒絶」を示したのだ。


 瑠衣の笑顔が、わずかに引きつった。


「……あなた、誰?」


堤門つつみかどの御前より、生体資産の管理を任されている者です」


 志織のガラス玉のような瞳が、瑠衣を上から下まで値踏みする。


「あなたの言動および生体反応から、御前のプライベート領域に対する過剰な執着と、不当な利益誘導の意図を検知しました。ライバル的脅威と認定します」


「ライバル、ですって?」


 瑠衣の顔から完全に愛想笑いが消え去り、極道としての本性の底冷えするような殺気が溢れ出した。背後の鷹司たちも一斉に空気を張り詰める。


 しかし、一条家が誇る最高位の式神である志織は、微塵も動じない。感情を持たない彼女にとって、人間の殺気などただの風と同じだ。


 周囲の空気が一瞬で凍りついたのを確認し、志織は淡々と結論を出した。


「場所を変えましょうか。街中でこれ以上、御前の関係者が目立つのは非効率です」


 志織の冷徹な提案により、一行はなぜか近くにある場違いな高級喫茶店へと移動することになった。



 豪華なシャンデリアが下がるVIP席。

 テーブルの中央には、瑠衣が注文した巨大な特製メロンパフェが鎮座している。

 スズナは目の前のその圧倒的な甘味の塔に完全に心を奪われ、長いスプーンを手に無心で果肉と生クリームを掘削していた。


 彼女の頭上では、目に見えない次元での壮絶な殺し合いが展開されている。


「で? あなたみたいな感情の欠落したお人形さんが、旦那の身の回りの世話をしていると?」


 瑠衣が優雅に紅茶のカップを傾けながら、言葉の刃を突きつける。


「ええ。人間の持つ嫉妬や見栄といった非効率なバグが存在しない分、御前は私の管理能力を極めて高く評価しておられます。あなたのように、庇護対象をダシにして接近を図るような愚かで浅ましい計算もいたしません」


 志織が即座に、一切の抑揚のない声で致死量の毒を返す。


 瑠衣のこめかみに、青い血管が浮かび上がった。


 背後に立つ鷹司が、これ以上の事態の悪化を防ごうと額に冷や汗を浮かべている。

 琴巴は「綺麗な女の人同士って怖いな」と完全に状況を読み違えた呑気な感想を抱きながら、添えられたクッキーをかじっていた。


 そして、最も被害を受けていたのは駿平である。

 極道の幹部と、得体の知れない女ゴーレムが放つ、空間が歪むほどの明確な敵意。その最前線に座らされた十歳の少年の胃壁は、今にも崩壊しそうだった。


(なんでこんなことに……早く帰りたい……!)


 女たちの極めて高度で陰湿な冷戦と、限界を迎えた少年の胃痛。



 スズナはそんな冷戦中の女性たちや、青白い顔をした少年を一瞥することすらなく、グラスの底に残った甘い溶けたアイスクリームを、ストローで器用に吸い上げていた。


 この世界の人間関係はひどく複雑で面倒だが、この冷たくて甘い食べ物だけは、間違いなくシュガレット侯国のどの財宝よりも価値がある。


 スズナは、主の不在を埋めてくれる甘味だけに集中していた。




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