94章
タブレットの画面が暗くなり、最年長の少女は無言のままスイの様子を伺った。そのスイはと言えば、無表情のまま何かを考え込むような仕草を見せたが、念を入れるような顔つきで少女達へ質問した。
「…彼らは、キュクロプスは日本だった辺りにいるのね?」
「その問いにはお答えできません、私達がこれ以上スイ様にお伝え出来る事は何も…」
「ううん、私、貴女達を責めたり怒ったりしてるんじゃないのよ。ヒントをくれた事に感謝してる」
「そう仰せ頂き、とても嬉しいです…」
スイは少女達と会話を続けようとした矢先だった。
「アサナギ」
ゲートの開く音と共に少女達がいたのとは180度反対側の通路から要がやって来た。驚いたスイは、後ろを振り向いて其処に居たのが要1人であるのを認めると、何故か急にほっとしてしまった。
「誰かいたのか?」
「…うん」
そう言いかけてスイは自分が彼女達9人の名前も素性も知らない事に気付いた。スイが彼女達が居たその場へ再び視線を戻すと、案の定1人として誰の姿も残ってはいなかった。
「あのね…」
スイが今起きた出来事を要に説明しようとしたその時だった。2人のスマートウォッチが同時にけたたましいアラーム音を発した。会話を止め、それぞれ画面に現れた文字を読む。
「地上にてアバター用エレベーター出口を含む直径10km圏内が外部と遮断」
スイと要の頭の中で新たなギガスの出現、というワードが浮上した。
「アサナギ、どうする?」
スイは自分の目で確かめに行きたい気持ちを抑えながらも、その足は自然にチーム6のラボへ向かっていた。無言のまま要もその後に従った。
「フェイさん!」
「あら、スイ、久しぶりね。何かご用?」
「先程のアラート、何があったのですか?」
「今、ミッコがドローンを数台飛ばしてくれている所よ」
「フェイさん、3台飛ばしてみましたが、見て下さい。どの機体からもモニターに何も映らないです」
画面上は電源を落としたかの如く漆黒だった。
「おかしいわね、今日は周期的に月が南西に出ていて、天候も降水確率0%の晴天の予報が出ているはずだけれども」
「これはただのシステムトラブルではないような気がします…もっと離れた場所から状況を見渡さなくては」
「スイ、いきなり何なの?そんなに案ずることはないわ。ただの機械のバグよ」
スイは口を閉ざした。言われた通り自分が今や単なるチーム0の所属のメンバーで、アバターを駆使する研究開発チームとは別次元の存在であるという事を痛感させられた。だが、この胸さわぎは是迄の経験から何もないということはない。ただ大人達が、自分の発言について肯定する気は皆無だった。
「ドクターラブロック、エクトを地上へ出してください」
フェイとスイの会話を遮って言葉を発したのは、のっぺりとした顔の東アジア系の少年、テギョンだった。
「俺、同調テストとシミュレーター演習ばっかで飽き飽きしてた所です。エクトで様子を見て、可能なら応急処置してきますよ」
「フェイさん、どうします?」
「此処のエレベーターが上手く作動するかも不明だし、β棟の試作のエレベーターを使えないか申請してみるわ。そちらを使えそうならエクトをβ棟へ運ばないといけないわね」
「了解です」
フェイは改めてスイの方を向いて言った。
「安心して。 今日中には無理だと思うけれど、明日テオにエクトで地上を偵察してきてもらうわ」
そう言われてスイは要と共にその場を引き下がる他なかった。
翌日、スイは昨日の不安を忘れようとしながらリュケイオンでの生活を過ごしていた。だが、それは無駄な努力に終わった。オーケストラ部での次の課題曲の発表を前にして他のメンバー達と練習室にいたスイは、突然部屋に駆け込んで来た要から見せられたスマートウォッチの画面で、最悪の事態が起きた事を知らされたのである。
「β棟エレベーターより地上へ出たエクトが行方不明。テギョンは昏睡状態。改めて他チームへアバターによる調査依頼が出ている。ミサキ・カナメによるテタルトの再起動も視野に入れるように」
スイは数回瞬きをした。そして深く息を吸って吐き、要の顔を見た。
「エクトに何が起こったのか、地上で何が起こっているのか、見に行って来てくれる?」
「ああ、俺はいつでもお前の目になる」
その一言は余計だわ、と思いつつもスイは要に礼を伝え、オーケストラ部の練習を早退し、2人でネオ・ムセイオンへ向かった。
2人がネオ・ムセイオンに着くと、待ち構えていたドリーから既にニックがトゥリトで地上へ出られないか試みたという話を聞かされた。
「だけどメインのエレベーターのドアを開けた先が真っ暗で、まるでタコの墨みたいに黒い煙の様な物が入り込もうとして来たんですって。それで危険を察して引き返したそうだわ」
「ドリーさん、テタルトのエレベーターの出口も遮断されている範囲内ですよね?」
「そのはずだわ」
残念ながらドリーは今までも地上の研究調査には関与していなかったため、アバター専用の設備についての詳しい情報までは把握していなかった。
「それでもエクトが行方不明になっているのであれば、誰かが探しに行く必要があるんだろう?」
「それはそうなのだけれど、私達は地上の影響を地下の世界にもたらしてはならないわ。ましてやテタルトには前科がある」
要は再び生を受ける前の記憶がほとんどなかった。そのため当然ながらテタルトの暴走事故についての記憶はおろか、事故に対する自責の念すらも持ち合わせていない。そのため3人がテタルトとタラッサが巻き起こした騒動で破損した箇所の前を通過しても、要は無言と無表情を貫き、テタルトと同調する事に対しての罪悪感や恐怖心と言ったものなどは1ミリも抱かなかった。
3人は最地下階のテタルトがある部屋までやって来た。其処で要は改めてチーム0のスタッフから専用スーツの着用からカプセル内でスタンバイするまでの手順を一通りレクチャーされた。その間スイとドリーはコントロール室内のモニターにてチーム7のエドと会話をした。
「…黒い煙についてはフェイからは何も聞かされていなかったが、β棟から送られてきたエレベーターのカメラの映像にもそれと同じ物らしき痕跡が映っていた。黒い煙が瞬時にエレベーター内に充満して、慌ててエレベーターのドアを閉めた時には既にエクトの姿はなかった様だ。テオの意識がそれと同時に停止した、と聞いて、ニックにはヤバそうだと思ったらすぐ引き返せ、とは言っていたからね。彼の判断は僕も正しかったんだと思うよ」
スイは自分の予見の力が発揮できない事を深く悔やんだ。こんな時セイと一緒なら、自分がデフテロと同調して事態に臨んでいたら、そんな思いがスイの胸中を駆け巡る。
「それで、ニックの体調は大丈夫なの?」
「大丈夫だと思います、少なくともバイタルチェックには異常は見られなかった」
ドリーはその知らせを聞いて安堵した。
「ところでチーム4は何て?彼らもプロトを地上に向かわせるの?」
「ローレンからは『ジェシカは戦闘の訓練は受けていないから、今回の件については慎重に動くつもり』だと」
「賢明な判断ね。私も彼女の立場ならそうするわ」
ドリーがそう言った所で他のスピーカーからスタッフの声がした。要のスタンバイが出来たという知らせだった。
「私は君が地上へ行く事を勧めない。グールド前所長から受け継いだ君とテタルトを犠牲にはしたくないから。それでも行くの?」
「ドリー、すまない。悪いが行かせてくれ。アサナギの代わりに地上で何が起きたのか明らかにする必要がある」
わかったわ、とドリーは答え、地上へ出る許可を出した。要もカプセルの中で、言葉通り水を得た魚の如く清々しい気持ちで集中した。テタルトが大量の水しぶきをあげて久々に動き始める。緑のランプの点灯と共に巨大な戦士はエレベーターで地上に向かって運ばれて行った。




