第78話 『これが、片面焼き+少し蒸し焼きの《ベースドエッグ》』
「あれ?朝からサチエだ。おはよう。珍しいね?」
「桔梗さん、おはよう御座います。なんでも、今日は料理長を含む調理員のみなさんはお子さんが学校行事があるみたいなのでお休みです」
「なるほどね。で、代わりにご飯をの準備をしに来いっていうのはいつ言われたの」
「昨日の帰りがけに、能天気な椿さんに」
「あははっ」
土曜日。
制服ではなく、私服で薄手のセーターをきた桔梗と朝に出くわしたサチエ。
サチエは今、食堂に料理を運んでいるところだった。
サラダなどの冷たい料理を先に作り、テーブルに並べる。最後に、温かい料理を仕上げて運んで完了だ。
調理場に向かうサチエに桔梗がついていく。
「・・・桔梗さん、コチラは調理場であって、食堂はあちらですよ?」
「うん、ちょっと興味があって」
「左様ですか。来るならスープの3つや8つ位は運んで下さいね」
調理場では、昨日に調理員が仕込んだであろう料理が鍋に入っていた。
サチエは基本、温めて更に盛り付けて運ぶだけである。
しかし、『目玉焼き』だけは作りおきはせず、サチエに焼いてもらうことになっていた。
鍋のスープをかき混ぜなら温めているサチエに桔梗が話しかけた。
「この間、八重と話したんだって?」
「ええ、少しですけど。肉まん食べながら」
「あの後から八重がもっと元気になってね」
「それはよかったです」
「うるさいんだよね」
「それは私のせいではありません」
調理場内にあった、折り畳みのパイプ椅子を引っ張り出してきて桔梗は腰掛けた。
「俺も、サチエに話したら何か変わるのかな?」
「多分、何も変わりません」
「なんで何も聞かないで断言できるんだ」
「だって、桔梗さんって自分の事以外興味ないじゃ無いですか」
サチエの言葉に目を見開いた。
「驚いた。わかってたんだ」
「えぇ。あーでも、自分の事以外に興味がないって言い方ですと、ただのナルシストみたいに受け取られてしまいますね。まぁ、他人に興味ないって事です。・・・これはこれで冷たい人みたいですね。でも、自分の事以外って言っても、桔梗さんご自身のことにもあまり興味がないですからえーっとまぁ、何事にも無駄に拘らずに熱くならない人ですよね」
棚からスープ用のお皿を取り出した。鍋の横に置く。
「そうなんだよね。困ったことに。あまり執着心が無くてさ」
「多分、『そう思った方が楽に生きられる』と、どこかでの時点で思ったのかも知れませんね」
そう言って、サチエは次に冷蔵庫から卵の入ったパックを持ち出した。
パキパキと容器を開封して、フライパンに火をかけた。オリーブオイルを少し垂らす。
「『絶対にこれじゃなきゃいけない』とか『こうあるべきだ』とか『こうなりたい』と言う、人間としての芯というべきだろうか。自我というものだろうか。あまり無くてね。
勉強も、運動も、出来てしまう。努力しなくてもそれなりに出来てしまうのが問題だったかな。
だからこそ、あまり本気になったことがないんだ。
本気にならなくても、大抵のことは出来てしまうし」
「世の同じ年の男子高校生が聞いたら明日にでも刺されそうなセリフですね」
「どうだろう。同じように思ってる人だっているんじゃない?」
「桔梗さんは次元が違いますよ、神部家に生まれた時点で。なので、一般の高校生が桔梗さんの身の上を聞けばもう嫌味にしか聞こえないし妬まれ放題ですよ」
サチエのようにストレートな表現をしてくる者は他人にはいない。
桔梗の周りには一緒に暮らしている者だけがはっきりとものを言う。しかし、同じ家の生まれの者の言葉は刺さらない。
あまり言われない言葉をサチエにかけられる事に、いつも桔梗は新鮮味を感じる。
「順位をつけるものならば、俺は一位をとってしまう。
でも、俺と同じ生まれの神部 楓もまた一位を取ってくる人間だ。
楓は頑張って一位をとる。もちろん、頑張らなくても一位を取れる事もある。
俺に負けて二位になるととても悔しそうだ。いいな。楽しそうだなって見てて思うよ。
俺は、負けて二位になっても、全然悔しくもなんともない。悔しくないことが悔しいとも思わない。
つまり、『譲れないもの』が俺にはないんだ。
良くも悪くも。大きいことでも、小さいことでも。
だからちょっとみんなが羨ましいとも思うけど、みんな大変そうだなとも思うよ」
「本当に他人事ですね」
卵を一つずつ割り、フライパンに落としていく。
パチパチと油が跳ねる音がする。
「あまりにも関心がないから、人として大事なものが欠落しているのかなと思った事もある。でも、それでも生きていくのにそこまで支障がない。
問題がないんだ。
多分、人はこの状態を『無双状態』と言ったり『無敵』だと言ったり『幸せ』と言うのだろう。なんせ、神部の生まれた時点でひもじい思いをすることもない。一生が安泰だ。ただ、俺は最近自分の人生をこう思うようになったんだ。
【張り合いが無い】って。なんでも良いって思っていると、張り合いもなくただ何となく日々時間が過ぎていくだけなんだ」
卵を割っていたサチエの手が止まった。
「あぁ、それは確かにつまらないかも知れませんね。
でしたら、神部から出て行ってみればどうですか?紅葉さんみたいに強行突破してみるのも良いんじゃないですか?一から全てご自分で財産を築いてみては?そしたら途中で何か見えてくるかも知れませんよ?」
「今の地位を全て放棄か。それはちょっとなぁ・・・」
「おや?拒むのですか?と、言うことは”なんでも良い”とか”何でもない”なんてことないんですよ。どっかで捻れて拗れてしまってるのでは?
やっぱり、なんでも良いと思った方が楽、と記憶にもない程小さい時にどこかで植え付けられたんじゃないですか?」
「そうだろうか」
掴めない桔梗にサチエが少しイラッとした。
・・・———
・・・———
目玉焼きが出来た。
サチエは、一度に焼いた複数の目玉焼きを一つ一つ皿に移した。しかし、随分と時間差があった。
「じゃぁ聞きます。この中の目玉焼きで、どれが一番美味しそうに見えますか?」
サチエに言われてコンロと調理台の前にやってきた。
「・・・全部目玉焼きじゃないか」
「視力幾つですか?コンタクトしてます?違うますでしょう?色彩に問題は?」
「結構突っ込んだ事聞くね。視力も色彩も問題ないよ。何が違うの?」
「———何が違うっ?!本気でおっしゃってますか?ええ、じゃぁ良いでしょう。私の目玉焼き講座を開始致します」
「それ長い?お腹すいちゃった」
「長いです。お預けです」
「神部の教育はね、食に関しての知識の吸収はお酒と一緒に開始するんだ。その方がまとめてできるからって。だから二十歳になったら経営と並行して食とお酒も開始するんだよ。だから今は——」
「はい、お選びください」
桔梗の言葉を遮り、サチエがパイプ椅子を持ってきてテーブルの前に置いた。そして反対側へと行き腕組みをして桔梗をみる。
そして、無言で桔梗を座らせた。
「はい、始めます。まず、目玉焼きはいくつかの焼き方があります。名前を紹介します」
「強情だねサチエ。面白いな。いいよ」
目玉焼きを、手の指を綺麗に揃えて指し示しながら説明を開始した。
「これが、片面焼きの《サニーサイドアップ》
これが、片面焼き+少し蒸し焼きの《ベースドエッグ》
これが、両面焼きで黄身は生に近い《サニーサイドダウン》
これが、両面焼きで黄身がとろっとした《オーバーミディアム》
これが、両面焼きで黄身がガッチガチの《オーバーハード》又の名を《ターンオーバー》
多めの油で焼く《揚げ焼き》は今回は良いでしょう」
ここでようやく一通り説明し、区切りがついた。
「では、頂きます」
「どうぞ」
桔梗は、手を伸ばして目玉焼きを取った。
それは、自身から一番近いものではなく、少し遠くにあるものだった。




