5、倉庫と探偵と銀色の風
矢吹町の外れに広がる廃倉庫群は、かつての高度経済成長の残骸として、潮風と錆に侵食されるがままに放置されていた。
頭上を覆う厚い雲から、目に見えない魔素が静かに、そして確実に地表へと降り注いでいる。この時間帯の空気は物理法則の枠をわずかに逸脱し、呼吸するだけで肺の奥が冷たく澄み渡っていくような特異な感覚をもたらす。
私の隣を歩くスズナは、魔素の充満に呼応するように生気を取り戻していた。
彼女の銀髪は街灯の乏しい暗がりでも微かに発光しているように見え、頭の獣耳は周囲の微細な情報を拾うために絶えず角度を変えている。
彼女が立ち止まり、短く異世界の言葉を発してある方向を指差した。
『サーチ』および『簡易鑑定』。
シーフという職業に特有の、空間内の異常や目的物を感知する能力である。彼女の指先は、シャッターが半ば崩れ落ちた、ひどく巨大で古びた倉庫を正確に捉えていた。
「あの建物の中に、異常な魔力を放つ金属の塊がある、というわけだな」
私の確認に、スズナは力強く頷いた。
極めて優秀な探知機である。これなら五分で対象を回収し、一時間後には事務所でほうじ茶を淹れ直すことができる。
私がその効率的なスケジュールを脳内で構築し、倉庫へ足を踏み入れようとした、まさにその時だった。
倉庫の奥から、くぐもった怒声と、異常なほど甲高い笑い声が響いた。
「誰だ、お前ら……あはは、警察の犬か? いや、肉か?」
ひどく粘着質で、支離滅裂な叫び声。
それに続くのは、私が今最も聞きたくなかった、極めて聞き覚えのある二つの声だった。
「ち、ちげえよ! 俺たちはただの通りすがりッス! なあ、少年!」
「ぼ、僕らは探偵だ! 悪いことをしてるなら、僕たちが許さないぞ!」
完全なるヒューマンエラーである。
私は深い、本当に深い溜息を吐き、頭を抱えた。
事務所から私とスズナを尾行してきていた二つの気配には、もちろん出発直後から気づいていた。自称二十二歳のホストと、初恋という名の熱病に冒された十歳の児童だ。
途中で飽きて帰るだろうと放置していた私の判断が甘かったのだ。
私はスズナに背後についてくるよう顎で示し、倉庫の内部へと足を踏み入れた。
崩れた木箱や資材が散乱する空間の中央に、三人の男が立っていた。
彼らは一様に、常軌を逸した状態にあった。目はひどく充血して焦点が定まらず、虚空を見つめては意味もなく唇の端を歪めて笑っている。
言葉の繋がりは破綻しており、普通の裏社会のチンピラが放つ暴力の匂いとは決定的に異なっていた。
その中の一人、リーダー格と思われる男の手には、鈍く光るアンティーク調の懐中時計がしっかりと握られていた。
一条家が言っていた呪具だ。人間の攻撃性を無闇に増幅させ、精神を破壊するその低俗な波動が、倉庫内の空気をひどく不快なものに変質させている。
そして彼らに壁際まで追い詰められているのが、派手なスーツを着た保と、必死に両手を広げて前に立とうとしている駿平だった。
駿平の顔は血の気を失い、目は恐怖に見開かれて涙の膜が張っている。小さな両膝は細かく震え、今にも崩れ落ちそうだった。
彼を支配しているのは、紛れもない純粋な恐怖だ。だが、それでも彼は逃げ出さず、保を守るように、あるいは己の小さな意地を貫くように、震える腕を広げ続けていた。
「許さない、だと? あはは、細切れだ。海に沈めて、赤い、お魚の餌だ」
呪具を持った男が、焦点の合わない目のまま懐からサバイバルナイフを引き抜いた。
その刃先が駿平へ向けられた瞬間、保が悲鳴のような声を上げて駿平の前に覆い被さった。
彼は無能だが、子供を盾にするような決定的なクズではないらしい。その点だけは評価に値する。
「や、やめろ! 子供には手を出すな!」
「うるせえ! 肉だ!」
男がナイフを振り上げ、狂気に身を任せて踏み込もうとした直後。
「こんばんは。夜間の非合法活動、ご苦労なことだ」
私は極めて平坦な、事務的な声を倉庫内に響かせた。
狂騒に支配されていた男たちの動きが停止し、濁った視線が一斉にこちらへ向けられる。
保と駿平も、救世主を見たような目で私を見上げた。
「所長さん……!」
「君たちのそのひどく間抜けな面を拝むのは今日で二回目だが、私は君たちに自習と留守番を命じたはずだ。君たちの通う学校やホストクラブでは、命令違反と不法侵入が必修科目にでもなっているのか」
私は歩みを進めながら、容赦のない皮肉を投げつけた。
「誰だ……てめえは!」
呪具を持つ男が、私に向けてナイフを突き出した。その瞳孔は完全に開ききっており、論理的な対話など到底不可能な状態である。
「しがない探偵だ。そして、君の手にあるそのひどく趣味の悪い時計の回収業者でもある。素直に引き渡していただけるのなら、これ以上の労働は控える用意があるが」
「ふざけんな! あはは、眼球、潰してやる!」
男の理性が完全に決壊した。
彼は意味不明な咆哮と共に床を蹴り、残る二人の男たちも、鉄パイプやスタンガンを手に私へと殺到してくる。
極めて野蛮で、非効率な暴力の連鎖だ。
私がコートのポケットから手を出さず、深い溜息をついたその時だった。
私の隣にいたスズナが、音もなく私の前へと滑り出た。
彼女は腰のダガーの柄に手をかけ、振り返って私を見上げた。その瞳にあるのは、単なる探知機や戦闘員としての機能的な光ではない。
明確な忠誠と、私の平穏を乱す敵を自らの手で排除したいという、庇護者に対する純粋な献身の意志だった。
私は言葉の代わりに、ほんのわずかに顎を引いて許可を与えた。
直後、銀色の風が倉庫の中を吹き抜けた。戦闘という名の、ひたすらに面倒な物理的労働の始まりだった。




