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堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
事件その3 異界の来訪者

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3、恋と嫉妬と裏取引




 私の怠惰を守る最後の砦、『堤門つつみかど探偵事務所』のドアを開けると、そこには案の定、招かれざる平穏の破壊者たちが揃い踏みしていた。


 押し掛けアルバイトの琴巴ことは、自称助手のホスト・たもつ。そして、前回の事件以来すっかりこの事務所を放課後のたまり場と勘違いしているらしい、十歳の富裕層・駿平しゅんぺいである。


「お帰りなさい、所長。……って、わあ! すごく本格的なコスプレ!」


 真っ先に声を上げた琴巴の視線が、私のコートの裾を必死に握りしめているスズナに釘付けになる。続いて保が、手元のスマートフォンから顔を上げて身を乗り出した。


「今日駅前でやってる『YABU CON』の参加者ッスか? そのネコミミと革の鎧、めちゃくちゃクオリティ高いッスね。カラコンも綺麗だし、銀髪もまるで地毛みたいだ」


 二人の無邪気な感嘆の声に、スズナは警戒心を露わにして私の背中へと隠れた。


 そして、ソファで生意気に足を組んでいた駿平が、座面の軋む音を立てて立ち上がった。彼は私の背後から顔を覗かせるスズナの姿を一目見るなり、その場で石像のように硬直した。


「君たちの脳内は年中お祭り騒ぎのようだが、少し落ち着きたまえ」


 私は極めて事務的なトーンで、交番の巡査部長に吹き込んだのと同じ杜撰な嘘に、少しばかりの修正を加えて並べ立てた。


「彼女はスズナ。京都の知人宅にホームステイしている外国人の客分だ。君たちの推測通り、このイベントのために矢吹町へ来たが、着替えや身分証を入れたバッグをひったくられてね。言葉も通じず途方に暮れていたところを、私が慈善事業に近い慈悲の心で保護したに過ぎない」


「嘘だ。こんな可愛い子が、ひったくりに遭うなんて……」


 駿平が、うわ言のように呟いた。彼の顔面は、茹で上がった甲殻類のように急速に赤みを帯びていく。


 十歳の少年にとって、異世界から来た銀髪のシーフは、母親の独創的すぎるファッションよりもはるかに破壊的な衝撃をもたらしたらしい。

 初恋の到来というやつだ。実に非効率で、かつ騒々しい現象である。


「言葉が通じないって……英語じゃないんですか? 所長、さっきこの子と話してましたよね?」


 琴巴が不思議そうに尋ねる。銀髪に白い肌という彼女の風貌からすれば、当然の疑問だ。


「彼女は海外のひどく辺境の出身でね。極めてマイナーな独自の言語しか話せないのだ。幸い、私の卓越した語学力がその言語をカバーしていたから意思疎通が図れたものの、交番の警官たちは完全にパニックを起こしていたよ」


「へえ、所長ってそんなマニアックな言葉まで分かるんスね。さすが俺の師匠ッス!」


 私の明らかな虚勢を、保は手放しで賞賛した。彼のように思考の浅い人間が身近にいると、時として非常に助かる。


「保さん、そんなこと言ってる場合じゃないですよ。ひったくりなんて大変。ねえ、怪我はない? 大丈夫?」


 琴巴が母性本能を全開にして歩み寄るが、スズナは威嚇の代わりとなる鋭い視線を向け、さらに私のコートを強く握りしめた。

 この世界に馴染みのない彼女にとって、私の体内から微かに漏れ出る魔素だけが唯一の生存指標なのだ。


 自分には全く懐こうとしない少女の態度に、琴巴はあからさまに複雑な表情を浮かべた。保護者としての焦りと、微かな嫉妬が入り交じったような顔だ。


「悪いが、彼女は極度の人見知りでね。君たちの過剰なホスピタリティは、今の彼女にとっては刺激が強すぎる」


 私はそう言い放ち、ようやく自由になった右手から紙袋を持ち上げた。

 中身は、先ほどから私の脳内を占拠し続けている『けし餅』である。


「琴巴くん、至急ほうじ茶を淹れたまえ。それも最高級のやつだ。私の精神的摩耗を回復させるためには、この餅と茶の完璧な調律が不可欠なのだ。保、君はそこの少年の鼻血でも止めてやってくれ。放置すれば事務所の床が汚損される」


「鼻血なんて出てないよ!」


 駿平が必死に叫ぶが、その声は上ずり、視線はスズナのネコミミ(彼はそれを精巧なカチューシャだと思い込んでいるようだが)に釘付けになったままだ。


 事務所の片隅で、保が「少年、これは春が来たッスね」などと駿平を揶揄い、駿平がそれを全否定するという、ひどく生産性の低いやり取りが始まった。


 琴巴は溜息をつきながら給湯室へと向かい、同時にスズナのための着替えをどこで調達するか、スマートフォンの画面と格闘し始めている。


 私は誰にも聞こえない程度の溜息を吐き、デスクの椅子に腰を下ろした。

 カオスと化したこの空間から離脱し、京都の『一条家』へ裏取引の電話をかけるという重大な任務が残されているが、まずは目の前の和菓子が先だ。


 運ばれてきた茶碗から立ち上る香りを嗅ぎながら、私はこれから始まるであろう、ひどく非論理的で長丁場な労働の気配に、暗澹あんたんたる思いを禁じ得なかった。




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