第70話 『はい、ベイク(BAKE)です』
「一人外に逃げたぞ!!!」
楓の大きな声に後方が反応した。
それぞれが、自分のいる場所から外へ繋がる窓から出た。
一番最後に別荘に入った桔梗は玄関へと引き返す。そして、玄関扉を開けたその瞬間だった。
目の前を、逃げた目出し帽の男が走り過ぎた。
「(この距離なら20秒もあれば捕まえられ・・・)」
そう考えていた桔梗の目の前、目出し帽の男の先行く所に
サチエが居た。
「サチエ!!!逃げろ!!!!」
桔梗は焦った。目出し帽の男の手に棒が握られていたからだ。おそらくバールだ。
そして男は手を振り翳した。
「嬢ちゃん、悪く思うなよっ!!」
桔梗が走る、しかしどうしても間に合わない。その時だった!!
「う”っ・・・!!!」
———ガランッ!!
目の前の男が一瞬止まった。そしてバールを落とした。
蹲った男。そして男に向かっていくサチエ。
桔梗は何が起こっているのか後ろからでは見えない。
向かってきたサチエが上半身を捻った。その時に見えた。
野球のバットを持っている。
「んんんのぉぉおおおお!!!!!」
蹲った男を横から思いっきり打った。
男は横に吹っ飛んだ。
「ホォオオオムラァーーーン!!!」
清々しい顔で三つ編みを左右に揺らしたサチエがそこには居た。
楓や桔梗が考えていたのとは違う形で終着した。
・・・———
バスの中で2名が笑っている。
「バット2本で立ち向かったとかもう半端ないんだけど!!どこでそんな戦闘術身につけたの?!マジでウケるんだけど!!」
「面白くて笑い止まんないんだけどっ?!」
「双葉、紅葉、何も面白くはないだろう。秋さん、無茶しすぎです」
「仕方ないですよ。向かって来られたんですから」
「でも、その時既にバット2本を手に持ってたんでしょ?やる気満々じゃん・・・」
「櫻さん、念のためです。橘さんのお兄さんが昔話をしてくださったんです。倉庫に野球の道具があると」
その後、体力強化合宿は日程を早めに切り上げとなった。
犯人が捕まったとはいえ、残党がいるやもしれない所に神部の高校生を残しておくことを執事室が中止した。
「まぁ、色々あったけど体力強化も測定も一通り終わってた事だし、楽しい思いもしたからもう俺としては大満足だけどねー。日夜を共にしたこのギターストラップもいい感じになったし!」
「色々有り過ぎだ」
バスの中ではこの合宿での出来事が濃すぎて話が弾む。
「そういえば楓さん、警察の事情聴取には付き合わなくて良いのですか?」
「サチエが工事現場の写真を残してくれていたからな。紅葉が落ちた場所以外も杜撰な状態だった事がわかった。調べたら、現場の人たちが休み前に施した状態とはかなり変わっていたようだ。
逐一上に伝えたんだ。俺たちはもう御役御免だ」
そう言った楓は目を閉じた。バスの揺れも心地よい。寝たい様子だ。
「それにしてもさ!今年はたまたま一週間早く合宿だったから、タイミング的にもベビーカーも子供も助けられたからよかったよね!いつもなら一週間遅かったわけでしょ?そうしたら神部の会社とか製品を疑われちゃうだろうから」
萩が思いついて嬉しそうに言った。
「そう言った意味で、神部はやっぱりついてるっているか、なんかご加護があるっていうか・・とにかく感謝だね」
菊が、神部が守られているんだと感じて言葉を発した。自分達一族はツイていると。
まとまりが良い様な言葉に全員が会話が終了したと感じ、静かになった。
景色を見る者。
寝る者。
本を読む者。
そんな中、サチエはふと思った。
「(確かにこれだけ大企業なのですから、努力もありますでしょうけど神部は”運が良い”のでしょう。しかし、その一言でまとめて良いのだろうか?実際に色々と事件が起こったのは事実。誰か、特別に加護がある人がいるのでは・・・?そもそもこの合宿が一週間早まったのは・・・)」
そう考えていた時、サチエの前に座っていた双葉が後ろを向いていた。
「桔梗が言い出したんだよ、一週間早めるって。アイツ、無自覚だけどそういうとこ”鼻が効く”んだよね。運がいいといえばそうだけど」
「なるほどそうでしたか、桔きょ・・・双葉さん、久々に私の思考を読みましたね」
「あははは!!」
・・・———
八月も終盤に差し掛かった。
「『合宿』『花火』『夜食』『お祭り』『じゃがバター』『水風船』『アルバイト』『夜ふかし』『深夜徘徊』・・・私にしては上出来すぎる16歳、高校一年生の夏休みでしたね」
久々の執事室。サチエは椿を前に報告をしている。
「待ってサチコちゃん、違う違う、聞いてるのは合宿の内容であってサチコちゃんの夏休みの感想じゃないし、そもそも深夜徘徊ってなに?!ダメでしょ女の子が深夜に徘徊しちゃ!!」
「あー、椿のうるさい小言ツッコミが懐かしく感じるー」
ソファで横になりながら携帯電話をいじっている者が一人。
「紅葉!!お前はそろそろ講義に参加しろ!!」
「サチエー、お腹すいたー」
「仕方ありませんね。分けて差し上げますよ私の大事な非常食のお菓子たちを。大人の方には内緒ですよ。まずは溶けないチョコレートから・・・」
「やったー!コンビニで見たことある!」
「はい、ベイク(BAKE)です」
「大人の俺が今君たちの目の前にいるけどっ?!」
合宿の後、サチエはしばらくバイトが休みだった。
久々の出勤で、椿から根掘り葉掘り聞かれているところだ。
「はい、お遊びと冗談はここまでにして。椿さん、こちらですどうぞ」
サチエが椿に書類を渡した。
「なんだ・・!これっ・・?!完璧じゃないか・・・!!」
サチエから渡された書類には、合宿の間に記録したデータが綺麗に表になっていた。
競技、種目別。そして個人別でも表を作っている。完璧だ。
「うわー、サチエスゲェー」
「本当だよサチコちゃん!」
「でもこれ、時間外労働にならない?」
紅葉の言葉に椿がピシッと固まった。
「あ、いいです。これをやるために一日出勤増やさなくちゃいけないなら面倒ですし」
「・・・それに関しては、高時給対策と主に別で謝礼を出します・・・」
「サチエに何あげるの?!」
「・・・本当はこういうのダメだけど、あまりに高時給にするとサチコちゃんマジでシフト減りそうだから、商品券で手を打ってもらおうと思って・・・」
その言葉にサチエの眼鏡が光った。もちろん、合宿の時についた傷は健在である。
「でしたら・・・図書カードはいかがでしょうか?それを含めての高時給・・・!!」
「・・・図書カードでいいなら、それも入れて手を打つっ!!!」
椿とサチエが固く握手をした。
「これで免許も車も趣味も漫画も全部思い通りです。初めて高時給と神部の待遇を万歳と思いました」
「ここにきて初めてっ?!」
「よくわからないけどサチエのシフトが増えるならいっか」
・・・———
講義室。
窓からは晴天が見える。
空調が効いているから室内はとても快適だ。
そんな快適な場所から、晴天と、少し漏れて聞こえる蝉の声を聞きながら桔梗が話かけた。
「合宿の最中に起こった事件はもう良いのかい?」
「あとは”大人”の仕事だ。俺たちは他にやる事山ほどあるだろう」
講義が始まる前。
まだ桔梗と楓の二人だけだ。
「ベビーカーなんとかなってよかったね。割と参入したばっかりの業界だから。早々にうちの製品で事故なんて起こされちゃたまったもんじゃないからね。まさかブレーキを壊してくるとはね。あのまま崖下まで落ちたら流石のベビーカーも大破だろうから事前に壊れてた箇所があったかどうかもわからないからね」
窓の外を見ながら桔梗が言った。
少し離れた所に座っている楓の方は向いていない。
「そんなこと言ったとて、そもそもベビーカーの性能を過信しているからいけないんだ。子供の命を乗せてるんだ。俺たちがあの場にいなくて、あのまま大事故になったところでほとんどが親の責任だ。サチエの言ってた事が正しいというか・・・意識をちゃんと向けていれば事故も起こらなかった。誰の責任にも後悔にも悲しみにもならない」
楓もまた、視線は手元の本にある。
言葉だけが桔梗を向いていた。
「トヨさんが言ってた不審な車の徘徊も、建設会社への侵入も例の建設会社の事務所のことだった。侵入して公園内の建設中の足場を所々緩めて事故を起こそうとしたんだ。小学校から公園へ続くフェンスも外してな」
「俺たちが行ってる時でよかったよ。怪我人が出なくて良かった」
「・・・本当、お前が一週間早めたのがまさかこんなことに繋がるとはな」
「褒めてるんだよね?」
「それよりも見てみろ、コレ」
そう言って楓が桔梗に渡したのは数枚の書類だった。
「『修繕検討箇所・・・?』何これ。・・・別荘の修繕した方が良いかもしれない場所のリストアップ?」
書類をめくり中身をざっと確認する。
「体力測定の記録、追加食材の費用計算、使用頻度の低い洗濯機の現状、掃除にまつわる対策法・・・サチエ、ご飯作ってトレーニングついてきてその他にこんな事やってたの?」
少しだけ驚いた表情をした桔梗。
見ている限り、サチエがここまでやっている『時間』がないと思っていたからだ。
「優秀だろう。他の女子高生じゃここまで絶対にやらない。できない。そもそも思いつかない」
「将来有望だね」
「あぁ、だから、将来は神部に就職してもらう。そういう人材を見つける為に、若い人材を雇っているのがそもそもの理由だからな」
「最初は清掃員だったのにね。そういえば前に一度辞めたサチエを連れ戻すって躍起になってたよね。
人の縁って本当に面白いね。でもサチエは将来何かやりたい仕事があるかもしれないじゃん。その辺は?マインドコントロールでもするの?それともやっぱりあの事話して逃げられないようにするの?」
「正面から堂々と金で釣るしかないだろう」
「サチエが守銭奴みたいな感じで良かったね」




