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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その3 異界の来訪者

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6、恐怖と狂気と理不尽な説教




 銀色の軌跡が、暗闇の中に描かれた。


 スズナの踏み込みには、予備動作というものが一切存在しなかった。

 重力を完全に嘲笑うかのような跳躍で、鉄パイプを振り回す男の頭上を容易く越える。その際、彼女の周囲に生じた人為的な気流が、男たちの体勢を決定的に崩した。


 背後で尻餅をついている保と駿平が、まるで出来の悪いアクション映画でも見ているかのように、口を半開きにしてその非現実的な挙動を見上げている。

 だが、極度の緊張と恐怖の只中にある彼らの脳は、それを「異常な身体能力」として処理するのが精一杯のようだ。


 スズナは着地と同時に身を翻し、抜刀したダガーの柄尻で、スタンガンを持つ男の顎を正確に打ち抜いた。脳を激しく揺らされた男の膝が折れ、そのまま白目を剥いてコンクリートの床に沈む。



 私はその極めて一方的な、しかし機能的な蹂躙劇を横目に、呪具を持つリーダー格の男へと直線で歩み寄った。


「来るな! 肉片になれ!」


 男は狂乱した瞳で私を睨みつけ、懐から黒光りするサバイバルナイフを引き抜いて距離を詰めてきた。


 ここで私の持つ能力を見せびらかすのは、ひどく愚かな行為だ。保や駿平の目前で常識外れの現象を起こせば、後々面倒な説明という名の負債を抱え込むことになる。

 それに、私の持つ収納能力は、現在彼が強固に握りしめている「時計」単体を奪い取ることができない。所有者の手にあるうちは、衣服などと同じく「人物の付属品」として空間の法則に縛られるからだ。


 極めて不本意だが、自らの手を動かすしかない。

 私は深く溜息を吐きながら、コートのポケットから右手を引き抜いた。


 狂気に任せて大振りで振り下ろされるナイフの軌道を、半歩の身ごなしで回避する。すれ違いざま、私は男の右腕の関節に手刀を打ち込み、同時に、左手に握られていた呪具の手首へと鋭い打撃を加えた。


 神経を直接叩かれたことによる強制的な反射。男の指が開き、アンティーク調の懐中時計が空宙へと放り出される。


 手から離れさえすれば、それはすでに「独立した物体」だ。

 私は男から視線を外し、宙を舞う時計へと意識を向けた。


【収納】


 金属の塊がコンクリートの床に激突する寸前、それは空気に溶けるようにふっと消え去り、私の内海にある次元収納へと隔離された。

 背後の保たちが一瞬目を丸くしたが、暗がりと混乱のせいで見失ったと錯覚したらしい。


 呪具という元凶が世界から消失した瞬間、倉庫内を充満していたひどく粘着質な空気が嘘のように晴れ渡った。


 男を支配していた異常な熱狂も、憑き物が落ちたように急速に萎んでいく。彼は己がなぜ虚空に向かってナイフを振り下ろしているのかすら理解できないという風に、呆然と立ち尽くした。


 その後頭部に、スズナの手刀が静かに振り下ろされる。

 男は短い呻きと共に崩れ落ちた。戦闘という名の、ひたすらに非生産的な肉体労働は、開始から一分も経たずに終了したのである。



 私は右手の埃を軽く払い、壁際で固まっている二人の無能な尾行者へと振り返った。


「す、すごい……今の、体操の選手みたいだった……!」


 駿平が震えを忘れたように目を輝かせ、保も「京都のホームステイって、もしかしてくノ一の修行ッスか!?」などと見当違いの感嘆を漏らしている。

 彼らのその的外れな関心に対する言い訳は、明日にでも適当にでっち上げればいい。




「さて。非日常の探偵ごっこは堪能できたかな」


 私は極めて丁寧な、それゆえに一切の温度を持たない声で尋ねた。


「所長さん……僕たち……」


 駿平が我に返り、震える声で何かを言い訳しようとするが、私はそれを手で制した。


「君が恐怖に耐え、己の足で立とうとした小さな意地については、一定の評価を与えよう。成長途中の人間としては、正しい反応だ」


 私は彼を見下ろしたまま、言葉を続ける。


「だが、己の力量を見誤り、何の勝算もないまま危険に飛び込むのは、ただの無能だ。君のその無謀な正義感のせいで、私は極めて面倒な肉体労働を強いられ、私の貴重な休息時間までをも無駄に消費したのだ。その罪の重さを理解したまえ」


 十歳の児童に対する説教としては極めて理不尽かつ大人げない内容だが、私は事実しか述べていない。


 駿平は俯き、ひどく悔しそうに唇を噛んだ。


「そ、そうッスよ! 俺がいなかったらどうなってたか!」


 保がここぞとばかりに的外れな擁護に回ろうとしたので、私は彼へも冷酷な視線を向けた。


「君は論外だ。大人の分際で児童の虚栄心を煽り、危険地帯へ引率するなど、知性の欠如も甚だしい。次同じ真似をしたら、君のその無駄に派手なスーツを剥ぎ取り、全裸で駅前広場に放置する」


「す、すんませんッス……」


 保は完全に縮み上がった。


 私は深い溜息を吐き、静かに私の背後へと戻ってきたスズナの頭を、労うように一度だけ軽く叩いた。


 彼女は獣の耳を嬉しそうに伏せ、私の手にすり寄るように目を細める。

 敵を排除した彼女の瞳には、庇護者である私に対する純粋な献身だけが宿っていた。


「帰るぞ。私のほうじ茶が、これ以上冷めるのは御免だからな」


 一条家への納品物は確保した。あとは彼らの手先にこれを押し付け、身分証とマンションの鍵を受け取るだけだ。


 私は気絶した男たちを放置し、ひどく足取りの重い二人を従え、夜の冷気が入り込む倉庫の出口へと向かった。




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