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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その4 探偵の不在――連れ出されるスズナ

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2、留守の寂寥




 スズナの生活は、探偵事務所という閉鎖空間に完全に依存していた。


 ある日の昼過ぎ。探偵事務所の主である堤門つつみかどすばるは、極めて不機嫌な顔で小さな旅行鞄に荷物を詰めていた。

 京都の陰陽師一族、一条家から押し付けられた地方での身辺調査という名の、ひたすらに面倒な物理的移動を伴う労働である。

 本来なら断っている案件だが、今後の事を考えると引き受けておく方が良いと判断したためだ。


「ボス、我も行く」


 スズナは統のコートの裾を掴み、明確な同行の意志を示した。見知らぬ土地で唯一の魔素の供給源である彼から離れることは、生存本能が警鐘を鳴らす事態だった。


 しかし、統は容赦なくその手を振り払った。


「却下だ。ただでさえ気の進まない遠方での労働に、君のような目立つ異物を連れて歩くのは非効率極まりない。足手まといを増やす趣味はない。事務所で大人しく自習でもしていなさい」


「でも」


「私の決定は絶対だ。留守番を頼む」


 冷酷なまでに事務的な宣告を残し、統は足早に事務所を去っていった。


 ドアが閉まった瞬間、空間から微かな魔素の気配が完全に消失し、スズナはひどく心細い、冷たい穴の底に取り残されたような感覚に陥った。


 主の不在。


 スズナはソファに丸まり、完全に沈黙した。頭上の獣の耳は力なく垂れ下がり、尻尾もクッションの間に隠れて動かない。

 壁際では、一条家の式神である志織しおりが、電源の切れた機械のように微動だにせず直立している。

 そして、少し離れた長机の席からは、駿平しゅんぺいがひどく悲壮感の漂う視線をこちらへ向けていた。


 彼はあの雨の日以来、スズナを「政府の秘密機関から狙われている絶滅危惧種の妖怪」だと完全に信じ込んでいる。

 彼の中では、統が不在の今、自分がこのか弱き(と彼は思っている)猫娘を国家権力から守らねばならないという、過剰な防衛本能が暴走しているらしかった。


 所長が出掛け、琴巴ことはたもつもいない事務所の夜は、妙な緊張感だけを残し、静かに過ぎて行った。




 翌休日。

 朝からやって来た駿平と、スズナ、志織の会話はない。


「おはようー……って、あれ? スズナちゃん、どうしたの?」


 昼前、所長不在の事務所を気遣ってやってきた琴巴が、異様な暗さに首を傾げた。


「主個体の不在により、生体資産の精神状態が著しく低下しています」


 志織が極めて平坦な声で状況を説明する。


 琴巴は「だからスズナちゃんを資産って呼ばないでって言ってるのに」と小さくため息をつき、スズナの隣に座り込んだ。


「所長がいないと寂しいんだね。よし、じゃあ今日は気分転換に、街へお出かけしようか! ずっと事務所に引きこもって文字の練習ばっかりしてたら、息が詰まっちゃうし」


 お出かけ。未知の領域への探索。


 本来なら警戒すべき提案だが、この魔素の枯渇した閉鎖空間でひたすら奇妙な記号の練習をするよりは、有意義な時間消費かもしれない。


 スズナがわずかに顔を上げると、すかさず駿平が立ち上がった。


「ぼ、僕も行く! 荷物持ちでも案内役でも、何でもするから!」


 彼の目は完全に「決死の護衛任務に就く騎士」のそれだった。街中には政府の工作員(という名のただの通行人)が溢れている。

 自分が監視の目を光らせなければ、という悲痛な決意が滲み出ている。


 琴巴はそんな駿平の重すぎる覚悟など知る由もなく、「駿平くんも一緒なら安心だね」と無邪気に微笑んだ。

 こうして、極めて奇妙な探索パーティが結成された。


 引率役の琴巴。

 秘密を抱えた十歳の護衛、駿平。

 一切の感情を持たない式神、志織。


 そして、異世界からの迷子であるスズナ。


「それじゃあ、まずは駅前のショッピングモールに行こっか。美味しいクレープのお店があるんだよ!」


 琴巴の先導により、一行は事務所のある雑居ビルを出て、高階市の喧騒へと足を踏み入れた。


 スズナにとって、地球の繁華街は完全に未知のダンジョンであった。


 空を覆うほどの巨大な建造物。鉄の塊が高速で駆け抜ける道路。そして、異常な密度でうごめく人間の群れ。そのすべてが、彼女のシーフとしての警戒心を最大限に刺激する。


(……油断するな、我。ここはボスの加護が届かない、危険な異界の真っ只中だ)


 スズナは革の胸当ての下で小さく息を吐き、周囲の音や匂いを拾うために頭上の耳をピンと立てた。

 その隣で、駿平がすれ違う通行人を一人残らず険しい目で睨みつけながら、ひどくぎこちない歩調で随伴している。


 主を欠いたスズナたちの、極めて憂鬱で、かつ非効率な異文化交流が始まろうとしていた。




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