18 鏡花と葉
「失礼します」
「あら、葉?」
「鏡花さん、こっそりお茶いかがですか」
「えぇ、ぜひ」
鏡花の自室に入ってきた葉はなにやら手を後ろに隠している。鏡花は文机の上に編み物を置いて、それからちゃぶ台の方へと向かった。葉の分の座布団を敷いて、それから自身も腰を下ろした。
時刻は夕食後、少しお茶が飲みたくなる時間に葉は鏡花の部屋にやってきた。彼は少しだけ誇らしげに隠していた小さな包みを取り出した。
「これは?」
「鏡花さん、聞いて驚かないでくださいよ。これは、ビスケットです!」
「びすけっと?」
「はい、貴族の間で流行っている西洋の菓子だそうです。珍しいものでなかなか入手が難しくて」
「葉、でもどうして私に?」
「それは、この服のお礼です。俺にとってとても心地の良いものなんですよ。この尻尾穴。擦れて痒くならないし、隙間風が吹いて尻がひゅっとならないし」
「ちょっと縫っただけなのに」
「それが、俺にはできないすごい事なんです。ですから、受け取ってくださいね」
「うぅ、ありがとう。じゃあ、一緒に食べない? 一人で食べるのは味気ないし」
そういった鏡花を葉はキラキラした目で見つめた。食べたくて食べたくて仕方がなかった彼は、行儀よく膝に手を置いて頷いた。
「じゃあ、食べましょうか」
「すぐにお茶を持ってきます!」
「ありがとう」
しばらくして葉がお茶を運んでくると、鏡花は包みを開き、可愛らしい紙箱を静かに開けた。その瞬間、ふわりと香った甘さに二人はクラクラした。
「この香り、バニラっていう植物らしいです。お店のお姉さんが教えてくれました」
「とても素敵な香りね。でも、やっぱり伊吹や紬さんにも……」
「ダメです、ダメです。そうやって、鏡花さんはなんでも他人に譲ろうとするんですから。今日は、貴女に美味しい幸せを独り占めにしてほしくて買ってきたんですよ。俺も、食べますけど……」
暖かい煎茶からゆらゆらと湯気が漂い、そっと鏡花は口をつけた。ほろ苦い香ばしさを飲み込んで、丸い形のビスケットを摘んでそっと口に入れる。
「美味しいですか?」
葉の言葉に鏡花は頷いた。口の中でほろほろと崩れる甘いビスケットは次第にとろけてしまう。口の中の水分を奪われ、煎茶を飲むとビスケットは海外のものだというのにとても煎茶に合うことがわかった。
「美味しい……」
葉もビスケットをひとつ口に入れてそれから幸せそうに空をみあげた。その姿があまりにも可愛らしくて鏡花は何故だか嬉しい気持ちになった。
「そうだ、鏡花さん。これからも、この屋敷にいてくれますよね?」
「えっ、どうしたの? 急に」
「いや、ほらご家族のことお話ししていたでしょう? だから、もしかしたら帰ってしまうかもって俺、すごく怖くなって」
「怖くなった……?」
「だって、鏡花さんの生まれた家は鏡花さんを酷く扱っていたって聞いたから。責任感の強い鏡花さんがもしも……って」
葉は涙を浮かべ、鏡花をじっと見た。鏡花は少しだけ図星をつかれて驚いていたが、彼を泣かせることはしまいと考えを改める。
「行かないわ。ありがとう、葉」
「あっ、その顔、本当は行こうとしてたって顔ですね?」
「バレバレね。もしも、お父様とお母様には無事を伝えて……それからこの虎尾家に女中奉公として雇っていただこうと思っています」
「それは安全か?」
「えぇ。今度、伊吹に話して彼と一緒に向かおうと思っています。何よりも安全でしょう
?」
安心したように笑った葉はもう一つビスケットを食べた。幸せそうに微笑む彼を見て鏡花は少しだけ勇気をもらった。
——私はここへ帰ってきてもいいのね。
鏡花ももう一つビスケットを齧った。




