75章
要はテタルトを介して、まるでテレビでアクション映画か何かを視聴するかの様に一部始終を傍観していた。アリッサが自分に向かって銃を向けたとしても、別に要からすればそれは他人事であった。
「要、すまない」
タラッサ=要の身体が自爆し、部屋中により一層の生臭さが増した中で、残念そうなシンの声が聞こえて来ても、要はまだ自分の身体がなくなった事への実感とは程遠い所にいた。
「もう、俺は此処に居なくてもいいんだよな?」
要はあの快も不快もなく、何も考えなくてもよい、心地良い暗闇の中に戻りたかった。
「それはないと思うよ。君は何かしらの使命を帯びて再び此の世に生を受ける事を許されているんだ」
その方が僕も役目を全うするのに都合が良い、とシンは一言付け加えると、カプセルの中に横たわっていた人の形をした影がゆっくりと透明に変わっていった。後にはステュクスが着用していた要の同調用スーツだけが残され、ゆっくりとカプセルの底に沈んだ。
「僕はもう行く。そろそろステュクスを自由にしてやらないと」
「待て、シン!このまま俺を海底に縛り付けたまま行ってしまうのか?」
「その鎖を解けるのは残念ながら僕でも翠でもない。君自身だよ」
そう諭すような口ぶりで言うと、シンは要のそばに近寄り、彼の色彩は徐々に黒一択と化し、砂の地面へ吸い込まれて行った。
「何、大丈夫だよ。君はあの御方にとても愛されている。彼女に護られている限り、君に害が及ぶ事はないだろう。それに、僕はいつだって君の裡に居る。君は一人じゃないんだよ」
じゃあね、とシンは言い残して、要の影は在るべき姿形へと戻った。その影の上にはステュクス、あの色彩のない限りなく透明に近い人の形をした存在がうつ伏せに横たわっていた。
「ステュクス、頼む。俺を解放してくれ」
要は悲痛の声で彼女に訴えた。
「申し訳ございませんが、それは私には出来ません」
ステュクスはゆっくりと体を起こし、立ち上がりかけた。
「貴方を縛る鎖は、貴方を生かす為の命綱でもあるのです。時が経てば鎖から解放される術を得る事が出来ましょう。ご機嫌よう、美崎要」
白砂の海底に氷塊が染み込んでいく様に、ステュクスの姿形はどんどん崩れていった。要はその光景を呆気に取られた顔付きで見つめていたが、完全にステュクスが去って行ってしまった途端、堪らず大声を上げた。
非常用エレベータで最下層のフロアから脱出したアリッサとスイは、エレベータから降りた所で天井が落下するというトラブルに巻き込まれた。だが、それもアリッサがスイを庇う様に上から被さった為、結果的にアリッサだけが右の脚と肩を骨折し、スイだけがまた無傷で生き残る形となった。
アリッサは夜が明けると早々に声明を出し、今回の騒動の全責任を取る形でネオ・ムセイオンのアメリカ支部の所長を辞任し、理事長職からも退く旨を発表した。そしてそのままユリアと同じ病院へ運ばれ、暫く療養する事となった。
そんなアリッサの入院中の病室へドリーが花束を携え見舞いに訪れていた。
「…グールド所長、私で本当に宜しかったのでしょうか?」
ドリーは自身のスマートウォッチで、アリッサから理事会に向けて発信されたメールを提示した。それはアリッサが所長職を退くと共に、後任としてドリーを指名する旨の通達でもあった。
「私は貴女なら若い研究者達からの信頼も厚いし、各支部の理事達とも対等に渡り合えると思っていますよ」
それに…と言いかけて、アリッサはドリーに一つのナノメモリーカードを差し出した。
「これは?」
「ミサキ・カナメとテタルトの非公開のデータよ」
「それって、グールド所長の生涯かけて築き上げた全てではないですか?私が持っていても意味のないのでは…?」
「いいえ、ドリー。ネオ・ムセイオンはこれから先、世界連合や平和維持軍の干渉を受ける様になる。テタルトは貴女達の独立を守る最後の砦になるわ」
アリッサはそう言って寂し気に部屋の外に視線を逸した。
「私は実の娘のユリアより、人ではないカナメの方を大切にしてきてしまった。どちらにせよ私、母親として失格だったと思うわ、本当に。だけど、ボニーさんを育てながら職務を全うしている貴女になら、カナメを安心して任せられると思ったの。それに、貴女の農場には他でもない、ユリアもいるしね」
ドリーは無言で視線を逸らした。
「カナメはアバターを量産していく上でどうしても必要な子供だった。まさかあんな形で失うとは思いもよらなかったけれど、テタルトを再び動かす為に必要な情報と材料は全て私のラボにある。それを他人には決して渡さないで」
かしこまりました…とドリーは寂しそうに答えた。
「グールド所長、カナメとテタルトを私が引き継ぐ上で一つ条件があるのですが」
「いいわ、何かしら?」
「アサナギ・スイをネオ・ムセイオンに呼び戻して欲しいのです。何なら私達の養子に迎え入れても構いません」
「それはどうして?」
「ユリアさんから聞いた限りでは、カナメが急に豹変したのはアサナギ・スイがネオ・ムセイオンを離れた事と何か関係があると思うのです。遅かれ早かれカナメを復元する事になるのであれば、制御出来る手立てを用意しておきたい」
「科学的根拠に乏しい理由ね。でも、私が拒否した所で決定権はありませんから」
そう言いながらアリッサは、昨晩地下のラボに突如として現れた彼女の姿を朧気に思い浮かべていた。確かに、科学的根拠は何もないが、テタルトが動いていた事とカナメが凶暴化した事に、彼女は何か関わっていたのかもしれない。
「ドリー、アサナギ・スイを引き取るのは構いません。ただ、これだけは伝えておきます。この事は極秘で進めなさい。特に平和維持軍とウォルター、ヨーロッパ支部には警戒する様に」
ドリーはアリッサの意図の真相を察してはいなかったが、それでも静かに了承した。その様子を見届けると、アリッサは漸く安堵したかの様に眠りについた。




