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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その3 異界の来訪者

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4、喧騒と呪具と決意の視線



 琴巴ことはが淹れた最高級のほうじ茶の香りに包まれながら、私は紙袋から『けし餅』を恭しく取り出した。


 指先に伝わる皮の繊細な柔らかさ。表面にまぶされたケシの実の香ばしさと、内部の滑らかなこし餡。

 ほうじ茶の渋みがそれらを完璧に迎え撃つ、その至福の調和を想像し、静かに口へ運ぼうとした――まさにその時である。


「ああもう! たもつさん、駿平しゅんぺいくんを押さえててください! スズナちゃんが警戒してデスクの下から出てきません!」


「少年! だから異世界のネコミミはデリケートな部分だという設定は重要っすよ。気安く触ろうとするから威嚇されるんッスよ!」


「触ってないよ! ちょっと近くで見ようとしただけだ!」


 事務所の応接スペースで、十九歳と自称二十二歳と十歳による、極めて次元の低い騒乱が勃発した。

 ドタバタと床を踏み鳴らす振動が、私の持つ茶碗の水面を無情に揺らす。


 ……混沌。


 このような劣悪かつ騒々しい環境下で、老舗の職人が手掛けた繊細な和菓子を味わうなど、文化に対する冒涜である。私は深い、ひどく深い溜息を吐き、口に運ぶ寸前だったけし餅をそっと紙箱に戻し、厳重に蓋を閉めた。


「……事態が収拾してから食す」


 誰に言うでもなく呟き、私は完全に冷え切った視線で騒乱状態の応接スペースに背を向ける。そして事務所の奥、外界の喧騒を分厚い扉で遮断できる窓のない資料室へと足を踏み入れた。


 自身のスマートフォンから特定の番号を呼び出す。

 一度のコールの後、電子の網目を越えてひどく落ち着いた、それでいて慇懃無礼な男の声が耳に届いた。


 京都を拠点とする陰陽師の一族、一条家。

 彼らは日本の裏社会におけるオカルト案件を仕切る由緒正しき血統であり、同時に、私が通常の人間とは異なる時間軸を生きていることを把握している数少ない存在だ。

 便宜を図る代わりに、時折私に厄介な仕事を押し付けてくる持ちつ持たれつの関係にある。


 それが逆に言えば、面倒な弱みを握られているのだとも取れる。


「これは堤門の御前。本日はどのようなご用件で」


「時代錯誤な敬称は省きたまえ。極めて現実的で、かつ事務的な取引の提案だ。至急、十代前半の身分証一式と、当事務所の近隣に生活基準を満たしたマンションの一室を用意していただきたい」


 電話越しの微かな沈黙。オカルト専門の裏稼業に、戸籍の偽造と不動産の裏手配を要求する私の横暴さを、彼らは瞬時に理解したはずだ。


「……密入国者の保護、ですか。それも、そちらの側の」


「察しが良くて助かる。彼女はひどく人見知りでね。世話役として、有能で口の堅い式神を一柱派遣してもらえるとなお良い」


「承知いたしました。御前の要求であれば、最優先で手配いたしましょう――」


 一条家の男は、極めて滑らかな声で肯定した。だが、彼らが無償の奉仕活動を行うような殊勝な組織ではないことを、私は二百年の付き合いで熟知している。


「ただし、少々条件がございます。現在、矢吹町で開催されているコスプレイベントに、ある厄介な代物が紛れ込みました。裏ルートで取引される予定の呪具です」


「呪具」


「はい。アンティークの懐中時計を模していますが、周囲の魔素を乱し、人間に興奮状態や攻撃性を付与する性質があります。イベントの熱気に当てられたと錯覚しやすいため、警察も違和感には気付かないかと思われます」


 私は深く息を吐いた。


「つまり、私がその時計を回収すれば、身分証と部屋を用意するということか。お前たちはいつからそんな面倒な物々交換のシステムを採用したのだ」


「御前のお力であれば、造作もないことかと。取引の時間は今夜。場所は矢吹町の外れにある廃倉庫の周辺と推測しております。よろしくお願いいたします」


 一方的に通話が切断された。


 私はスマートフォンの画面を無表情に見つめ、現代社会におけるしがらみの多さを呪った。七千年を生きようが、結局のところ、この資本主義社会では労働の対価としてしか望む結果は得られないらしい。


 資料室を出ると、窓の外はすでに薄暗くなっていた。


 太陽が沈み、上空に滞留していた魔素がゆっくりと地表へ降りてくる時間帯だ。この街の空気の質が、物理法則からわずかに逸脱したオカルトの領域へとシフトしていく。


 応接スペースでは、琴巴が自身のトートバッグから取り出したらしい無難なパーカーをスズナに押し付けようと奮闘していた。

 スズナは依然として私のデスクの裏に陣取り、頑なにネコミミと革鎧の防備を解こうとしない。


 その様子を、駿平が未だに熱に浮かされたような顔で観察し、保が的外れな助言を飛ばしている。


「琴巴くん、着せ替え人形の真似事はそこまでにしなさい。スズナ、少し出かけるぞ」


 私が声をかけると、スズナはこちらを見て頷いたあと、立ち上がり、迷うことなく私の横へ移動した。


 この魔素が濃くなり始めた空間で、彼女の持つシーフの能力――【サーチ(探知)】や【簡易鑑定】が本来の機能を取り戻しつつあるのだ。

 広大な矢吹町の外れから小さな懐中時計を探し出すという途方もない作業において、彼女は極めて優秀なレーダーとなる。


「出かけるって、どこへですか? この子、まだ何も食べてないんですよ!」


 琴巴が不満げに抗議する。


「私の個人的な野用に付き合わせるだけだ。夕食は適当なハンバーガーチェーンで高カロリーのジャンクフードでも摂取させる。君たちはこの事務所で、健全に自習でもしていなさい」


「俺も行くッスよ、所長! 夜の矢吹町は危険ッス!」


「君の存在自体が私の平穏に対する明確な危険だ。留守番を頼む。もちろん帰ってくれても一向に差し支えはないが」


 私は保の申し出を即座に却下し、スズナを促して事務所のドアを開けた。


 背後から、駿平のひどく複雑そうな、それでいて何か重大な決意したような視線が突き刺さるのを感じたが、私はそれを意図的に無視した。


 他人の思春期特有の衝動など、私の管轄外である。


 私はただ、一条家から押し付けられた呪われた懐中時計を回収し、スズナの身分証とマンションを手に入れる。それだけの、極めて事務的な夜の散歩のつもりだった。


 後にそれが、面倒な連中を巻き込んだひどく騒がしい救出劇に発展するなどとは、この時の私は露ほども計算していなかったのである。




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