77章
電撃の如くアメリカ支部の所長の座に君臨したフランシス・ドゥーリトルが、翌朝真っ先に呼び出したのはドリーだった。
入室したドリーがゆっくりと急ごしらえの所長室を見渡す間もなく、ドゥーリトルは開口一番に尋ねた。
「君はアリッサからミサキ・カナメの再構築に必要な物を預かっているね?ドクターマクドナルド」
「アバターは今や此処に3体、ヨーロッパ支部には1体いますし、もう2体が間もなく同調に成功しようとしていると聞きます。今更テタルトに拘るのは何故でしょう?」
「ウォルターが進めようとしている事については、君もよく知っているだろう?彼の探究の先を抑制するのが我々の次の役目でもあるのだよ」
「それはごもっともです。ですが、テタルトの暴走によって平穏な生活を乱された人々をどう納得させるのでしょう?」
「そうさせない為の行動を君は既にやっているのではないのかね?」
ドゥーリトルは真っ白な壁面に2日前のテタルトの格納庫での映像記録を映し出した。
「テタルトとミサキ・カナメについて、このペアが暴走した理由についてを知る手掛かりはアサナギ・スイにある。彼女はほんの最近までは君が運営しているシェアハウスの住人だった。彼女を施設から出す事は君なら造作もないのではないか?」
ドリーはとうとう白旗を揚げた。
「ドゥーリトル所長、ご推察の通りです。グールド前所長には内密に進めるようにと仰せ付かっておりましたが、ここまでお見通しなのであれば、正直にご報告いたしますわ。彼女は自分の意志で此処を出たので、戻る様に説得中なのです」
「説得?子供一人に何を手間取っているのか?」
「仰る通り、彼女は子供ですが、とても強い意志を持っています。それに何故かセンター側も彼女を出す事に難色を示していますの」
ドゥーリトルはドリーの答えを聞き、暫く腕組みをして壁の映像を見ていたが、デスクの上に一つのメモリーチップを置いた。
「ドクターマクドナルド、アサナギ・スイを此処に呼び戻す為の有力な武器となる資料を与えよう。その代わり、彼女が戻って来たら私のプロジェクトにも協力して貰える様、取り計らって貰いたいのだ」
「何ですか?そのプロジェクトと言いますのは…」
ドリーはメモリーチップを手に取った。
「此処でこの資料の内容を確認させて頂く事は出来ませんか?」
「構わないが、大人が見てもなかなか辛いかと思うがね」
そこでドリーはメモリーチップをプロジェクターにセットし、映像を切り替えた。そして数分程記録されていた映像を黙って見ていたが、余りにも残酷で生々しく、痛々しくて恐ろしい内容に、ドリーは咄嗟に両手で口元を抑えた。吐き気を催したのだ。
「…所長、もう結構ですわ」
涙ぐんだ目でドリーは掠れ声で訴えた。
「こんな重大な内部告発資料、所長、何処から手に入れられたのです?」
「私には古くからのネットワークが多くあってね。これは信頼できる私の支援者の内の一人から受け取ったものだ」
「とはいえ、センター内でのこんな醜聞が存在すると世の中に出回れば、タダで済む筈がありませんわ…!!」
「だから彼らへの交渉の道具に使えと言っているのだよ?分かるね?」
ドリーはスイの立場を想像するだけで血の気が引く思いがした。こうなると分かっていたのであれば、彼女を黙って送り出すなんて決してしなかった、絶対に。
「ドクターマクドナルド、私は君の手腕を評価している。だからこそ、この件についてはグールド前所長のお嬢さん一人に任せるべきではないと思うがね」
ドリーは一礼すると、足早にその場を立ち去った。
ネオ・ムセイオン内でその様な動きがあるとは露知らず、スイはリュケイオンでの講義とバイオリンの練習の合間を縫っては、ムツキ・リョウと再び会えないかと構内のあちこちを探し回った。
だが、リョウの姿をやっと見つけた時は、既に夕刻を回っており、スイはオーケストラ部の練習も終えて、これからアンディの教室に顔を出そうかと思って帰ろうとしていた矢先だった。
「…リョウちゃん!!」
彼女は今日もリュケイオンの制服ではなく、他の学校の制服姿で、門の前に停まっていた黒塗の車の後部席に乗り込もうとしていた。そこへスイに呼び止められ、後ろを振り向いた。
「スイちゃん、こんにちは」
そうニッコリと微笑むと、運転席の者に、少しだけ待って頂戴、と言い、スイの方へ歩み寄った。
「…あの、こんにちは」
スイはドギマギして、言葉が何故か思うように出て来なかった。
「いいのよ、無理して言わなくても。私の事、ずっと探してくれていたのね」
スイは激しく首を縦に振った。彼女を前にして、何故か涙が溢れてきた。
「まあ!」
突然涙を流し始めたスイの様子に、リョウは驚いた表情を見せながら、持っていた学生鞄からハンカチを取り出すとスイの頬の涙を拭ってやった。ハンカチを挟んで彼女の手のひんやりとした感触がスイに伝わってきた。
「リョウちゃん」
「なあに?スイちゃん」
「私、貴女と友達になれるかな…?」
「そう思ってくれてるなら、私、とても嬉しいわ。ぜひお友達になりましょう」
その時、車の中から小さくミュウと鳴き声がした。リョウはチラッと車の方に視線をやったが、サラッと受け流す様に言い放った。
「今日は途中まで歩いて行く事にするわ、へメラ」
スイがリョウの肩越しに後部ドアの開いた車の中を除くと、緑色の目をした1匹の明るい茶色の縞模様の仔猫が座席の中央に立ち、スイに向かって警戒心を露わにしていた。
「先に行って、アズサ・スクエアでピックアップして頂戴」
そう言ってリョウはバタンと車のドアを閉めた。仔猫は状況を飲み込めず、じっと主の方を見つめていたが、車がゆっくりと動き出したので観念してその場に座り込んだ。
「リョウちゃん、行かなくて良かったの…?」
「別に構わないわよ。それより、私に貴女の話をもっと聞かせて欲しいな」
リョウは悪戯っぽく微笑んだ。スイはその眼差しにすっかり魅了されてしまった。
「さあ、行きましょうか」
「行くって、何処に?」
「あら、スイちゃんは私と此処で出会わなかったら、この後何処へ行こうと思ってたの?」
「今日は前に教わってたバイオリンの先生のスタジオに寄ってみようかなって。でもリョウちゃんと会えたから、またの機会にしようかな…」
「なら、遠慮する事ないわ。貴女の先生に会いに行きましょうよ」
そう言ってリョウはそのままやって来たバスに乗り込んだ。慌てて後を追うスイ。
アンディのスタジオまで向かう途中のバスの中、スイはリョウに何を何処まで話したのか、全部を覚えてはいない。だが、自分に起こった数奇な事件の数々や、ネオ・ムセイオンに来る迄の事等、今迄誰にも話した事のない過去の事を、彼女になら自然と打ち明ける事が出来た。
「…私の話、皆、デタラメだって言うの。だから、もう、誰にもしゃべるつもりはなかった。でも、リョウちゃんに初めて会った時、あれが未来の事だってリョウちゃんは教えてくれた。だから、リョウちゃんになら話してもいいのかなって思えたの」
「ありがとう、スイちゃん」
リョウは切ない表情を浮かべていたが、
「貴女の身にはこの先、いくたあまたの出来事が降り掛かる。それは私も同じ。だけど、これだけは決して忘れないで。私はずっと、何時でも、何時までも貴女の味方よ」
そう言ってスイと真っ直ぐに向き合ったリョウの眼差しは、微笑んでいるようでもあり、何処か寂しそうでもあった。




