93章
カプリースを完全に自分のものとしたスイは、程なくして第2から第1バイオリンへ移る事となった。だが、新しい仲間達の関心はスイ本人にはなかった。
「ねえ、アンタってムツキ・リョウと知り合いなの?」
「ダムロッシュがアンタと彼女が此処の練習室に居たって言ってたって噂よ、それホント?」
「私達にも会わせてくれない?」
スイが彼女とセッションした時、偶然居合わせたダムロッシュが「フレデリック」と言っていたピアノの国際コンクールについてと、その直近の回の優勝者について、勿論スイ自身も、演奏も含めてネットによる配信を見聞きした事で知っていた。だが、素性について一切何も明かされていない、ミステリアスな彼女のプライベートや裏の顔を少しでも白日の下に曝そうと、世界中のパパラッチ達が躍起になっているらしいという報道や、彼女に関する様々な考察、分かる範囲の情報を取りまとめたサイトがゴシップ愛好者達によって乱立されていると云う現状を、スイ自身はとても悲しんでおり、根も葉もない噂を彼方此方で立てられているリョウに深く同情していた。
「彼女とは知り合いよ。でも、私も彼女の連絡先を知らないから、彼女と会う事もコンタクトとる事も出来ないわ」
「えー…じゃあせめて彼女についてアンタだけが知ってる事を何か教えて?」
「ごめんなさい…私も彼女とはそこまでの関係ではないし、此処で貴女達に話せるような事は何もないわ」
スイは自身とリョウの関係についての情報を口外すると、それを彼女達は自分が友人の立場にあると置き換えて世間へ吹聴するであろう、という本心を見抜いていた。それはリョウを尊敬し、彼女との友情を心から大切に思っているスイにとっては許し難い行為に他ならない。だからこそ、スイは彼女達に対し、この件に関しては自ら見えない壁を築くという行動に出たのであった。
ちょうどその日は、各パート毎の練習後、ネオ・ムセイオンにて要の身体検査が夜から予定されていた。
「美崎君、その本面白いの?」
リュケイオンからネオ・ムセイオンへ移動する車の中で、無言でタブレットの画面を見続けている要に向かって離れた席にいるスイは話しかけた。
「…うん。人間は『在る所のモノではなく、在らぬ所のモノである』んだって」
「…そう」
要はリョウから贈られた本が発端となり、古今東西様々な思想に進んで触れる様になっていた。中でも彼は特に20世紀に哲学界を席巻した実存主義に強い興味を持った様だった。ちなみにスイも、リョウが要に贈ったらしいというペーパーバックを借りて読んでみたが、既にセイとの同調や、エミールによる学習の成果により、様々な記憶とより広く深い知識を自分の物にしていた彼女の目には、本の内容は個々がそれぞれのやり方で至った境地を、面白おかしくデフォルメして描いたフィクション、と云う風に写った。その後2人の間には会話がなく、スイは車が目的地に着くまでの間、リョウが要の水槽の前にいた光景とその時の会話を薄っすらと脳内でリフレインした。
「リョウちゃん、美崎君と何かあったの…?」
スイは最下層の研究室で要と別れ、テタルトの格納庫脇の別室に入った。兄アサナギ・シンがテタルトに憑依したあの時、確かに何もなかった空間から一振りの氷の剣が精製された。その剣は既に姿形も無く、あの現象はどうやって起きた物なのか、そしてそれはスイが探し求めているアマダントと関係があるのかも判らなかった。
「兄さん…私どうしたら良いの…」
ネオ・ムセイオンに戻って以来、デフテロ無くしてセイとの交信が出来なくなったスイは、キュクロプスを見つけ、地上でギガスから奪った剣の製作方法についてを知るという難題に行き詰まりを感じていた。それは先日のテタルトの暴走とその関連の事故によって地上調査が中断している事もあり、地上に関する新たなデータが得られなくなってしまったが故の影響でもあった。
「今日もお悩みの様ですね、スイ様」
「貴女達は…!!」
凛とよく響く少女の声にハッとしてスイは後ろを振り向いた。そこには白いストラを着た9人の少女達が立っていた。
「スイ様はネオ・ムセイオンにお戻りになられてからずっとお辛そうです」
「特に此処にいらっしゃる時は」
「どうしてそんな風に悲しまれてるのですか?」
「私達にも何かお力になれる事があればいいのですが」
口々に言う少女達に向かってスイは一言「ありがとう」と小さく言うと、真顔で言い切った。
「もし可能なら、私をキュクロプスがいる場所まで連れてってくれないかしら?」
そう言われて少女達は七色の声で口々に答えた。
「申し訳ございません、私達が直接お連れするのは出来かねます」
「私達は此処の外には出られないのです」
「ましてや鍛冶職人達がいる場所へだなんて」
スイは口々に異を唱える少女達の様子をじっと見つめていたが、タブレットを持つ一番年長者だと思われる少女に向かって言った。
「貴女達が私を其処へ連れてってくれるのが不可能なら、せめてキュクロプスの居場所を教えてちょうだい。私、その情報を頼りに行ってみせるわ」
そう言われて彼女はタブレットを持つ手の指先に力を込め、そしてスイの顔をじっと見つめ返した。その後ろで他の少女達はざわざわと不安そうな声を上げた。
「スイ様。どなたのお指図か存じませんが、彼らが居る場所へ行くのはとても危険です。彼らはとても残虐で、特に私達、アポロン神に属する者に対して強い恨みを抱いております」
「そう…それで貴女達は私を彼らの所へ連れて行く事ができないと言うのね。でも私、私の両親とセイの事を知る為には、キュクロプスを見つけて武器の製造方法を教わる必要があるの」
「人間には真実を知りたいと強く欲する傾向がありますが、スイ様もまたその欲望には抗えないのですね」
「私自身と失われた私の家族の手掛かりを掴む為には、手段を選んではいられないのよ」
「でも、どうかお忘れにならないでください。スイ様が真実を知ってしまった事で、知らなかった頃に後戻りが出来なくなると言う事も」
憂いを帯びた眼差しの少女に対し、スイは毅然とした顔付きのまま「わかったわ」と答えた。
少女は無言でタブレットをスイに差し出した。その画面をスイは食い入る様に見つめた。其処に映し出されたのはセイとの同調でも見た事がなく、エミールで学んだ知識とは全く異なる神話であった。
これは古代文明が成立するより前の頃の事である。農耕を始めた人々の集団が世界に出現し、これまで狩猟を中心に生活していた民は次々に豊かな暮らしを求めて農耕民族の配下に下った。その中には石器を創り出す職人の集団もいた。
彼ら職人達は優秀だった。彼らは石から鉱物を見つけ出して加工する術を編み出した。だが、彼らが行なう鉱物の加工は川を汚し大地を汚し農作物にも多大な影響を及ぼした。その結果、いつしか前より農耕を行なっていた人々の中には職人達を悪く思う者が現れ始めた。
その様子を他所の民族は静かに傍観していた。ところがある時、間者を放ち、孤立し始めた職人集団を自らの陣営に入るよう促した。彼らと同じく雷を信仰していると言い、説得し、遂に職人達は自分達を差別し蔑んだグループを離れ、逆に受け入れてくれた民族の下に就く事になった。
職人達は受け入れてくれた民族を束ねる王達の依頼で、武器を生み出した。それがかつて自分達を最初に受け入れてくれたグループを始め、世界中に暴力と殺戮による侵略を広める始まりとなるとも知らずに。
もちろん最初の受け入れ先である民達も単独で侵略者達に臨んだ訳ではない。大地の神を信仰する者、太陽や月の神を信仰する者、様々な民族が侵略者達に抗い、滅ぼされた民もいれば、降伏した民もいた。
最初に抵抗した民を率いていた王は殺害された。彼の支持者達はその王と同じ道を辿るか追放された。その一方で彼らに味方していたグループを率いていた王は、身内を侵略者達の王に奴隷として差し出す事で、何とか追放を免れ、故郷に留まる許しを得た。こうして侵略者達は多くの民族の頂点に立つことになった。
だが、一度世界に撒かれた争いの種は、至る所で芽吹き、花開き、そして新たな争いの種を撒き続けた。
かつて侵略者達に降伏した王の一人は、繰り返される争いに嫌気が差した。また、愛する息子を侵略者達に殺された恨みを胸の何処かに抱いていた。だが決して強者には勝てない。そこで彼が選んだのは、武器を発明した職人達の集団を皆殺しにする事であった。
とはいえ職人達も侵略者達の庇護下でずっと我慢していた訳ではなかった。彼らもまた自分達のコミュニティを築き、技術を後世へ残す為に、自分達を滅ぼそうとする人々と戦いながら逃げるという道を辿った。
彼らの冶金技術はこうして世界中に広まり、それは後に各地で文明が興るきっかけとなった。これは同時に侵略や戦争というものが世界中に広がる発端ともなった。職人達の集団は虐殺で人数を減らしながらも戦い、逃亡し続けた。親は子に技を伝承しながら移動を続け、行き着いた先は極東であった。
其処でも彼等は鉱物から金属を取り出し加工して、その技術は海を渡った。ある時、島国の王からの招きで、職人達の子孫の一部は海を渡った。異形の彼らは妖怪として恐れられたが、先祖の教えを絶やすことなく、技術は研鑽を重ねられていった。
これら一連の出来事は侵略者達、オリュンポスの神々を信仰する民達により一部分のみ口伝えで広められ、総括してティタノマキアと称された。その中で職人達の集団はキュクロプスと呼ばれ、鍛冶の神ヘパイストス、別名ヴァルカンに仕える存在であったが、アポロンの息子アスクレーピオスを殺した電撃の矢を造ったのが彼らキュクロプスだった、という理由によりほぼ全滅させられたと伝えられた。無論、一部の生き残ったキュクロプスも存在はしたが、卓越した鍛冶の技術を継承した生存者がいた事は知られていない。
少女がタブレットでスイに見せた物語はまとめるとこのような内容であった。




