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20 かまって欲しい犬公爵

 鏡花の日課は、朝の洗濯の手伝いからだ。紬にはいつも断られるものの、体を動かなさいと体調が悪くなるとわがままを言って仕事をもらっているのだ。

 山の頂上に近い場所に位置するこの邸宅のバルコニーに吹き込む爽やかな風と暖かい日光は鏡花の心をほっとさせる。


「鏡花さん、こちらの小さな物を干していただけますか」

「えぇ、ありがとう紬さん」

「いえ、むしろ手伝ってくださってありがとうございます」

「私、お洗濯をするのは好きで……。特にお天気の良い日は気持ちがよいでしょう?」

「確かに、私もお洗濯をしている時は太陽が近い気がして好きかもしれません。石鹸の香りと風の香り。それにお洗濯物はふかふかに乾いた後なんかはご褒美のようです」

「ほんとに……私も同じことを思ったわ」


 鏡花がにこにこと笑うので紬も天狗の面の下で口角を上げた。鏡花も紬の表情は見えないものの分かり合えた気がして嬉しくなった。


「はっ!」


 紬は大きな洗濯物をふわりと飛び上がって高い場所に位置する物干し竿にくくりつけた。


「すごいわ」

「いえ、本来の天狗族ならもっと自由に飛べるのです。ですが……」

「紬さん……」

「でも、今はこの虎尾家の使用人なのです。だから、これだけ飛べることができれば十分。ところで、旦那様、そんなところで何を?」


 紬はすこしムッとした表情で室内のカーテンを見つめた。紬にとっても鏡花とのこの時間はとても楽しみにしていたらしい。

 カーテンの裏からこっそり顔を出した伊吹は申し訳なそうに笑って、それから鏡花に話しかける。


「その、俺も手伝おうか?」


 そう言った彼の尻尾は控えめにゆらりと左右に動く。


「いえ、伊吹に手伝ってもらう量ではないし……」


 鏡花は手元にあるカゴをちらりと見ていった。今日は洗濯物が多い日ではなかったし何より……


「旦那様、せっかく洗ったものに毛がつくのでやらなくていいですよ」

「ええっ!」


 鏡花が言い淀んでいたことを紬がぴしゃりと言った。鏡花が申し訳なさそうに笑ったので伊吹は大きな三角耳をぺしゃりと垂れさせた。


「わかったよ……」


 彼があまりにも不憫そうに言ったので鏡花は思わず「待って」と声をかけた。その瞬間、伊吹がピンと耳を立てる。


「待って、よければもう少し待っていてくださいますか? そちらのベンチで日光浴でもしながら……お洗濯が終わったらお昼まで少しお散歩でもいかがですか?」

「お、おう! じゃあそこで座って待ってるから」


 伊吹は鏡花が指差した庭のベンチに腰掛けると嬉しそうに尻尾を降りながら洗濯を再開した鏡花たちを見守った。


「鏡花さん、あんまり甘やかさない方が良いですよ」

「えっ?」

「ですから、旦那様です」

「甘やかす? ですか?」

「そう、かまって欲しいだけですよ。全くもう」

「かまって欲しいだなんて。私に?」

「えぇ、だって私たちが洗濯を始めた頃からずっと見ていたようですからね。はぁ、私にとっても大好きな時間なのに」


 紬がぼそっと呟いて、それから二つの洗濯カゴを持ち上げて室内へと戻っていった。


 鏡花は紬に「ありがとう」と礼を言ってから、待ちかねている伊吹の元へと向かう。彼が自分に構って欲しがっているなどと俄には信じられなかったが、彼の隣に腰掛けた。


「風が気持ちいいな」

「えぇ、朝は太陽が近い気がして」

「鏡花は洗濯が好きか?」

「はい。紬さんとお話をしながらこうして作業をするのが楽しくて。もしかしたら、紬さんにとっては迷惑かもしれないけれど……」

「そんなことない、見たか? 俺に邪魔されて紬ったら少し怒ってたぞ。きっと彼女も鏡花と過ごす時間が好きなんだろうよ」

「そ、そうなら嬉しいわ」


 鏡花が慎ましい微笑みを浮かべると伊吹はわずかに顔を赤らめた。


「歩くか」

「はい、そうしましょう」


 ゆっくりと広い庭を歩き出した二人は、その後もたわいもない会話を続ける。


「鏡花は家事以外で好きなもんはないのか?」

「家事以外、ですか?」

「そうだ。裁縫に洗濯、それから料理。全部家事だろう? 今まで遊馬家で受けてきた待遇のせいもあるだろうが、ほら心が踊る何か好きなものとか見つかったか?」

「そう……ですね」


 しばらく鏡花は考えた後ぴたりと足を止めた。


「お茶、でしょうか。甘い物を食べながらみなさんとお話しするのはとても楽しいです」

「お茶か。そういえば、そうだな。俺も好きだ」

「旦那様も甘いものがお好きですよね」

「あぁ、最近はどら焼きの皮が好きだ」

「皮……生地のことですか? あんこじゃないふわふわの」

「そう生地だな。ほのかな甘みが好きでさ。たい焼きの周りとか」

「ふふふ、なんだかわかる気がします。私も大福よりも素甘の方が食べたくなることがありますし。もしかしたら、あんこを食べるための生地じゃなくて、生地を食べるためのあんこだったりして」


「そうか、俺とおんなじだな!」


 伊吹の尻尾が大きく揺れた。

 

(もしかして、犬とおなじで嬉しいと尻尾が大きく揺れるのかしら?)


 薄々気がついていたが、その事実が少し可愛らしくて鏡花は微笑んだ。その表情をみて勘違いをした伊吹は満足げに何度か頷いた。


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