19 溺愛の始まり
「鏡花、おはよう」
「おはよう、伊吹」
早朝、顔を洗って身支度を整えた鏡花はビシッとおしゃれをした伊吹に少しびっくりした。今までは寝巻きのままで朝食を取ることも多かったのに、今日の彼は外行きのような美しい着物をしっかりと着ている・
「おでかけ?」
「いや、その予定はないよ。鏡花はおでかけしたいかい?」
「私は……まだいいです。街に降りたら家族に合うかもしれないし」
「すまない。そうだよな、あぁそうだ。じゃあ、俺が山で綺麗な花を摘んでこよう」
「花、ですか?」
「あぁ、この時期は色々咲くんだ。紬が生花が得意でね。よければ飾らせよう」
なんだか、やけに優しい伊吹に違和感を覚えながらも鏡花は食事部屋へと足を向ける。すでに台所の方からいい香りがする。
焼き魚の香り、それから肉を焼く香り。それぞれの好みに合わせて紬が支度をしているようで、鏡花はお腹がなった。
「あぁ、俺も早くご飯が食べたいなぁ」
「いつも、ご馳走様です」
「いいんだ。食べたいものがあったら遠慮なく言ってくれ。俺の仕事は鏡花が笑顔になれるようにすることなんだから」
「?」
今日の伊吹は様子がおかしい、そんなふうに思いながら鏡花は相槌を打った。どこか、伊吹が鏡花を見つめる視線に熱がこもっているような気がして、さっと目を逸らす。
(なんだか、伊吹の様子がおかしいような……)
「そうだ、鏡花。裁縫をするって言っていたけど、それをしている時どんな気持ちだ?」
腰を下ろし、紬が配膳してくれるのを待ちながら二人は会話を進める。
「お裁縫をしている時……ですか。うーん」
鏡花は自分が裁縫をしている時のことを考えてみた。つい昨日の夜、伊吹のために襟巻きを編んでいたが……。
「そうですね、お裁縫をしているときはそれを送る相手のことをよく考えて喜んでいただけるように心を込めて作業をしています。ですから、もしもお渡しした時に喜んでもらえればきっと楽しいと感じるのかもしれません」
「む、難しい解答だな」
「ごめんなさい、話が上手じゃなくて……、そのお裁縫をしている時は心が穏やかになるような気がします」
「そうか、実はもしも君が好きならと思って知り合いの仕立て屋や職人たちから道具や素材をいくつか買い上げてこようかと思ってな」
「そんな、今このお屋敷にあるもので十分です」
「そうか? 今は着物の切れ端を工夫して作っているし毛糸の数だって少ないだろう? それに、うちじゃあ母上が亡くなってから誰もあの裁縫道具に触っていなかったんだ。ボロが出ているだろう」
「そんなことは……」
「いいんだ。いくつかモノを葉に仕入れさせよう。ちなみに、甘いものが好きだと聞いたが」
「伊吹、どうかしたの? なんだか、おかしいですよ」
そう鏡花が指摘した所で、ちょうど紬が朝食を配膳にやってきた。鏡花のお膳は焼き魚定食、伊吹のお膳は焼き鳥肉の定食だった。
「おかしくなんかないさ、俺は鏡花に喜んでほしくて……」
「私はもう十分に嬉しいです。こうして幸せな生活を送れていることだけで、私こそ伊吹に恩返しをしたいくらいなんですよ?」
「うーん」
伊吹は「ストレートに好意を伝える」ということがうまくできず悶々とした。相手が謙虚すぎる鏡花だという点も悪く働いて、彼女が伊吹の好意に気づかずに遠慮してしまうのだ。
(女性は与えられる事が好きだと本で読んだのだが)
「伊吹、ご飯が冷めてしまいますよ」
「そ、そうだな。食べよう」
伊吹が箸をつけてから鏡花も食べ始める。
(やっぱり、伊吹の様子がおかしいわ)
何度も目があっては逸らし、それを何度が繰り返しお茶を一気に飲み込むと伊吹は口を開いた。
「鏡花、よければ……今日、一緒に過ごさないか!」
「えぇっ、いつも一緒にいるではありませんか。もちろん、ぜひ」
「あぁ、よかった。じゃあ、たくさん鏡花に喜んでもらえるようにするから楽しみにしていてくれよ」
「はい、でも無理はしないでくださいね?」
「わかった」
嬉しそうにお米を頬張り、それから肉を食べる彼を見て鏡花は疑問を抱えつつも愛おしくて微笑んだ。




