79章
その夜、ユリアはネオ・ムセイオンからシェアハウスに戻るなり、ボニーからのメッセージが来ている事に気が付いた。
「私の代理人と共に、今すぐフォスター・ケア・センターにいる子ども達を保護しに行ってきて欲しい」
はあ?!というのがまず彼女の第一声だった。それから次に思い浮かんだのは、其処にいるアサナギ・スイの事だった。それにしても何故ボニーがこんな事を指示してきたのか?
混乱する頭のままユリアは再び愛車を稼働させ、急いでボニーの運営するハウスへ駆け付ける。
「ボニー!」
ハウスの主はいつもの甲高い声で親友を迎え入れた。
「一体何があったって言うの?」
多忙なユリアはその日のニュースは勿論、センターが今どんな状況になっているのか何も知らずにいたのだ。
ボニーは歪な指先でキーボードを操作し、モニター画面にスイからのSOSを映し出して見せる。
「…それで今、私のビジネスパートナーのサイモンに動いてもらっている。ユリアは彼と現場を見に行ってきて欲しい」
「待って、中に入るのにも色々手続きが必要でしょう?いきなり私達が行って何ができるの?」
「もし手続きが終わるまで待てる余裕があるのなら、あの子は直接こんな連絡を私にして来ない」
それもそうね、とユリアは頷いた。
「それでサイモンって人は今何処にいるの?」
警察署、と云うボニーの回答を聞き、ユリアはこれ以上ボニーの考えに口を出したり疑問を抱いたりするのは愚かな事だと察した。
「ユリア、大丈夫。私達には応援してくれるフォロワーが大勢いるから」
そう自信たっぷりに断言したボニーの指し示すモニター上には、彼女の投じた一石がSNSの中で拡散された様子と、その一投に心を動かされた数十万人を軽く超える顔を見せぬ賛同者達の同意と励ましの声があった。
「彼女は全く、たいしたリーダーだね。そのうち世界連合の協議会代表にでもなるんじゃないか?」
「そうですね。このまま行けば彼女はF.ルーズベルトやS.ホーキングに並ぶ存在となるかもしれません」
夜道を愛車のバイクで疾走しながら、ユリアはスマートウォッチ経由でボニーの代理人サイモン・アシュクロフトと通信していた。彼の専門は民法や会社法だったが、ボニーの経営するコンサルティング会社に入った事で社会法にも詳しくなったと云う。
「それで、君はあとどれ位でセンターに着くんだ?」
「あと15分位で着けると思います。ただし、道路渋滞とかがなければですが」
「オーケー。此方はあと30分以上かかりそうだ。着いたら先ず現地に取り残されている子供の数と現状を連絡くれたまえ」
「分かりました」
会話しながらユリアは、サイモンの持つ弁護士特有の、会話し過ぎると自身の腹の中迄余計に探られてしまいそうになる話術に対し、無意識に警戒心を抱いていた。彼は善人の様に見えるが、この人も所詮ただのハイエナだ。ボニーの寿命がそんなに長くはない事を本当は知っていて、ボニーが健常者達以上に苦労と努力を積み重ねて築き上げたビジネスを、行く行くはそっくり自分の物にしてしまうつもりなんだ。
そうこうしている内に、漸くケアセンターの前に辿り着いた。まだ深夜ではないが、建物内の灯りは全て消されていた。以前訪れた時に会ったマルタは勿論、守衛すらいなかった。
「もしもし…?」
ユリアがバイクを停めて入口の扉の前に立つと、扉は施錠されていなかったのか自動で開いた。屋内は真っ暗だったが、空調が稼働する静かな機械音だけが鳴り響いていた。
「スイ…?」
呼び掛けても返事はなかった。ユリアは身につけているスマートウォッチに右手で触れ、バックライトで足元を照らす。以前訪れた時の記憶を必死に集めながら、人気がない屋内を彷徨った。
「スイ、いるの?」
「…ユリアさん?」
確かにそれはスイの声だった。
「貴女、何処にいるの?」
「食堂です。でもどうかお静かに…」
入り組んだ施設の中を歩き回り、ユリアは何とか食堂を見つける事に成功した。食堂はテーブルや椅子が壁際に追いやられ、その傍らで子供達が50人程シーツや毛布を床に敷いてその上で眠っていた。スイは部屋の隅で、眠っている小さい子供達数名に囲まれ、なるべく起こさない様に努めながらこじんまりと座っていた。
「スイ、大丈夫?」
「私は平気です。ただ、此処にいる子供達をこのまま残しておけなくて…」
「ボニーが警察にかけあって彼女のハウスへ皆受け入れてくれる段取りをしてくれたわ。だから安心して」
「そう…良かった」
ユリアの言葉に一安心したのか、スイは暗闇の中で両目をつぶった。今日は一日、本当に疲れた。
「スイ、灯りを点けてもいい?」
「廊下に出て、左側の扉脇にスイッチがあります。でも、子供達が明るいと眠れないって起きちゃうかも…」
「それならいいわ。ボニーのオフィスの部下達が皆を迎えに来るまでの間だし、貴女もゆっくり休まないとね」
そう言っている側から、スイにもたれるように身体をくっつけて眠っていた男児が、急に眠ったまま足を上に蹴り上げ、その反動で身体の向きが90度回転した。ユリアはスイが動ける様にと、眠っている男児の頭をそっと床に下ろしてやり、余っている毛布を掛けてやった。
外で物音がする。ユリアが外に出るとマイクロバスが1台停まっていた。
「やあ、ユリア!中はどんな感じだ?」
栗色の髪に黒目で黒縁メガネを着用した四角い顔をし、針金の様にひょろひょろしたスーツ姿の男が先頭車両の中から姿を表した。彼がサイモンだった。
「全部で50人ちょっといます。来るのが遅いから、皆寝てしまいましたよ」
「そうか、最低でも2往復半は必要かな」
そう言ってサイモンはユリアにコピー用紙を手渡した。
「許可証だ。バックアップもメールしてある。万が一の際に提示したまえ」
「分かりました」
ユリアはサイモンをスイ達がいる食堂へと案内した。スイは物音に目を覚ましたのか、起きて子供達に毛布を掛け直していた。
「ユリア、その人は…?」
「彼はサイモン。ボニーの会社の顧問弁護士よ」
「やあ。ボニーから話を聞いてるよ、アサナギ・スイ。遅くなって済まないな」
「あ、いえ、助けに来てくれてありがとうございます…」
「しかし、想定していたよりも人数が多かったな。この中で一番若いのは?」
「3歳です」
「そうか。それなら安全ベストで代用すれば移動できるな。だが、どちらにせよ一度に全員運べないから3つ位のグループに分けてくれ」
その後の対応はあっという間だった。何やら話し声を聞きつけて目を覚ました子供はそのまま起こして外へ誘導し、眠っている子供はユリアとサイモンが抱きかかえてバスの座席に座らせた。スイはそのままバスに乗れなかった子供達と共に食堂に残り、ユリアとサイモンはバスに乗って行って、暫く経って再び空のバスで戻ってきた。スイがバスに乗ったのは最後の子供、ライラと一緒であった。
「スイー」
移動するバスの中で、ライラは隣でバイオリンケースを抱えて座るスイの袖を引っ張った。
「なあにー?」
「これからわたし達、どこに行くの?」
「私達皆を守ってくれる、安全な所よ」
「そう、なら安心だね」
スイはそうだね、と軽く頷いて自分の左肩に頭を載せたライラの膝に自分の手を置いて軽くポンポンと触れた。
残りの子供達を乗せたバスが目的地に着いたのは、日付が変わるか変わらないかの深夜の事だった。




